まだ「モンスター○○」という言葉が登場する前、下の子がまだ幼稚園だったころの何年も前の思い出話です。
ある日曜日、私は車の整備をしようと一家でカーショップに出かけました。安上がりの休日です。
作業に時間がかかるので、休憩スペースに座り込んで皆でジュースを飲みます。すると、そのスペースの反対側で怒鳴る声がしました。子どもがびくんとします。普段大声で怒鳴られたことがないのでびっくりしたのでしょう。
見ると、若い客が営業らしい店員とテーブルに座ってなにやら商談の最中の雰囲気なのですが、客の方がどうも何かを怒っているようです。せっかくの休日(それも安上がり)を不愉快な気分にさせられるのは業腹ですから、私は「中和作業」を行なうことにしました。
「あそこで何か怒っている人がいるね。一体何を怒っていると思う? ちょっと耳をすませて聞いてみようか」小さな声でひそひそと、子ども相手の遊びにしてしまいます。
店員は穏やかに喋るのでこちらまで声は聞こえませんが、客の方は威圧的に大声を出し続けているので会話の内容はほとんどわかります。どうやら、三ヶ月前にこの店で購入した車用の商品がどうも自分のイメージと合わないので何とかしろ、と言っているようです。
「三ヶ月でしょ。ずっと使ってて何を今さら言ってるんだろう」上の子が的確にまとめます。「返品するんだったらすぐでしょう。三ヶ月も使われたらもう売り物にならないだろうし」
「大体、返品、とは言ってないね」私は混ぜっ返します。
「あれ? だったらどうして欲しいんだろう」
「今やってるのは『俺が大声出したら店の雰囲気が悪くなるぞ、店の評判が落ちるぞ、だからさっさと俺の希望を叶えろ』なんだけど、本当に脅すようにずっと大声を出し続けたらたしか威力業務妨害罪とかいう法律違反になるの。だから『これは地声です』といった感じで声を出しているの。だけど、店の人がなかなか素直に言うことをきかないようだから、そろそろ本音が出始めるよ」
「お父さん、せーいって、なーに?」下の子が質問します。たしかに先ほどから客の発言の中に「誠意」という言葉が多く混じるようになっています。
「本当はちゃんとした意味があるんだけど、今ここであの人が使っている意味は『金を寄こせ』だよ」
「どうして? お金を払うのはお客の方でしょ?」
子どもはまっすぐ正論を言うものです。
「本当はね、あの人はさっきから『金を寄こせ』と言いたいんだけど、それをまっすぐ言っちゃうと強請になっちゃうでしょ。だから『金を寄こせ』と言葉で言わずに相手に『金を寄こせ』という意味を伝えようとしているんだよ。まあ、待ってごらん。もう少ししたら別の話題みたいにして金額がちゃんと出てくるから」
ちゃんと出てきました。まるで関係ない話題のような振りをして「○○万円」という言葉が。でもその時には下の子はもう興味を失って、テーブルの上の玩具で遊ぶのに夢中です。聞き耳を立てているのは、私と奥さんと上の子だけです。三人でニコニコしながらひそひそ話をしています。
しかし、傍から見たら変な風景でしょう。強面で店員に何かを強要しているそばで、一家が平気で団欒しているのですから。せっかく誰かが店の雰囲気を壊そうと努力しているのに、これでは台無しです。
作業が終わったという連絡があり、一家は帰ることにしました。
店から出るとき、見送ってくれた店員に上の子がしみじみと挨拶をしました。「お仕事、ご苦労様です」
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西洋の歴史に残るインフルエンザ・パンデミックで確実なものは1510年に発生しました。以後1700〜1900年の間に7回のパンデミックが知られているそうです。
日本では、早くも貞観四年(862)にインフルエンザによると思われる流行がありました。『三代実録』には「咳逆(がいぎゃく=ひどい咳)の病が流行して死者多数」とあるそうです。貞観十四年には京にやはり咳逆が流行し死者が多数出ています。
久安六年(1150)にも大流行がありましたが、これは宋からの持ち込みだった様子です。天福元年(1233)にも「咳病」が大流行し、『明月記』には「世俗は夷病という。去年京に来た異国人を万人が見たため』とあるそうです。
江戸時代にも大流行が何回もありました。まずは慶長十九年(1614)に「風疾流行」がありましたが、それからしばらくは、鎖国の影響か流行の記録はありません。しかし、享保十五年(1730)に長崎から全国に「風気」が流行します(1729〜30年に世界的なインフルエンザ流行がありました。それが長崎から侵入したのでしょう)。享保十八年にも「風病」が大流行し、死者多数を出しています(江戸では八月だけで八万人亡くなったそうです)。これも世界と歩調を合わせていまして、1732〜33年の世界的なパンデミックのあおりでした。1767年の世界的流行は明和六年(1769)に日本に入り、杉田玄白は随筆『能見草』に「感冒」で社会活動が停止した様を書き残しています。
安永五年(1776)に関西で流行した「風邪」は「お駒風」(その当時流行っていた浄瑠璃の主人公の名前から)、天明四年(1784)のには「谷風」(横綱免許の大関谷風が風邪で倒れたから。1781〜83の世界的流行の影響で、天明の飢饉と重なったため犠牲者多数でした)、享和二年(1802)には長崎から上方まで広く流行し、八百屋お七が流行していたので「お七風」、九州から拡がったから「薩摩風」などと呼ばれました。1798年に北米から始まり1801年にヨーロッパ〜アジアに拡大した流行の影響でしょう。1830年に中国・東南アジアで始まり32年にはロシア・ヨーロッパに拡がった流行は天保三年(1832)に日本に侵入して大流行、そして江戸時代のラスト近く、安政元年(1854)の「流感」は「アメリカ風」と呼ばれました。
「インフルエンザ」と呼ばれるようになってからの世界的大流行は……
19世紀末に旧アジアインフルエンザ(H2N2)
1918〜1919 スペイン風邪(H1N1)(日本では18〜20年まで大流行しました。この3年間とも死亡原因トップがスペイン風邪です)
1957〜1958 アジア風邪(H2N2)
1968〜1969 香港型インフルエンザ(H3N2)
1977 ソ連型インフルエンザ(H1N1)
まだパンデミックは起こしていませんが、1997年に鳥インフルエンザ(H5N1)が香港で発見され、2003年から東南アジアを中心に小流行が続いています。そして2009年春からのブタインフルエンザ(H1N1)。
自然現象として、大流行はしかたないのかもしれません。ウイルスが変異をしたら免疫を持たない人がそれに容易に罹患するのは当然ですから。だけど、死者を多数出さずにすむかどうかには「人為」が及ぶ部分があるはずです。仕方ない部分にエネルギーを使うよりも「人為」の意味がある部分に注力したら、もしかしたら我々は「過去の歴史に学んだ」と言えるようになれるかもしれません。
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