日本プロ野球のクライマックスシリーズや日本シリーズの話題を見ていて、ふっとこんな妄想が頭を過ぎりました。なお、特定の試合や特定のチームや選手をモデルにしたものではありません。
サヨナラ負けを喫した某チーム、試合後のロッカールームは雰囲気が荒れていました。とうとうつるし上げが始まります。まずその対象とされたのは、サヨナラホームランを打たれたリリーフA投手。最初はじっと我慢していたA選手ですが、あまりの罵詈讒謗にたまりかねて「そりゃ、ホームランを打たれたのは悪かったけれど、満塁にしたのは俺じゃないぞ。満塁にした人間には責任はないのかよ」と言ってしまいました。ほとんど名指しされたも同然の、A選手の前に投げてB投手は青ざめます。自分が全責任を負うのか? そこで“戦線の拡大”を行ないました。「四球で満塁にしたのは悪かった。だけど、こっちだってランナーを背負った状態で投げにくかったんだ」。あわてて9回頭まで投げた先発のC投手が口を挟みます。「負けたのはピッチャーだけのせいか? 9回表、ノーアウト満塁で三者連続三振なんてことをされたから、肩に力がはいっちまったんだよ。あそこで1点でも入っていたら……」。
さあ大変。ロッカールームは大きく“盛り上がって”しまいました。あちらでは投手と捕手が「お前がノーコンだから」「サイン通り投げたら打たれたじゃないか」とやり合っています。こちらでは野手同士が「そもそもエラーでランナーを出すから……」「最終回のエラーだけが野球じゃないだろ。初回のお前のエラーから取られた1点が最後で効いているんだぞ」「3回のチャンスで凡退した奴が偉そうに言うな」。
医療裁判で患者側専門の弁護士だったら、いろんな理屈を駆使してこの中の誰でも“戦犯”にできそうです。ただ一つ、確かなことがあります。このチームは、明日も負けるでしょう。
※新幹線の中からe-MobileでMacBookProをネットにつないでみました。いやあ、ちゃんとつながるんだ。文明の進歩、万歳! 私は、さすがに音響カプラーは知らない世代ですが、モデム接続は1200とか2400bpsから知っていて、出先での接続にはけっこう苦労した体験を持っているものですから、こんなに楽にネット接続できる時代は、大好きです。
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お酒を熟成させるためには、長い時間と落ち着いた環境が必要です。
それと似たものに、思考があるでしょう。思考を深化させるためには、時間と孤独が必要です。環境に関しては、がやがや騒がしいところで考えるのが好きな人もいるでしょうが、その場合でも回りと一緒にわいわい騒ぎ続けていたら思考を深めることはできません。じっと考え込む孤独の力が必要です。
しかし、孤独なだけでは思考は熟成しません。そもそも孤独な俗人だったら独りよがりの迷宮に深入りするだけですし、すばらしい思考をする人であってもずっと孤独だったらそれは世の中から見たら、文字通り「世間離れ」になってしまうだけです。ある程度思考の枠組みができたら次にコミュニケーションによって思考の中身に外から刺激を与えることが必要です。思いもかけぬ視点や発想を得るためだけではなくて、自分が考えていることが他者と共有可能なものかどうかを確認するために。
つまり思考をまともに行なうためには、「孤独」と「コミュニケーション」の両方が必要なのです。
社会的存在としての人は元々孤独とコミュニケーションのバランスの上に生きていますが、思考もまたその例外ではない、というだけのことかもしれません。さらに「個の思考」ではない「社会の中の思考(人々の共有物としての思考)」が成立するためには、「個人の思考」に対して共有/共感/共鳴が必要となります(反感/反論もあるでしょうが)。
そういえば「コミュニケーション」の接頭語「コム」は「共」でした。ですから「共〜にはコミュニケーションが必要」と言うのは、同義反復をやっているだけかもしれません。
ふと思ったのですが、現在のブログという形式は、一方的な発信から掲示板的なわいわいがやがやまで各ブロガーが自分の孤独度に合わせて調整可能な点から、孤独とコミュニケーションがけっこう良いバランスで成り立った世界と言えるのかもしれません。ただ、個無ニケーションや孤夢ニケーションで終わってしまっているところもけっこう多いようですが。
……私のこのブログは、どうなんだろう。またちょっと思考の深みに沈みたくなってきました。
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