私はMacOSとWindows-XPの両刀遣いです(現在完了進行形)。
マイクロソフトとの付き合いは、1987年に中古で買ったNECのPC-9801でMS-DOS2.11を使って以来ずっとですから……あらら、もう20年以上。
MacOSとの付き合いは1993年から、当時はまだMacOSとは言ってなくて、漢字Talkとかの頃。7.1の愛称がなぜか「おにぎり」でしたっけ(「E電」と同様、定着はしませんでしたが)。ただし、アップル社自体とはAPPLE][からの付き合いですからもうそろそろ30年です。
なぜMS-DOSとつきあい始めたかと言えば「日本語」です。患者情報を整理したり論文を書いたりするためにはやはり日本語が扱いやすいマシンが欲しかったものですから、一太郎3(ATOKは6)を買うとそこにまるでオマケのようにMS-DOS2.11が付属していました。(当時のPC-98は、普通に立ち上げるとBASICマシンとして機能しました。起動直後に突然“How many files(0-15)?”なんて質問をぶつけられて素人は返答に困る仕組みになっていました。で、一太郎などの5インチフロッピーを入れてから立ち上げるとフロッピーのDOSを読み込んでDOSマシンになるわけです) DOSを単体で購入したのは3.3からで、あとはずっとバージョンアップに付き合ったし、Windowsも、3.1(*1)、95、98、ME(*2)、XPと律儀に付き合い続けています(NTも3.51と4はさわっています)。VISTAは近寄る気がありませんが7はたぶん買うでしょう。
*1)3.1は即座にDOSに戻しました。理由は経験者ならわかるかも。Macの環境に比較してあまりにあんまりだったのです。ちなみに95でも、大量に日本語入力をする場合にはDOSモードに降りてエディターでやっていました。95でワープロソフトだと私の入力スピードについて来てくれなかったものですから。
*2)MEは一週間で98に戻しました。理由は経験者ならわかるはず。あれについてわざわざ語る気はありません。
Win95以来、家庭用はiMac/個人はWindowsのノート、という使い分けをずっとやっていましたが、昨年から個人用もMacのノートに切り替えて、今はMacBookPro(13インチ)を使っています。13インチというと画面が小さいように感じますが(実際、見た目はずいぶん小さいのですが)、私の使用経験と感覚ではノートで「13インチのMac」は「15インチのWindows」よりもはるかに快適に使えます。Winの場合、ほとんどのソフトはフル画面にしないと使いづらいのに、Macだと多数の画面を一度に少しずつずらして開いておいて次から次にわたり歩くこともそれほどストレスではありません。何がそんなに違うのかは明確に言語化できませんが。
現在のMacOSには、BootCampという、思わず「ビリー」を頭につけたくなるような名前のソフトが最初から組み込んであって、Windowsさえ買ってくればそのままそれをインストールすることが可能になっています。ただし起動時に「MacOS」か「Windows(XPかVISTA)」を「選択」できるだけで、その両者を一度に立ち上げることはできません。切り替えるときには再起動が必要です。昨年はそれで動かしていたのですが、ハードディスクをWin用に領域確保しておかなくちゃいけないとか、TimeMachine(Macに最初から組み込まれているバックアップ用ソフトで、とんでもない優れもの)でバックアップを取るのにWin領域のデータは無視されるとかが気になって、今はParallelsというソフトでWin-XPを動かしています。これがまた優れもので、MacOSの上でParallelsが動きさらにその上でWindows(私の場合はXP)が動きその上でWin専用のソフトが動く、という仕掛けです。ソフトの上にソフトが乗っかって、やたらと手続きが多く鈍重な反応しか期待できないような感じですが、これが実はよい意味で期待はずれ。やたらきびきびWinが動いてくれます。体感的にはそのへんのWin専用マシンよりも一太郎などは反応がよくて、驚きます。ある意味Intel系のMacは最強のWinマシンなのかもしれません。MacOSを省略できるBootCampだったらさらにその差は歴然としていますが。速度ではBootCampに負けますが、Parallelsで特筆するべきは「両者が共存」していることです。お互いがお互いを共有している感じで、MacからWin領域のデータを、逆にWinからもMac領域のデータをいじることができるのです(さすがに“他のマシン”のファイルをいじるときにはそれなりに時間がかかりますが)。
画面の下にあるドック(Win-XPだったら、クイック起動を含めたツールバーに似たもの)にMacのソフトのアイコンがずらずら並んでいますが、私の場合一太郎などWin用ソフトのアイコンもいくつかそこに平気で鎮座ましましています。で、そいつをクリックするとParallels → Windows-XP → 一太郎 とさっさと立ち上がってまるでMacのソフトのような顔をしてたとえば一太郎のウインドウが、すでに開いているMacのソフトに並んで平然と出現します。もう笑っちゃいます。
私はWinでは「猫まねき」というキーボードカスタマイズソフトでいろいろ変態的、もとい、個性的なキーアサインにアレンジしていました。(ダイヤモンドカーソルを左手だけで使えるようにすることや、左下のALTキーをMacのコマンドキーのように使えることを中心にいろいろいじくっていたのです) 今またそれを導入するかどうか考えているのですが、問題はMacのキーボードに猫まねきを噛ませると一体何が起きるのか、です。これはいやな予感がするんですよね。とりあえず大量に日本語入力するときにはMacで素直にやっておいて、編集だけ一太郎でやったほうがATOKの辞書も混乱せずにすむかな。
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「水色」が「薄い青色」なのは、よく考えたら不思議です。
海の色は「青」と私は思っていますが、海の近くで生活する人や潜る人は違う意見を持っているでしょう。また、「水」は海だけではなくて川や池にもあります。その「水色」はまた海とは違った色合いのはずです。
「水色」が別の意味で使われる領域もあります。紅茶の世界です。茶葉を熱湯に浸して抽出された液体の色を「水色」と表現しますが、もちろんその色は「赤」が中心です(緑がかったり黒っぽくなったりはしますが)。そもそも「水」でもなく(だって熱湯です)、「水色」でもないものを「水色」と表現するのは、なかなか勇気のある人が紅茶業界にいたのかな、なんて想像をしてしまいます。
では、たとえば試験管の中の水に色はあるでしょうか。
若い頃検査室に出入りしていたら、ベテランの検査技師に「この2本の違いがわかる?」とクイズを出されました。検査室に届けられたばかりの尿が入った試験管です。黄色の色合いがちょっと違います。だけど“期待されている答え”はそれではなさそうです。悩んでいると、「こっちは糖尿、こっちはたぶん糖はない」……で、実際に検査すると、その通りでした。私がぽかんとしていると「よく見てごらんなさい。明るさが違うから」。
砂糖水と普通の水とをコップに入れて比べたらわかりますが、たしかに光の通り方が違うのです。比重の違いから屈折率が違うのかな?
感心していると、「肉眼でわかっても、結局検査をするのだから、別にどうってことはないですよ」と謙遜されてしまいました。たしかに医学的な「データ」としてはちゃんと検査をして記録を残さなければならないのですから「見てわかった」ことに意味はありません。しかし、そうやって「自分の目で世界を見ようとする」態度に私は感銘を受けました。機械の目盛りとか人が言った言葉に頼り切るのではなくて、自分で世界を認識していかなければならない、と。
で、質問です。「水色」って、あなたにとっては何色ですか?
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