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 戦力の逐次投入という愚策を愛していたのはどこぞの軍の司令部ですが、それと根っこが通底するものを持っているのか、厚労省は今年の新型インフルエンザに関しても、情報の逐次公開やなし崩し的な決定を愛してやまない様子です。(「愛して病まない」と変換してやろうかと一瞬思いましたがやめておきます)
 戦況、もとい、状況は流動的ですし想定外のことも多々起きるでしょう。ですから「一から十まできちんと計画をしろ」なんて無理無茶無駄な要求はいたしません。私が求めるのは「根本的な方針決定」と「(その政策路線に乗った上で)アドリブで勝負できるだけの現場への権限移譲(モノ、人、金、時間、権力の運用を現場の裁量にまかせる)」です。きちんと決定できないくせに現場の管理や支配だけしようとする人たちはひたすら無理無茶無駄な存在だと個人的には認定いたします。

 たとえばワクチンの場合、「根本的な政策」とは「ワクチンで守るべき対象群の決定」です。「全国民」?  それにはワクチンの量が足りないから「優先順位」が必要になるわけでしょ。そこで官僚や御用学者は「優先順位の決め方や理由づけやスケジュール」に夢中になりますが、その前に「基本的な決定」が必要です。「誰を守るのか、その結果、誰を捨てるのか」です。誰かを選択したら誰かが捨てられます。「弱いところ」を守るのか、それとも「弱くなくて社会に欠かせないところ」を守るのか。「過去」を守るか「現在」を守るか「未来」を守るか、という分け方もありそうです。その基本方針を決めずにおいて、あちこちにいい顔をしようとしたり責任転嫁をしようとしたり手続きの問題だけに夢中になろうとするから、話が結局ややこしく手遅れになる一方。「悪いけれど、あなた方はワクチン無しで頑張ってください」という話を、説得力豊かな理由とともにできるかできないか、は国のお仕事の一つではないかなあ。

 ふっと思ったのですが、厚労省の基本方針は「とにかく自分は非難されないこと」なのかな?  もしこれだったら困ったことになります。「大きな声で文句を言いそうなところ」をいかに優先的に懐柔するかに熱心になってしまいますから。その結果は、「大きな声で文句を言いそうなところ」が国益よりも優先され、それでなくても足りないワクチンがますます足りなくなって、不満足と不幸の総和は最大値に達することでしょう。
 で最終的には「こうなったら今さらもう仕方ない」と、姑息的・対症療法的な対応を繰り返すことになるわけで……これを医者が患者の治療でやったら「ただのやぶ医者」と評されるんですけどねえ。


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2009.10.20 06:59 |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 4

強制配置

 自治医大やふるさと枠の卒業生がへき地に強制配置されたとき、私はそれに賛成した。
 そういう約束で入学したら卒業後にそうなるのは、当然のことだから。
 その後、厚労省は研修医を強制配置した。
 私はそれに反対しなかった。「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言うし、研修医が動かされても別に困らなかったから。
 次に彼らは公立病院の勤務医を強制配置した。
 それでも私は黙っていた。公務員なら命令で異動するのは当たり前だから。
 そして厚労省は勤務医全員を強制配置の対象とした。
 私は口を閉じたままだった。私は勤務医ではなかったから。

 そして彼らはついにすべての医師の強制配置を始めた。出産で家庭に戻っている人も開業医も、医師免許を持っている人は根こそぎ。
 私は抵抗しようとしたが、私のために弁護してくれる人はいなかった。
 もう誰もいなかった。

 ──  ──  ──    ──  ──  ──     ──  ──  ──

 たぶんネット上にこういったパロディーの“先例”は厚労省版だけでもたくさんあると思いますが、上の元ネタはマルティン・ニメラーの以下の言葉です。

「ナチが共産主義者を迫害したとき、私はそれに反対しなかった。
 私は共産主義者ではなかったから。
 その後、彼らはユダヤ人を迫害した。
 それでも私は黙っていた。ユダヤ人たちがいなくなっても別に困らなかったから。
 次に彼らは同性愛者を迫害した。
 私は口を閉じたままだった。私は同性愛者ではなかったから。

 そしてナチはついに教会を攻撃しはじめた。そして私は神父だった。
 私は抵抗しようとしたが、私のために弁護してくれる人はいなかった。
 もう誰もいなかった」


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