「十五でねえやは嫁に行き」の歌詞も「淫行条例違反」や「児童ポルノ」で摘発されちゃうのでしょうか?
なにしろ数えで十五ですからねえや。
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医畜日記・楽屋篇 の「箕輪はるかさんの結核入院とあうあうあ大臣」にずばり書かれていますが、私も同様に「結核は日本ではほとんどはやらない状況になっていた。ちょっとショックだ」という大臣発言そのものにショックを感じています(*1)。
『星の王子様』でしたっけ、ライオンの脅威が迫ると砂漠の砂に頭をつっこんで「こちらからは見えないんだから、ライオンからもこちらは見えない。これで安心」と唱えるダチョウの話がありますが、なんとなくそれを思い出します。「自分は結核の存在を忘れている。したがって結核の脅威は存在しない。それなのに結核がまた出てきたってぇ? 医者は何をやっているんだ、早くナントカしろよ」なのかな、と。
そういえばこんな記事も発掘しました。「「梅毒」増加傾向、30代男性と20代前半女性中心」
百日咳や麻疹・風疹の流行についても同じことを感じますが、自分が「忘れた(もっとすごいのは「知らない」)」ことをもってその病気が「存在しなくなった」と勘違いしている人がこの世にはずいぶん多いようです。(だからそういった病気が「存在する」ことが「ニュース」になるのですね。実はちっとも新しくはない(現在完了進行形である)のに)
梅毒にしても、これだけ性行動がお盛んな状態(*2)で、性病が流行せずにすむわけがありません。おっと、今は「性病」ではなくて「性行為感染症STD」と言うのでした。フルネームは、Sexually Transmitted Diseaseです。
これは、昔の「性病」(梅毒・淋病・軟性下疳、とあと一つ何だったっけ?)のような「病名主義(あるいは性器主義)」ではなくて「感染経路」に注目した疾病概念で、ヘルペス・B型肝炎・HIV・サイトメガロウイルス・クラミジア・カンジダ・白癬・トリコモナス……などなどなど、が含まれます。性行為も幅が広く「本番(ペニスのワギナへのインサート)」以外も広く含まれます(粘膜同士の接触だったらほとんど)。そういった事実から完全に目を背けて(あるいは砂に頭をつっこんで、あるいはぽっこり忘れて)「なんで今頃になっても梅毒や結核のような“過去の病気”が出てくるんだ」とショックを受けるのは勝手ですが、ダチョウさんにおかれましては、じっと頭の中で理屈を展開させるのもけっこうですができたら砂から頭を引き抜いて時々はきょろきょろしてもらいたいものだとは思います。
簡単な解決法は、「忘れる」=「ない」、とするのではなくて、「忘れない」のはずですから。
*1)それとも「結核は“現役の病気”である」と思っている私の方が社会常識がないのかな。だとするとここの死語シリーズに「結核」も付け加えるべきなのでしょうか。
*2)性行動が“乱れている”のはけしからん、だからそれを正すべきだ、というのも一つの意見でしょうが、では日本の歴史でモデルにするべき「日本人が性行動に関して謹厳実直清廉潔白だった時代」っていつでしょう。縄文時代や弥生時代には詳しくありませんが、当時の人に「性の倫理」を期待するのは無理だと私は直感します。「結婚制度」と言ってすぐ思い出すのは平安時代の貴族の妻問い婚ですが、通ってきた男の牛車が女の家の前でバッティング、なんてことも稀ではなかったそうです。その場合出遅れた方は別の家に行くわけで、ある程度制度はあるけれど、基本はフリー。まして当時の庶民にどんな「性行動の厳しさ」が要求できます? 江戸時代の武家(それも上位階層)の奥様はおそらく「性の乱れ」の正反対に近かった(そういう社会的要求を受けていた)はずですが、あれだけ警戒が厳重だった江戸城のハーレムでさえ歌舞伎役者を連れ込んだりしていますからねえ、どこまで倫理規範が本当だったのやら。戦前は、赤線とか夜ばいとか「妾を持つのは(あるいは女遊びは)男の甲斐性」とか、それなりに刺激的な言葉が時代に散りばめられています。「男は自由だったが、女は不自由だった」のかもしれませんが、その「自由な性行動をする男」のお相手は女ですよねえ。もしかしたら性行動が“自由奔放”なのは、日本の“伝統”なのかもしれません。
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