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足利事件冤罪。ニュースは(ブログも)山ほど出ていますので、ちょこっとだけ。
今回の冤罪の根拠は「DNA検査をやり直したら別人であることがわかった」という素人にも非常にわかりやすいものでした。ですから、ではなぜ冤罪になったのか、の検討はけっこう具体的にできるでしょう。
DNA鑑定そのものは、当時としては最新鋭、ただし精度はたしか1000人に1人を断定できる(1000人のうち999人を除外できる)ものだったはず。ABO血液型だと4人に1人ですからそれよりははるかに精度が高いと言えますが、1億人いたら“容疑者”は10万人いるわけで、だから「DNAが一致したから、お前が犯人だ」とは言えないでしょう(10万人の中の一人だ、とは言えますが)。だけど実際には「お前が犯人だ」と言ってしまったわけで、それはなぜか、に法廷でどのような論理が使われたかが問題になります。
もう一つの問題は、「なぜその人が取調室にいたか」です。DNA鑑定をする以前に、なにか根拠があるからその人は逮捕されて検査を受けることになったわけです。それはなぜか、も検証する必要があるでしょう。
私は「生検で病理から『悪性腫瘍です』の返事があって、それを信用して手術したら、実は間違いだった」を連想しています。私は一応医者ですから、自分にわかりやすい例に“翻訳”してみるわけ。で、生検標本のプレパラートを手術後に“検証”してみたら「あ、これは悪性と判断してもしかたない」というものだったら……(実際に、19年前のDNA鑑定は、当時としては最善を尽くしていたのではないか、と私は想像しています) その場合には「プレパラートとの取り違えがなかったのか」「生検をなぜ行ったのか」などが問われるべきでしょう。(検査は真犯人を指名しません。何かと何かが物質的に一致するかどうかを決定するだけです)
自白の有無については、「自白偏重はしない」が日本のタテマエなのですから、ここでは深く触れる気はありません。ただ、取調室にいるのは「真実を明らかにするプロ」ではなくて「自白をさせる(調書を完成させる)プロ」であって、それに対するのは「自白に関してはまったくの素人」なのですから、「素人がプロに負けたこと」を責めても仕方ないとは思います(だからこそ昨日の「不当逮捕時の心得」が必要になるわけ)。
もちろん冤罪があったからと言って、警察・検察・裁判官を十把一絡げに誹謗する気はありません。個人として問題がある人は排除するべきとは思いますが。ただ、そういった問題ある個人が“活躍”できる(出世する)システムだとしたら、そのシステムは改革されるべきだとは思います。真っ当な仕事をする多くの人が報われるものであって欲しい(「多くの」ですよね?)。
ところで、こういった当時の捜査手法や検察の論理構成や裁判官の判断についての“検証”は、誰がやるんです? やっぱり、警察や検察の仲間内? それとも第三者機関の方が適当?
警察は損をしたな、と私は思います。医療事故などで普通だったら「“ミス”があった場合、個人ではなくてシステムを見直す」が私のスタンスですが、平気で無実の医者を逮捕する警察の行為を見ていたら、警察のシステムだけではなくて個人まで“検証”したくなっちゃいますもの。
※一つ気になるニュースが。「足利事件:DNA型鑑定事件 関連証拠の保存指示…最高検」(毎日)
これ、こういった保存指示がなかったら、全国で証拠はどんどん捨てられている、ということなんです? 医療裁判で「カルテは捨てました」と言ったらそれだけで病院は不利になりますよね。自分が不利にならないためには証拠は保全しておかなければならないはず。ということは、捨てるところは「保全していたら自分が不利になる」という自覚があるところ、と言うのは邪推でしょうか?
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