厚生労働省のお役人は人の機械的な分類が大好きです。療養病棟での医療区分や介護保険のランク付けがその代表ですが、それ以外でも病気の認定の時など、舌なめずりをしながら新しい「基準」を次々作って人を分類し続けています。よくもまああれだけ新しい基準を作れるもんだとその発想力の豊かさには感服します。きっと「人」から目を逸らして「数字」だけに注目していじくりまわすから、あれだけいろんなものをだらだらと垂れ流すことができるのでしょうね。人は一人でも数字は無限ですから。
入院患者に関しても「重症度・看護必要度に係る評価表」(基本診療科の施設基準)というものがありまして、「床上安静の指示」の有無や「寝返り」「起き上がり」「座位保持」「移乗」などが「できる/できない」、「食事摂取」「衣服の着脱」が「介助なし/一部介助/全介助」、「意思の伝達」が「できる/できない」、「指示が通じる」が「はい/いいえ」など全13項目を評価して点数をつけ、その総点数によってその患者が重症(看護の手がかかる)か軽症か、を分類しています。私たちはそれを俗に「看護B」と呼んでいますが、13項目すべてに「項目の定義」と「判断基準」が細かく示されていますのではっきり言ってこの判定の手間は煩雑です。手間がかかるのだけでも嫌なことですが、ただお役所に届けるデータづくりのために患者さんに対して医療者が行うべき治療/看護/介護の時間を削られるのは、たまりません。会議ばかりしている会社は生産性が落ちますが、患者評価や書類づくりにばかりいそしんでいる病院は医療とサービスの質が落ちるのです。
それだけでも不愉快なのですが、さらに納得のいかないことがあります。
判断項目の一つに「どちらかの手を胸元まで持ち上げられる」があります。項目の定義は「胸元(首の下くらい)まで患者自身で自分の手(手関節から先)を持っていくことができるかどうか」。判断基準は、「できる」は「どちらか片方の手を介助なしに胸元まで持ち上げられる場合。体位は問わない」。「できない」は「胸元まで片手を持ち上げられない場合」。「留意点」として「関節拘縮でもともと胸元に手がある場合は自ら動かせないから「できない」と判定。上肢の抑制や固定で自ら動かせない場合は「できない」。(「何をねちねち細かいことを言っているんだ」と思った方、これでも少しはわかりやすい日本語に翻訳してあります。原文はもっといらだたしい文言ですよ)
そこででっかい疑問。「どちらか片手」ですからもしもう片一方が動かなくても元気な方の手が動けばこの項目は「できる」と判定されてしまいます。では皆さんに質問。脳卒中で片麻痺になっている人が、「麻痺していない方の手」を胸元に持ってきた場合にこの判定は「できる」になります。つまり「片麻痺の人は両手がまったく不自由な人よりは看護量が少なくてすむ。したがって四肢が自由に動く人と同じである」と判断する(この項目では同じ「重症度・看護必要度」と判定されてしまう)のですがそれは合理的な判断でしょうか? 完全片麻痺の人はいくら健側の手が動いても、麻痺がない人よりは「看護の手がかかる」と判断されるべきだと、私は思うんですけどねえ。それとも私のこの“日本語”もややこしくて理解困難ですか?
で、こういうことを日常的に判定させて、大切な時間を現場から奪うことにだけ熱心なお役所は、日本の厚生(の維持向上)にどのくらい貢献しているんでしょうねえ。
固定リンク
|
コメント (0)
|
トラックバック (0)
トラックバック
この記事のトラックバック URL
http://blog.m3.com/ishi-atama/20090916/2/trackback
コメント
コメントはまだありません。
コメントを書く