血液は、血管から外に出たら凝固しなければなりません。もしも固まってくれなかったら、いつまでもだらだらと出血が続き、人は不健康になります。ですから血液は「いつでも固まれるぞ」と血管の中であらかじめ準備をしています。
血液は、血管の中では固まってはなりません。もし固まったらその塊はサイズに応じて血管のどこかにつまり、その先には血液が流れなくなって組織が酸欠と栄養不足で死んでしまいます。
つまり「いつでも固まれるぞ」と「今は固まってはならない」の両立をバランス良くやっているのが血液なのです。
ところが、こういった動的な平衡は、ちょっとしたきっかけで崩れることがあります。その結果は血管の中での血液凝固です。それを我々は「血栓」「塞栓」「梗塞」などの言葉を用いて表現します。治療としては「固まるべき時と場所ではないのに固まってしまったものをなるべく早く溶かす」のが一番手っ取り早いように見えます。
1980年代前半だったと思いますが、ウロキナーゼという薬が脚光を浴びました。はじめは人の尿から抽出されたので「ウロ(uro- 尿の)」と名付けられたのですが、「プラスミノゲン活性化因子」と呼ばれるジャンルの物質で、血栓を溶解する作用を持っていました。「これぞ救世主」と人々は色めき立ちます。脳梗塞になってもこれを点滴したら血栓が溶けて血管が開通してくれるに違いない、と。ところがこの薬、作用が弱くてなかなか効いてくれません。しかし、大量に使うとこんどは出血を起こします。効かないか効き過ぎるか、ですので、結局人々の期待は叶えられませんでした。
今から4年前、tPAという薬が日本に登場しました。欧米ではそれよりさらに10年前に使用が始められていたのですが、組織型プラスミノーゲン活性化因子と呼ばれる薬で、簡単に言ったらウロキナーゼと同じく血栓を溶解する薬です。ただ、脳梗塞の場合、発症直後(日本では3時間以内)に使用しないといけません。使うのが早ければ早いほど血流が途絶えたことによって受ける脳のダメージが軽くてすみます。しかし、脳のダメージが完成してから使ったら、こんどは副作用(出血)だけが生じる、というのが時間制限のリクツです。(欧米ではこの時間制限が4時間半なんですけどね。医学的な理由でこの差があるのが、それとも経済的な理由なのか、そこのところは私は存じません(時間制限が厳しいほど、高い薬を使う量は減る(“遅刻”で使えない人が増える)はず)。ともかく、これは効く薬だそうです。効かない人はやはり効かないようですが、効く人の体験談では「点滴中にしびれが軽くなって、麻痺していた手が動くようになってきた」なんて証言を聞いたことがあります。
なお“使用制限”の条件に「軽症には使ってはいけない」もありますが、これについては早期から疑問符がつけられています。
「脳梗塞軽いからtPA不要—その3割が死亡または退院不能に ──治療指針の見直し迫る研究成果がStroke誌に掲載」(日経メディカル)
たとえはじめは軽症でも、途中から悪化する症例が確実に存在する、という報告です。そういった人にtPAを使ってあれば、悪化は防げたかもしれない、と。もっとも、副作用で出血が生じたかもしれませんが。
今春の内科学会、ポスター展示会場をうろうろしていたら、若手の(たぶん)神経内科医が「救急外来に運ばれてきた脳梗塞患者の半数にtPAが使用できなかった」と無念の報告をしているのを目撃したことを思い出しました。たしか半数だったかもうちょっと多かったかですが、正確な数字は忘れました(真面目に聞いてなくて、発表していたドクターにはごめんなさい)。3時間とはいっても、まずCTで出血がないことを確認しないといけませんし、MRIも撮りたいから、実際には倒れてから1時間半とか2時間くらいで病院に到着してくれないと、結局「時間切れ」でtPAは使えません。もちろんよくある「いつ倒れたかわからない」「一晩様子を見てから病院に連れてきた」場合には最初から使えませんが、タッチの差で使えなかった場合には医者は「もっと早く来てくれたら良かったのに」と悔しい思いをすると同時に「アメリカ並みに時間制限が4時間半だったら使えたのに」とも思うことでしょう。
もっともアメリカでも、何で読んだのか忘れたので出典が示せないのが残念ですが、「脳梗塞でtPAが使われたのは約10%」とか「約2/3の脳梗塞患者がtPA未使用」という報告もあるそうですから、結局どこまで行っても「100%治す夢の薬」にはなれない様子ですけれど。
「『たらい回し』をせずに脳外科に直行すれば時間が節約できるだろう! だから医者は……」
はいはい、お説の通りなんですが、tPAを使えるかどうかは脳卒中関連の専門医が判定しないといけないので、ふつうの脳外科医しかいない外来に“直行”されても結局tPAは使えませんの。ちゃんと、救急医・脳外科医・神経内科医などが24時間待ち受けているところに行っていただきませんと。
ところで、救急医は別として、脳外科医一人・神経内科医一人、の最低限の人員配置をするとして(手術をすることは前提にしていません)、労働基準法を守ったら(日勤をしたら夜勤をしない、夜勤をしたら次の日勤はしない、週休二日制)、一体何人の脳外科と神経内科の医者をその病院は雇わなければいけないか、どなたか指折り計算、できます?
「労働基準法なんか無視すれば良いんだ!」
だめですよ。日本は法治国家なんですから。決して放置国家ではありませぬ。もし法律違反をそそのかす発言を公然と行なったら、それは犯罪教唆(あるいは指嗾)になりまっせ。
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「救急車をタクシーがわりに使うのはやめましょう」キャンペーンが各地で行われているようです。私が住む市でもそういったキャンペーンが行われています。
ネットで雰囲気が荒れてきた時、よかれと思って「もうちょっと他人に気を遣って書き込みましょう」キャンペーンを張る人が登場することがあります。ところがこの“キャンペーン”が最初に効果を示すのは、問題発言をしている人に対してではなくて、回りを気にしながら問題ではない発言をしていた人に対して、です(回りに気を遣わず自己主張を繰り返し続ける人は、そういったキャンペーンにも気を遣いません)。で、その結果として、アクセル全開で問題発言をしている人は全然態度を変えず問題のない人が萎縮する、という現象が起きるのを私はこれまでに何回も何回も何回も見てきました。
救急車利用に関しても、似たことが起きるのではないか、と私は予想します。
一般論として「救急車の適正な利用をお願いします」「タクシーがわりの使用は控えてください」キャンペーンが効果を示すとしたら、まずは「(救急車を呼ぼうかどうしようか)迷う人」に対してでしょう。迷っている時にそのキャンペーンの記憶が蘇ることもあるでしょうから。「迷わない人」(誰が見ても救急車が必要な人、あるいはその逆に軽くても確信犯的に救急車を使う人)はキャンペーンがあってもなくても、迷わず119番に電話します。その結果何が起きるか。不適正使用は減りません。減るのは、迷う症例です。最終的には119番通報の総数は減るかもしれません。しかしそれでめでたしめでたしとは言えないでしょう。「迷う例」の中にはたくさん「本来なら救急車で運ぶべきだった症例」が含まれているのですから。
ネットで不適切発言を減らすためには実は妙案はありません。私に管理権限があれば、他の問題のない人が「自分のことか」と思わないように、もろに名指しで「○○さんの発言のこういった部分がこんな風に不適切である」と明示するでしょう。その上で問題発言が繰り返されたら、削除(だから管理権限が必要です)。
救急車の場合には……やっぱり……有料化(で、本当に救急だったと受け入れ病院でハンコがもらえたらあとで払い戻し)かな。
「金を払うんだから東京の大病院まで乗せていけ」とか「自分はこんなにしんどいんだから、救急の証明のハンコを寄こせ」とか元気いっぱい病院の窓口で暴れる人を生産してしまうかもしれませんが。
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