私がふだん使う通勤路は、学区の中学校の生徒たちの通学路でもあります。ですから狭い道に一杯に中学生がぞろぞろ歩いていて、こちらはその隙間を「ちょいとごめんなさいよ」とバイクで通る、といった状況なのですが……今日はずいぶん生徒の数が少なくて変な印象でした。正確に数えたわけではありませんが、感覚的に普段の半分くらいの感じです。彼らの年代だと「人数が2倍になったらうるささは4倍」ですから(今作った「おかだの法則」です)、人数的には2/3くらいだったのかもしれませんが。まさか今日に限って遅刻者が大量発生というわけでもあるまいに、とちょっと不思議に思いました。
職場には例によって市医師会からの「インフルエンザA型発生動向調査」が届いていたのですが、それに付属している「学級学年閉鎖などの報告」にその中学の名前が登場していました。なるほど、学級閉鎖の影響だったのかな。ただ、まだ学級閉鎖となっていますが、あの登校者数の少なさでは、明日には学年閉鎖以上になってしまうのではないかなあ。
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敏感な人は「あ、今、とんだ」とわかりますが、「脈がとぶ」のはわかってもわからなくても気持ち悪いものです。「あなたは不整脈です」と言われた患者さんの多くは「不整脈 → 心臓麻痺」を連想してか、とても不安そうな顔になります。
ただ、心臓の身にもなってください。毎秒1回打つとしても、1時間に3600回、1日に86400回、1年に3153万6000回も脈を打たなければならないのです(なお、閏年には3162万2400回になります)。「生身なんだぜ。1秒の休みさえなくずっと働いているんだ。1万回に1回くらいミスってもしかたないだろ」と心臓が主張しているのが聞こえそうな気がします。
実際に、(詳しい数字は忘れましたが)「心臓のミス」はけっこうあります。時々さぼったり、あるいは余計な拍動を入れたり。問題はそういった異常な拍動(不整脈)が、有害かどうか、有害な場合致命的なものかそうでないか、です。致命的なものはもちろん即座に治療開始ですが、有害だが致命的でないものは急がずに治療を開始かあるいは精密検査の上で、でしょうか。
このへんの「異常と病気は別、病気でも治療が必要なものと治療が必ずしも必要でないものとは分けて考える」のは医者の発想として当然です。ただ、世の中ではその辺の区別をきちんとしない場合も多いようです。というか「医者は病気と言ったらなんでも治したがる」ということばもあるので、医者も何種類かに区別した方が良いのかもしれません。
特にこわい不整脈は、たとえば心室頻拍や心室細動、そしてそれにつながりやすい心室性期外収縮の中の「RonT」や「連発」でしょう。医学生のときには習わなかった「torsade de pointes」(最初は「トルサード・ド・ポアン」と覚えましたが、正確には「トルサード・ド・ポアンツ」だと後日教わりました)とか、最近登場のブルガダ症候群とか(おっと、「最近」と書きましたが、1992年報告なんですね。私の人生、どこかに10年くらい失われているのかしら……)、心電図を読むのもロートル医者にはなかなか大変になってきています。
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