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孔子は「君子としてあるべき道」を示すためにその対照として「小人」を置いて論じることがあります。たとえば「君子は周して比せず、小人は比して周せず」「君子は義に喩り、小人は利に喩る」「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む」「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語)のように。
「山形大病院は「国策に反している国立大学」」(ロハス・メディカル)
さて、議論の場で相手の主張の“内容”に反論するのではなくて、「上意であるぞよ」などという言葉を使うことで丸ごと他人の主張を押しつぶそうとする態度は、どう評価できるでしょうか。単なる封建主義者のやり口かもしれません。あるいは、「自分の主張の“内容の正しさ”で勝負する」のではなくて「自分の方が持っている“力”の方がお前のより強いんだぞ」とひけらかしている態度とも言えますし、逆に、「内容の正しさ」で勝負できないから真っ正面から議論することから逃げている、とも言えるでしょう(掲示板などで、議論の旗色が悪くなった側が人格攻撃を始めることも私は想起しました)。もしこういった人が同じ態度で医者をやっているとしたら患者さんに対しては「俺はエライ医者だぞ。学会のガイドラインではこうなっているんだぞ。ごちゃごちゃ言わずにこっちの示した治療法に従えばいいんだ」などと言うのかな。あるいは「国立の病院を受診する患者は“国策”に従え」とか。
真っ当な君子は自分が預かる「権力」の重大さに心を引き締めます、決して狂喜乱舞軽挙妄動はいたしません。しかし、小人はたとえわずかでも「力」を持たせたら大喜びするものです(そして、まるでその“力”が自分自身に由来するかのような勘違いもします)。で、「権力の走狗」になって「自分はこんな“力”がふるえるんだぞ。皆、ひれ伏せ」と大喜びする人の心根がどんなものなのか、私には理解できませんが、ただ、70年前だったらおそらくそのあとに「俺の命令に従わないとは、この非国民め!」がくっついてくるんだろうな、とは思いました。
孔子さんに再登場願いましょうか。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
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