昼の弁当もそろそろ終わろうとしていた時、机の上の書類が一つ気になって確認しようと、弁当の最後の一口(固めの焼き鳥)を口に放り込みもぐもぐしながら体を捻って院内LANのマシンを起動した瞬間、息ができなくなりました。喉に何かが引っかかり、咳をしたら吹き飛ばせそうなのにその咳をするための空気が肺に無い状態で、ならば空気を吸おうとしても全然入っていかないのです。とにかく口の中のものを出そうと流しに向かっていると一瞬だけ空気が通りました。「ひゅー」という弱々しい喘鳴とともに。で、1秒くらいで流れが止まるのでもう一回首を捻ってみるとまた「ひゅー」が1秒。これは困った、と流しの前で困っていると、わらわらと医局の人が集まって背中をドン。これでカケラが飛び出て、やっと息ができるようになりました。ただ、しばらく嗄声しか出なかったところを見ると、肉(あるいは軟骨)のカケラは声帯あたりに引っかかっていたものと思えます。
後で、自分で自分にハイムリッヒをすれば良かったのかな、とも思いましたが、なかなかいざ自分がそういった状況になると冷静な判断や行動はできないものです。いろいろ頭は考えてはいるんですけどね。
しかし冗談抜きに、死ぬかと思いましたが、つくづく窒息って苦しいものです。自分が死ぬときに、もし選べるのなら窒息は選択肢から除外したいものですが、喘息や慢性閉塞性肺疾患の人は、発作時や普段の呼吸時にあんな感じで苦しい思いをしているんだなあ、と思うと、つくづく同情します。呼吸って、ふだんは何も考えずにやってますが、本当に大切な作業です。
実はついこの前、私が“主催者”として病院の緊急呼集の抜き打ち訓練をやってまあまあ成功裡に終わったばかりなのですが、そのあとの実戦第1例に自分自身がならなくてよかったよかった。
本日の教訓:食事のときは食事に専念しましょう……って、ふだん子どもに向かって言ってることでした。
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解剖書を読んだら人体の構造がわかる、と思うのが記者。
実際に人体解剖をすることで生死の重さと人体の神秘に打ちのめされた経験を持つのが医者。
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