NHKで大久野島の毒ガス製造後遺症患者のことをやっていたのを見て、昔読んだ本のことを思い出しました。
『地図から消された島 ──大久野島 毒ガス工場』武田英子 著、ドメス出版、1987年、1500円
番組では、患者認定を受けた人の患者票が画面に大きく写されていましたが、その左上に「毒ガス」ではなくて「ガス」と書いてあったのに気がついた人がどのくらいおられたでしょうか。
1952年ころ現地の検診を行った医師たちによって毒ガスによる後遺症患者(たとえば若年肺ガン)が多く存在するという「現実」が暴かれ、「そんなものはない」と言っていた国はしぶしぶ重い腰を上げましたが、結局救護法は立法されず、1954年に「ガス障害者救済のための特別措置要綱」が通達されました。ただし、「現実」が存在することを認めはしたものの、国は「毒ガス」という言葉を使うことを強硬に拒否しました。その言葉を使ったら「我が国が国際法違反の毒ガス製造に関わったと認めることになる」からです。さらに認定要件のハードルを無茶苦茶高く設定しました。
だから通達の表現は「毒ガス」ではなくて「ガス」です。しかし、「ガス障害」って? ガス自殺の後遺症みたいですが。
『星の王子様』(だったかな?)に出てきた、ライオンに追われたら頭を砂に突っこんで「ぼくにライオンは見えない。だからライオンからもぼくは見えない」とつぶやいているダチョウを思い出します。自分に都合よく言葉を操れば「現実」も自分に都合良く変わってくれる、と思いこんでいる姿を。そんなダチョウは(たぶん)ライオンに食べられてしまいますが、困ったことに、それが権力者の場合は権力者は安全で弱者が泣くことになるのです。
さらに元所長が国を守るためか自分を守るためか「毒ガスという危険物を取り扱うのには防毒面や換気など細心の注意を払っていたのだから、障害など生じるはずがない。生じるはずがないのだから生じていない」と主張します。……おやぁ、毒ガスを製造していたことは認めるんですね。
しかし、タテマエさえ言い立てれば現実なんか無視して良い、言葉を都合良くねじ曲げれば自分の汚点は認めずに済む、という幸福な人たちが多いことにはため息が出ます。(ついでですが、当時の防毒面や防毒服は密閉が不十分でその隙間から毒ガスは容易に侵入しましたし、そもそもゴム自体がガスを浸透させました。さらに、いくら工場から離れていても(工場を換気するということは、そのへんに排気する、ということですから)島全体が微量の毒ガスに覆われた環境だったので結局人体傷害は起きていました)
なお、(「毒ガス後遺障害者」ではなくて)「ガス障害者」であることを認定してもらうためには認定委員会の厳しいハードルを越えなければなりません。さらにはじめのうちは、認定は軍人と軍属に限定され、勤労動員された一般国民は放置されました。このへんは大量に病気や傷害が生じた場合に日本政府が必ず行う「日本の伝統」に則った手法ですね。最初は否定/次はしぶしぶ認めるが限定した救済/やがて(多数が死んだ後で)救済範囲の拡大、です。(さらに、正社員は「社員」だが派遣社員は取り替えのきく「部品扱い」、も連想します)
ちなみに上記の本のタイトルは、大久野島が1938年から1947年まで国土地理院の地図から姿を消していたことによります。誰かが「そんなものはない」と言えば、本当に歴史から姿を消すものが、この世にはあるようです。
※おまけ
日本軍によって毒ガスが実戦で初めて使用されたのは、1930年台湾でのことです。セーダッカ族の蜂起(「霧社事件」)に対して焼夷弾と毒ガス弾攻撃が行われました(国会では「催涙弾である」と答弁が行われたそうです)。もちろんこれは「実験」で、その結果1931年に陸軍はホスゲン・三塩化砒素・イペリット・ルイサイトなどを制式化しています。
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