「末は博士か大臣か」とかつては言われましたが、総理大臣はその大臣の中で一番エライ人のはずですよね。ああそれなのにそれなのに、最近は与党の中でさえもあまりにないがしろにされている有様を見ていると「ぼく、大きくなったら総理大臣になる」とはとても言えない雰囲気です。(まあ、私はもう「大きく」なっているからよいとしても、政治を志す子どもたちのやる気を潰してしまいません? あ、だから世襲にするのかな)
衆議院の解散も、本来は総理大臣の腹一つのはずなのに、「さっさとしろ」「早すぎるのはダメ」「遅いのはダメ」「都議選の前」「都議選の後」「知事選のことも考えろ」などとまあ好き放題の喧(かまびす)しさには「誰が責任を持ってそれを決めるんだ?」と聞きたくなります。
「あの姿」を見ていると、私は二つのことを想起します。
一つは天皇。本来は日本で一番偉い人のはずなのに、外祖父・上皇・将軍などが天皇をどこかに祭り上げておいて自分がちゃっかり実権を握って好き放題するのが歴史上つづいていました。そういえば明治〜昭和初期でも、大権・大命・統帥権などを天皇が「自分の意のまま」に操ったことがありましたっけ?
もう一つは、今の医師です。これまた「医師は○○をするべきだ」「医師は××もするべきだ」「□□はするべきではない」「△△はさっさとするべきだ」と喧しいことこの上なしです。
日本の医師は、総理大臣や天皇と並ぶ存在ではなくてむしろ奴隷的専門職ですから同列に論じることはできないでしょうが、人々のこれらの行為はすべて同じ構造を持っているように私には思えます。
やはりこれは、「日本の伝統」なんですか?
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