「プラセボ(プラシーボ)」ということばは有名ですが、「ノセボ」って何でしょう?
手軽に調べられるgoo辞書やwikipediaによると、「本当なら無害な物質なのに、患者の否定的な思い込みや心理状態が原因で有害な副作用をもたらす偽薬」だそうです。綴りは「nocebo」。
ただし「本来無害」のところに私はクエスチョンマークです。本当に人類に無害な物質が存在するかどうか疑問に思っているものですから。
新薬の臨床試験では二重盲検法が基準で、新薬と対照薬とが、どちらが使用されているのか被験者にも医者にもわからないようにして効果が比較検討されます。で、プラセボはその対照薬の所に使われることがあります。俗に私たちは「ウドン粉」なんて言いますが、実際には乳糖などのそれを飲んで体に何か薬理的な影響が出るようなものではないものが選択されます。で、このプラセボを使うことによって「薬を飲んだのだから何か良くなるだろう」という患者の期待というか思いこみの分を相殺して新薬の本当の効果を検証することができるわけです。
もちろん、新薬ですから、副作用も出ます。「病気に対する効果はこのくらい、副作用はこのくらい」と評価して、社会に発売できるかどうかの検討がされるわけ。ここで面白いのは「プラセボを飲んだ人の集団にも副作用が出現すること」です。「薬を飲んだ。副作用が出るかもしれない」と心配になっていろいろ起きる、は本当の薬だろうとプラセボだろうと同じです。世の中には「今から注射しますよ」と声をかけただけで(まだ針を刺す前に)「針が刺されるのはいや」と血圧が下がって青くなって倒れる人もいますから、たとえプラセボでも飲んで胃がむかむかしたり気持ちが悪くなる人がいるのは当然でしょう。ところがそういった心身症的なもの以外に、たとえば血液検査で肝機能が悪くなったり貧血検査で異常が出たりの人が出現します。「ウドン粉」を飲んで肝細胞が壊れたり貧血になるのはどう考えても理不尽なのですが、厳然たる事実です。
とりあえず「人体の神秘」で片付けておきますが。(「薬の副作用」の中には「プラセボの副作用」と同じ種類のものも混じっている可能性だけは、指摘しておきましょう)
そうそう、化学物質過敏症の一部にも、「本来無害なプラシーボによって出現する肉体の副作用」も混じっているかもしれません。
人体は神秘の塊です。
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書誌情報:『119 STORY ──救急119番物語』澤田祐介 著、 荘道社、2001年、1600円(税別)
背表紙を見て最初は「119もの短編がおさまった短編集かな」と思いましたが、すぐに「STORY」が単数形であることに気がついて、一人顔を赤らめました。ここに書かなきゃ誰にも知られずにすんだのにね。もちろん本書は「救急」に関する本です。
突然ですが、「トピックスIV 急増する救急需要!〜救急自動車の適正利用の推進〜」(平成19年度 消防白書)を見ると、救急車の出動回数は右肩上がりです。しかし、救急隊員の増加は悲しいほど少ないものです。ここのグラフを見ただけで「このままじゃまずいぞ」と誰でも思えるでしょう。マルサスの「人口は幾何級数的に増えるが、食料生産は算術級数的に増える」も思い出します。
ナポレオンに従ってエジプトに渡った腕の良い外科医(四肢の切断がきわめてスピーディーで、「1本1分」なんて記録も持っている)ラレーは、1798年に「救急ラクダ」を考案しました。ラクダの背中の左右に大きなかごを下げ、そこに怪我人や病人をいれて砂漠を運搬する「軍用システム」です。フランスに戻ったラレーはそのアイデアをそのまま生かし、二頭立ての救急馬車を作り「アンビュランス」と名付けました。
1881年12月8日、ウィーンの歌劇場リングテアトルで火事が起き398人もの人が死亡した事故がきっかけで公的な救急医療制度が創設されます。中心となったのは、眼科医ムンディ・伯爵ウィルツェク(ハプスブルグ家の一員)・資産家ラメツァンの三人でした(余談ですが、このトリオの組み合わせは絶妙だと思います。まったく新しい専門システムを創設しそれを社会に定着させるために必要な条件がすべて入っています)。救急用の車として救急馬車(アンビュランス)も備えられました(蒸気自動車はすでに存在していましたが、馬車の方が採用されました)。それまで救急(馬)車は「軍用」だったのですが、ここに世界初「民生用」の救急車が誕生したのです。
1885年に、ドイツのダイムラーがガソリンエンジンで動く二輪車を、ベンツは三輪自動車を作ることに成功しました。1887年には(自転車用としてですが)ダンロップが空気入りゴムタイヤを発明します。世間では自転車が大ブームとなり、自転車の宣伝のために1903年からツール・ド・フランスが始まりました。タイヤやサスペンションの進歩により自動車の性能も上がり、ウィーンでは1905年に馬車を廃止して救急自動車を採用しています。
余談ですが、ダイムラーが作ったのが二輪車、ベンツが三輪車で、どちらも四輪車ではなかったことから、「ガソリン自動車は馬車にエンジンをつけたもの、ではなくて、自転車にエンジンをつけたもの(目的は「乗って楽しむ」こと)だった」という指摘を荒俣宏がしています(『奇想の20世紀』NHK出版)
もう一つ余談。ゴムタイヤに入っているチューブからの医療用派生品があります。鼠径ヘルニア手術で知られるハルステッドがグッドイヤー社に作ってもらった薄いゴム製手袋です。このエピソードもなかなか人間的で素敵です(ハムステッドが恋をした看護婦が、消毒液で手荒れがひどいため、薄い手袋で彼女の手を守ろうとして開発してもらったのだそうです。手袋のおかげか、二人はめでたく結婚しています)。
こんどは日本のお話が登場します。「続日本後記」には「仁明天皇が、武蔵国に悲田所、太宰府に続命院、相模国に救急院、出羽国に済苦院を作って、飢病者を救護した」とあるそうです。もちろん「救急院」で救急医療をやっていたわけではなくて、西洋の修道院のホスピス(傷ついたり病気となった巡礼者を看護する施設。だからこそ修道院には薬草園が附属していました)と似たようなものだったでしょう。ことばの内容はともかく、日本の文献ではこれが「救急」の初出だそうです。
寛政二年(1790)に出版された『広恵済急方』には、溺れた人などへの「マウス・ツー・マウス」による人工呼吸法が詳しく記載されているそうです。ただ、この知識は世間に広くは広まりませんでした。惜しいなあ。(そういえば、男が腹上死した場合に女は男の口に息を吹き込め、という“救急処置”が書いてある本が江戸時代にあったとどこかで読んだことがありますが、タイトルは忘れました。この本のことかな?)
日本で初めて救急自動車が走ったのは、昭和七年(1932)大阪です。日本赤十字社大阪支部が二台の救急車を使い始めました。公的な救急車はその翌年、横浜市です。配属されたのは山下町の警察署(警察部救急隊)。フォード車で、写真が載っていますが、ナンバープレートに「車急救」と書いてあります。昭和九年には名古屋が救急車を導入しますが、ナンバープレートは「愛99」(これは絶対ねらってやっている、と著者は喜んでいます)。
第二次世界大戦後、警察から消防と救急が分離します(東京の警視庁だけは最初から警察部と消防部を分けていました)。それに伴い、「110番」が警察専用として新設されました。ちなみに日本で統一の「119番」が設けられたのは昭和二年(1927)でした(それまでは、交換手に呼んでもらうか、自分で各救急部門の個別の電話番号を調べて電話するか、でした)。
東京オリンピックの時代は交通戦争の時代でした。救急車の「需要」は急増し、昭和三十八年(1963)に救急業務は各市町村の義務とされます。翌年には「救急病院等を定める省令」が施行されます。救急車の「たらい回し」ということばが登場し、昭和六十二年には省令は改正され、それまで「事故による傷病者」に限定されていた救急車の対象に「急病人」も含めることになったり救急病院の定義が改められたりしました(ここがちょっとオドロキです。それまでは「急病人」を救急車で運ぶ法的な根拠がなかったということですから)。さらにDOA(到着時心肺停止状態)患者の社会復帰率に日米であまりに大きな差があることから、「救急救命士法」が平成三年(1991)に作られました。救急車内で早く救急処置を開始することで、死亡率が下がることを期待したのです。これによって救急車の中での医療行為がいくらか可能になりました。これについては、まだまだ不十分でもっと拡大しても良いとは思いますが、まだ歴史が浅いから焦ってはいけないのでしょう。著者が本書で描く日本の救急の未来像は、実現可能であり、また、実現させなければならないものです。
個人的には「救急車で変な処置をされたので死んだじゃないか」訴訟が起きないことを祈ります。そんな訴訟で救急隊員が有罪になったら、日本全体に悪い影響(たとえば重症患者の死亡率の上昇)が出てしまいますから。
正直言って、救急車に乗るのは苦痛です。横向きになって狭くて固いベンチシートに尻を乗せ、すぐ目の前に横たわる患者をじっと観察していると、容易に車酔いになれます。さらに昔の救急車はサスペンションがふわふわしていて妙な揺れ方をしてくれるか、あるいはバネが固すぎてがたがたがたがた細かく揺すぶられるかで、これでは患者も付き添いも容体が悪くなるぞと言いたくなるものでした。
救急救命士法以後に救急隊員の血圧測定などが許された、という記載を本書で発見して、そういえば昭和の頃には、水銀式の血圧計を車内に自分で持ち込んで中で測定していたっけ、と思い出しました。音がほとんど聞こえないので聴診器はあきらめて触診法でやってましたが。
高規格型の救急車に初めて乗ったときには、とりあえず嬉しかった(たしかベンツのマークがついていたと記憶しています)。天井が高くて点滴が詰まる心配がずいぶん減りましたし、モニターなども充実していました。それに車自体のサスペンションもずいぶん向上していて、「快適な乗り心地」とまでは言えませんが、以前に比べたら雲泥の差ではありました。だからと言って、大喜びで乗り込みたい、とまでは言えませんが。
ただ、救急車の天井が高くなったことは、別の問題を引き起こしています。その分車高も高くなり、古い病院などの車回しの天井とアンテナがぶつかることがあるのです。救急車は道路交通法の規定内に高さをおさめてあるはずですが、建築基準法とは相性が悪いのかな。
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