今回は気楽なタワゴトです。
明治政府も国有財産の民間への払い下げをやってましたし、きっと「かんぽの宿」の払い下げも“先例”にならってのことかな。なにやらストップがかかりましたが、これも次の選挙で大臣が替わるまでのパフォーマンスとどなたかは高を括っていることでしょう。で、かんぽの宿がオリックス不動産にめでたく売却できたなら、つぎは国民年金(ついでに国民健康保険)事業をオリックス生命に払い下げしたいのではないでしょうか。それが難航するようなら、オリックスが出資したゾロ品メーカーに日本の後発品市場を提供してツナギとするのかな。
ただ、明治政府の場合はまだ「日本のため」というタテマエが言えました(ホンネは、自分と仲良くしている財閥のため、であったかもしれませんが)。では外資に支配されている私企業への大サービス価格での国有財産払い下げにはどんなタテマエを言い立てましょうか。そうそう「わたり」禁止で人の流れが停滞しそうです。そういった人を救うためとオリックスへの奉仕を兼ねて新機構を官民共同で立ち上げ、だったら“すべて”が丸く収まりそうですね。となると、「民活」「第3セクター」に次ぐ新しい名称を募集して、名目は「官僚の専門知識と、小泉政権での規制緩和委員会で大活躍した民間人の知恵を活用」とすればよさそうです。ただし、規制緩和(たとえば人材派遣)や「改革」で日本がどうなったか(本当に改革するべき政治と行政にきちんと手がつけられたか、日本の経済情勢の実体がどうなったか)には、触れてはいけません。
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ヒポクラテスの4体液説は(一部で)有名ですが、日本の漢方医学で体内を流れているのは「気血水」の3種です(現代日本ではなぜかヒポクラテスの方が有名ですが)。で、「気」に関しては「元気」「病気」「気分」などのことばがありますが、どうも「気」の“実態”がつかみにくいせいか、体に関しては「血」の方が生き生きとした日本語としての言い回しがはるかに多いように思います。
たとえば「血眼で探す」という表現があります。これを“真面目”に医学的に考えると、刮目(目をこすること)をしていて充血したとか、あるいはずっと目を瞠(みは)っていて砂埃が入って結膜炎にでもなったかな、と言えます。
「目が血走る」。血が走るとは穏やかではありませんが、これまた派手に赤くなった「血眼」のようなものかもしれません。そういえば「結膜下出血」という病気があります。白目の部分がべったりと赤くなって、見つけたら一瞬ぎょっとします。皮膚の下の出血だと青あざに見えますが、白目の部分だと血液の色がもろに見えるのです。大体の場合はしばらく経ったら吸収されるのですが。
「頭に血が上る」という表現もありますが、「頭に血が上らなければ、脳貧血だよ」とツッコミを入れたくなります。解体新書で紹介されるまでは血液循環説は日本では知られていなかったはずですが、それでも頭に怪我をしたら出血することから「ふだんでも頭に血が存在する」ことは知られていたはずです。ということは「普通以上に血液が上がってくる」とこのことばは解釈するべきでしょうね。
「血に飢える」はきっとドラキュラの親戚なのでしょうが、「血も涙もない」はミイラ男の親戚かな。
「血が沸く」というのも凄いですね。血管の中で血液がぐつぐつと沸騰するのでしょうが、タンパク質が熱変性しないのかな、と心配になります。
その結果が「血祭り」とか「血道」でしょうか。両者の共通点は「上げる」ことですが、具体的に想像したらちょっと近寄りたくありません。(だって、血まみれの祭りとか血だらけの道ですよ〜。足が滑ってあぶない)
そういえば「血気盛ん」ということばもありました。「気」と「血」とがそろって盛んなのはめでたいことです。
……しかし、結局体内の「水」はどこに行ってしまったのでしょうか。あまり血が騒ぐもの(体のあちこちの微小循環で「血が沸」いて、体内は大騒ぎ?)だから、あきれて鳩尾(=水落ち)から全部流れ出てしまったのかな。
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