◎学力調査
全国学力調査の結果を「全面公開しろ」「公開するな」でもめているようです。
もちろん文科省には過去の「全国学力テスト」での過熱ぶりがトラウマになっているのでしょう。あのとき、どこの県でしたっけ「全国テストで一位になる」ことだけを目標に頑張っちゃって、結局“副作用”が大々的に出てしまったところがあったはず。
だけど。私は、一般人としては「公開しないのだったら、何のために大金かけて大々的に調査をしたんだ?」と思いますし、医者としては「診療で言うなら、検査データを今後に生かさないのだったら、最初から検査の必要性はなかったのでは?」とも思います。さらに疑問に思うのは、「データをどう生かすか」の基本方針は発表されていましたっけ? 単に数字だけ見て地域ごとや学校ごとに「勝った」「負けた」を競うだけだったら、あまり意味がないような気がするのですが。発表されてから考えるのではなくて、教育のグランドプランの中でそのデータをどう生かすかが明確にされていないと、単に数字を見て右往左往するだけでしょう。
……ところで「良い学校」とは、全国学力テストでよい成績を取る学校のこと? ということは「良い生徒」とは学力テストで良い成績を取る生徒のことなんですね。学校や生徒・学生にはそれ以外の“価値”はなし? これもまた「グランドプラン」の中で考えておくべきですよ(たとえば「“良い学校”はどこかを調べるために学力調査を利用する」と明記するとか)。
◎代理ミュンヒハウゼン症候群
ミュンヒハウゼン(英語ではマンチョウゼン)は実在の人物ですが、ビュルガーやケストナーの『ほらふき男爵』で有名です。で、そこから名前が取られたのが「ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれる病気。虚偽の話をしたり自ら怪我をしたり病気のふりをすることで、何らかの利益(周囲からの注目や関心とか、疾病利得)を得ることを目的として行動します。保険金を詐取したりするための「詐病」とは違って「自分が病気であること」を認めてもらうことが最大の目的なので、そのためには手術など自分が“実害”をこうむることに対しても非常に積極的です(手術をしてもらうまでドクターショッピングを繰り返すこともまれではありません。私は外来で何度かその疑いを持ったことがありますが、とにかくみなさん話の持って行き方が巧妙です。なにしろあちこちでたっぷり“経験”を積んでいますからね、こう言ったら検査や処置を断られる、というパターンを学習していてそうならないように話を進めてくれます。矛盾点をついても全然たじろぎません。即座に話を塗り替えるかそれを“学習”として次の医者に向かっていきます)。
で、その「病気になる」対象が自分自身だとミュンヒハウゼン症候群ですが、他人だとあたまに「代理」がつきます。他人を怪我させたり病気にすることで「心配して献身的に看護するけなげな私」を演出するわけ。病気にする(傷つける)対象はほとんどが自分の子ども、ときに配偶者です。
今回の「古くしたスポーツドリンクを子どもの点滴に混ぜた親」が、代理ミュンヒハウゼンなのかただの児童虐待なのかは私にはわかりませんが、もし前者だとしたら、これは親が病院を訴える医療訴訟のネタにならないかと思いつきました。論点は二つ。
・自分は病気なのにそれを発見してくれなかったのは病院の落ち度である。
・子どもの様態が悪くなるように自分を放置したのは病院の管理体制に責任がある。
ということで、病院はこの親に賠償をしなければなりません。
さて、こんな民事訴訟が起きたら、判決はどうなるでしょう?
常識だと病院が勝つでしょうが、今の日本は非常識な世界ですからねえ。ただ「入院した子に母親が付き添うと言い出したら、病院は親子の完全監視をしなければならない」ことになるようでしたら、現場の負担が増えすぎて本当に困ったことになりそうです。
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「風邪をうつされた」という言葉は良く聞きます。しかし、そう言っている人が今他人に風邪をうつしている(現在進行形)ということに対して何か特別に他人を意識しているように見えることはあまりありません。人が気持ちを持つ方向というのは、なかなか不思議な方向に限定されてしまうもののように私には見えます。
風邪のとき「早く治るように、良く効く注射を打ってくれ」「注射で一発で治してくれ」と言う要望は今でも外来で私はときどき聞きます。今はもうありませんが、たしかに昔は「風邪用の注射液」というものがありました。鎮痛解熱剤やカフェインやその他もろもろをよくぞこれだけ混ぜた、と言わんばかりの内容でしたが、不幸なことにショックを起こして死んでしまう人が出たために日本では発売が中止になってしまいました。そもそもこれらの薬は「風邪を治す」わけではなくて「風邪の症状を一時的に軽くする」だけの作用を持っているだけなのですが。(→08年4月4日「死語〔18〕風邪の注射」)
私は風邪に対しては基本的には薬があまり好きではありません。「風邪を治す薬、というのはありません。できれば休んで安静にしていてください。風邪に効くのは、薬じゃなくて安静と保温と栄養です」と言うのが好きです。でもでも、好きな時に好きなように振る舞うことができるのなら、悩みやストレスは人間には生じないでしょう。外来に来る人たちもいろいろな事情を持っています。約束や仕事があるため、自由に休んで安静を保つ、ということができない人はいくらでもこの世にはいます。そして、それはもちろん、私も同様です。
何年前のことでしたか、ひどい冬の風邪が集団発生した年のことです。普段は静かな私の外来も珍しく人がにぎわっていました。ところが私も風邪をひいてしまい、高熱でふうふう言っていました。とりあえずインフルエンザでも細菌感染でもないので「特効薬」はありません。自分の免疫力でウイルスをやっつけることができたらそれで病気は終了です。それまでに他人にうつしてはいけませんから、マスクはします。
その姿を見て患者のλさんが気の毒そうに声をかけました。
「おかだ先生、風邪ですか?」
「そうなんです。皆さんが私の前で咳をして帰られますからしかたないんですけどね。今日はあまり私に近寄らない方が良いですよ」
「ふうん、医者の不養生ですね」
「でしたら、養生しても良いです?」
「?」
「養生するために帰って休む、ということです。外来に穴が開きますけど」
「それは困りますよ」
「だったら私はこのまま『医者の不養生』をしなくちゃいけないですね」
「……そういうことになりますか……お大事に」
「それは本当はこちらのセリフなんですけどね」
もちろん、メタボばりばりで改善の努力を全然しないとかアルコール漬けやニコチン中毒の医者に向かって「医者の不養生」と言うのは、間違いではないでしょうけれど。
まあ、こういった冗談は抜きにして、誰か、医者が苦しんでいる時には「養生しても良いよ」と言ってくれませんか?
もっとも、体調が不良になる度にしっかり養生していたら、開業医なら食っていけなくなるし、勤務医なら病院をクビになるのがオチでしょうね。何より“世論”がそれを許してくれそうにはありません。幻聴かな、こんなおしかりが聞こえてきます。「なにぃ、休みたいだと? こちとらがふうふう言いながら仕事をしているのに、なに甘いこと言ってやがるんでぇ。そんなことは休み休み言え!」
……いや本当に時には、文字通り休み休み、言いたいですぅ。
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