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 2020年のオリンピックを「平和の祭典」として日本に招致しようというニュースです。
開催能力が課題 広島・長崎 五輪招致検討」(朝日)
 理念は素晴らしいと思います。ただ、あまりに現実的な言い方になりますが、先立つものがあるのか心配が……

 「広島広域公園陸上競技場」(wikipedia)から引用します。
>>2002 FIFAワールドカップ日本大会の開催地として広島市は立候補し、日韓共同開催になった場合でも当時は5万人収容できるスタジアムが国内に少なかったこと、更には当時FIFA会長であったジョアン・アベランジェからの推薦もあり、当地での開催は確実視されていた。しかし、財政難から約150億円かかるバックスタンドへの屋根の架設と座席改修工事を平岡敬市長が拒否、結果開催地から外された(広島におけるサッカー専用スタジアム構想も参照のこと)。

 屋根工事で150億は高いと一瞬思いましたが、甲子園のリニューアル工事も新しい銀傘込みで200億円と聞いた覚えがありますので大体そんなものなのかもしれません。ちなみに「約150億円」は、今回東京都がオリンピック招致運動で使ったのとほぼ同額だそうです。(「石原知事、五輪招致150億円「痛くもかゆくもない」」(朝日) ちょっとした「出張」でも8桁のお金をかけられるお方には問題ではない金額なのでしょうが、そんなに痛くもかゆくもないのなら私に数%で良いから分けてくださらないかしら。大喜びで使ってさしあげますが)

 ところで、両市の懐具合はいかほどかと思って「市債残高」を見てみますと……
広島市の市債残高(一般会計)」では実質残高が7,670億円(平成19年)
長崎市財政構造改革プラン」の9ページで2,436億円(平成16年)

 あらあら、財政規模の違いはありますが、どちらもとんでもない残高です。大丈夫?

 金の話ばかりではナンですから、スポーツの方を見てみましょう。
 長崎市でできるスポーツは……屋外競技はあまり場所の余裕がなさそうですね。平和公園のすぐそばに市営ラグビー場や陸上競技場がありますが、オリンピック級の観客収容数は十分かな?  海を使うことができますが、これは広島と条件がかぶりそう。体育館系統だったらいろいろ可能かもしれません。
 広島市は、以前アジア大会をやっているし、平和マラソンや男子駅伝は毎年やっていますから、それとダブるものはなんとかなりそうです。といっても、全競技は厳しそうですが。
 国体よりちょっと大きな規模だったらなんとかできそうですが、現在の肥大化したオリンピックだと、相当無理をしてスリムにしないと難しいように私には思えます。それとも古代ギリシアの簡素なスタイルに戻します?
 選手村をどこに置くかも考えなきゃ。両市の中間で福岡というのはやっぱり無理?  あるいは、たとえば長崎に選手村を置いて、長崎空港と広島空港・広島西飛行場との間にシャトル便をばんばん飛ばすとか(ただ、その“運賃”は誰の負担? ……あら、またお金の話に戻っちゃった)。



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2009.10.12 07:22 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  おかだ  | 推薦数 : 0

準備はお早めに

 「人間に自由意志はあるのか」は宗教的・哲学的な命題ですが(「すべてを神が決定している」のなら「人間の自由意志」はただの幻想です。「自己」が存在しなければやはり幻想です)、科学もそこに絡んでいます。20世紀になって原子論が世間に広がった頃「すべての素粒子の運動は物理法則に従うのだから、もしもそれが観測できるものなら、それこそ宇宙の始まりから宇宙の終わりまですべてが予測可能になるのではないか」と人々は考えました。実際には「人が観測するという行為そのものが観測される対象に影響を与えるので、観測するたびに未来は変わる」ことになりますし、「観測したけれど、その結果を見逃した場合と見逃さなかった場合とで、未来は変化するのではないか」なんてややこしい議論もあるのですが。
 さらに量子論が登場して話はさらにややこしくなりました。素粒子の振る舞いに「確率」が導入されたからです。私は高校時代にブルーバックスで読んで、わくわくすると同時に混乱してしまいました。十分な数のものを相手に確率を言うのならともかく、下手するとたった一個の光子でさえも確率的な振る舞いをするのですから。

 医学の世界には、コルンフーバーとリベットの「準備電位」のお話があります。人に「好きなときに手を動かすように」と指示して脳波を観測していると、その人が「よし、今から動かそう」と思うほんの少し前(1/3秒くらい前)に脳波の活動電位が出現するのだそうです。つまり「意志決定」の少し前から脳はもう動き出しているのです。それから「意志決定」が生じそして手が動きます。そこでまた人は問います。「自由意志って、あるの?」。

 私の想像を述べてみます。
 「よし、動かすぞ」が決定され同時に脳が準備を始めますが、その時点では無意識の領域ですべてが進行し「意志」としては表面化されません。おそらくタイムラグがあまりにあるとストレスになるから生理的に抑制されているのでしょう。「手よ、動け」→動く、ではなくて「手よ、動け」→→→→→動く、だと運動神経と感覚神経の間のフィードバックが過剰になってしまいますから。で、心身の根回しが全部すんで「さあ、手はもう動けるぞ」となったと同時に無意識から「動け」が意識の表面に浮かんできてぱちんとはじける。それを「意志」と感じる、という仕組みかな。あるいは、手を動かした後になって「あ、私は手を動かしたかったんだ」と気がつく場合もあるかも。
 「動かそうと決定するより前にすでにその動きが始まっている」と考えるよりも、こう考えた方がわかりやすいように私には思えます。神とか量子が自分を動かしている、なんてのは、なんだか気持ち悪いし、手の方に自由意志があって脳はそれを追認するだけ、だったらそれはもっと気持ち悪い。もしかしたらこの「準備電位」が「大きな間違い」の可能性もありますが。


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