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 「無医村」という言葉がまだ生きていた時代の思い出です。(今は「無医村」以前に「村」そのものが激減してしまいましたね。日本中どこを見てもやたらと耳慣れない「市」と「町」だらけです。由緒ある古い呼び名を変えたらなにか日本に良いことがもたらされるのでしょうか) 
 ある県の無医村が困って、よその村から医者をスカウトしました。どうやって口説いたのかは知りませんが、とにかくそれで無医村は「これで安心」です。困ったのは引き抜かれた方です。だってこんどはそこが無医村になってしまったのですから。

 今、「医師不足」「医師の偏在」で、地方公共団体の長が次々「医師確保」を言っていますが、結局上記の例と同様、「右のものを左に」になってしまわないのかとそれが私は心配です。
 「医療問題を注視しる!」では「日本の医療が崩壊しても困るのは患者で、実は医者は困らない。むしろ医者にとっては給与や待遇の“条件”が良くなる可能性が高い。ただ、困る患者のことを心配して医者が騒いでいるのだ」と道破されていました。たしかに「医師確保(スカウト)合戦」が加熱したら当然“相場”は上昇しますから、少なくとも雇用条件的には医師は損をしません。ただ、それ(医者が「得」をすること)が日本のためになるのか、には私は疑問を持っているのです。何の根本的解決でもないのですから。


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2009.07.04 06:55 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 心が痛む

 UFOや幽霊を信じる人の「信じる根拠」として「自分は実際に見た」がありますし、信じない人の主張の根拠の一つとして「そんなもの、見たことがない」があります(他に「非科学的だ」なども)。

 そういえば私はまだ「心」を見たことがありません。では、「見たことがないから心は存在しない」として良いでしょうか。

 「見たことがあるから存在する」もそうですが、「自分は見たことがないから“それ”が存在するとは信じない(存在を否定する)」と言うのは経験主義的すぎるというかあまりに自分中心主義的な世界観に思えます。ただ、「心は存在する(たとえ見えなくても、機能していると推定できる)」とした方がいろいろ人間の行動や心身症などについて説明するのに便利なので、「人に心は存在する」という仮説を私は肯定的に採用しています。(UFOや幽霊は、「見たことはないけれど存在する」あるいは「見たことがないから存在しない」と判断することで私には何もメリットが生まれそうにないので、とりあえず判断は先送りしています)

 話が逸れますが、「他の肉体でもリユース可能な(そしてリユース時には初期化される)心」としての「魂」が次から次へとリユースされ続ける「輪廻転生(転生輪廻)」については、この仮説がないと生きるのがとても不便だったり説明困難な事象をあまり思いつかないので、私は採用はしません。信じたい人の邪魔をする気もないので却下もしませんが。ただ、自分のアイデンティティを確立するためには、「前世の自分」と「前世での自分と周囲の人間との関係」よりも、「現世の自分」と「現在の自分と周囲の人間との関係」の方を重視した方が“お得”とは思います。人のアイデンティティは基本的に人間関係の中で築かれるものですから(孤独の中で形成されることもありますが、その場合でも「他者との関係」を否定する形で孤独が存在しています)。
 そういえば、魂は有限のリソースなのでリユースせざるを得ない、というアイデアでフレデリック・ブラウンが二十世紀中頃に面白いショートショートを書いていましたっけ。
 閑話休題。

 よく「脳自体には痛覚はない」と言われます。実際、うまく局部麻酔をかけて頭に穴を開けて(麻酔をかけていない)脳をいじくっても、いじくられた人は痛みは感じないそうです。
 では、心に痛覚はあるのでしょうか。よく「心が痛む」と言いますが、それは“心の痛覚中枢”が刺激されている?  たぶん違いますね。これはただの比喩表現でしょう。
 ただ、心が傷ついた時には、肉体が感じる痛みに相当するものを心も感じているはずです。もしも傷ついた心が“痛み”を感じて、でもそれを「心の痛み」として表現できないとき、どうしたらいいでしょう。一つのやり方は、「心の病」として表現することです。もうひとつ、その“痛み”を肉体に投射して「肉体の痛み」として脳に感じさせることもできそうです(たとえば「断腸の思い」「胸がはり裂けそう」など)。
 強い鎮痛薬や麻薬を使ってもコントロール困難な慢性的な肉体の痛みの中に、この「心が感じている痛み」が何割か混じっているのではないか、と私は推測しています。その「実在」を証明することは困難でしょうけれど。


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