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「シーザーは帝王切開で生まれた」は伝説ですが、「帝王・切開」と読んで「帝王を切開したら怒られるよ」は戯れ言です。
英語で帝王切開は a Caesarean section でたしかにシーザーの切開とも読めますが、これに関する言語学的な考察は専門家に任せて、ここでは医学的な考察というか思いつきを。
もし私が古代ローマの産科医で「帝王切開」を実行しようとしたら、その障害となるのは、痛み・出血(止血)・解剖学的知識・感染です。どれもきちんと把握・管理できなければ患者は死ぬあるいはひどい苦しみを味わうことになります。
まず痛みですが、私が習った麻酔では、帝王切開はまずは(私が目撃あるいは研修で体験した例ではほとんどが)硬膜外麻酔で始めます。全身麻酔をかけちゃうとその麻酔薬が胎児も眠らせてしまって出産直後におぎゃーと息をしてくれないから、切開をするお腹の部分にだけ麻酔をかけるわけです。無事胎児が取り出されたら全身麻酔に移行して母親には寝てもらってました。お腹がこっぽり開いた状態ではやはり気管内挿管がしてある方が全身管理が安全で楽ですから。しかしそんな器用な手技と薬品が古代ローマ時代にあったとは思えません。やるとしたら生身(無麻酔)ですが……
次は出血。「血が出たら止めればよい」は、現代の止血用の知識を頭の中に持ち止血用の道具がいろいろそろっている人の発想です。火縄銃の時代に西洋では熱した油を傷に注いでいたことを知っている人もおられるでしょうが、その手技を劇的に改良した“近代外科学の父”パレがもう一つ有名だったのが四肢切断です。彼は四肢切断の成功率(生存率)を劇的に改善しました。成功の秘密は解剖学の知識を生かして「血管を結紮して止血をすること」。「なにを当たり前のことを」と思ってしまいますが、パレの時代にはまだ“それ”は当たり前ではなかったのです。血液が血管の中を流れていること(生理学の知識)、そしてその血管がどこにあるか(解剖学の知識)、その両者がそろった上に優れた外科医の技術がふるわれた時、初めて近代外科が成立したのです。
帝王切開でも事情は同じです。カエサルの時代の医学では、ヒポクラテス派だと「動脈にも静脈にも血液が存在するが循環はしていない」ですがエラシストラトス派だと「静脈には血液が存在するが、動脈は空洞でプネウマ(精気)が流れている」となります。どちらの主張を採るにしても(あるいはそれ以外の派の主張を採っても)、出血量を抑えるためあるいは止血をするためにどの血管を制御するべきか、そもそも血管がどこを走っているかわからない状態では手術の成功は望めません。(古代ローマでは人体解剖は禁止されており、医者は(エジプト由来のものを除いて)人体解剖学の知識を持っていませんでした)
さらに子宮の解剖(特に筋肉繊維の走向)を知らなければ、どう切ったら一番望ましいかもわかりません。しかも切ったら縫わなければなりませんが、その糸をどうするか、の問題が生じます。
シルクロードは古代中国と古代ローマをつないではいましたが、シーザー(ユリウス・カエサル)の時代には中国から絹はまだローマにはもたらされていなかったはずです。もしあったとしても貴重な絹織物をほぐして糸にしてそれを傷の縫合に用いることを古代ローマ人が思いついていたかどうか……
そして最後に感染。これについては多くを語る必要はないでしょう。感染予防の知識と技術がない状況で帝王切開をしたら、術後に母親は腹膜炎を起こして死亡することがほぼ確実です。
実は、古代ローマでも「帝王切開」は行われていましたが、それは「死んだ母体から胎児を取り出す」ことを意味していました。カエサルの母親がカエサルの生誕後も生きていたことから、「シーザーが帝王切開で生まれた」はガセ、が今回の私の結論です。
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