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2008年12月18日(木曜日)東京の妊婦死亡で医療界と行政に望む=清水健二(東京社会部)
 この中で「厚労省は、受け入れ先が決まらなかった患者が死亡したり重い後遺症が残ったケースについて、医療機関に自治体への報告を義務付ける法整備や行政指導に乗り出すべきだ。「搬送に1時間以上」「拒否が5病院以上」のような線を引いても構わない。報告があった事案は、各都道府県に設けられている周産期医療協議会で検証し、結果を遺族や患者本人に伝える。国民にも匿名の形で開示するのが望ましい。」が清水さんの主張のキモのようですが、これって「認知療法の提唱」だな、と私は感じました。「加害者」が誰がはっきりさせれば「加害者」は加害行動を控えるから、それで事態は改善するにちがいない、という発想がぷんぷん臭うのです。

 ここで私は「認知療法」「行動療法」ということばを想起しました。(どちらも心理学の用語です)

 まずは「認知療法」。ダイエットで「自分が口に入れるものを一つ残らずノートに記録する」という手法がありますね。これがわかりやすい認知療法の例です。本人が無意識にやっていることで困った結果が生じているのなら、その「無意識」を「意識」に浮上させることで気づきを生じさせ自発的にその困った行動を控えさせようとする手法です。
 しかし、今さら「医療が崩壊していることを認知しなければならない」と主張する理由が私にはわかりません。どのくらい危機的な状況かは、医療者は今さら認知しろと言われなくても毎日毎日(新聞じゃなくて、everyday)確認しているのですから。
 結局「被害者」が出現した、ということを公表させることで「加害者」を生産し、それを叩くことで自分の生計を立てようとでも思っているのか、と悪意に傾けて考えてしまいました。医療者に対する悪意を隠そうとしないのは毎日(everydayじゃなくて新聞)の側ですけれど。
 善意に考えるなら、この記事の著者は結局「現実」ではなくて「ことば」の世界に生きている人なのでしょう。だからこそ、「認知」することで「ことば」を「現実」と交差させそれによって「ことば」に裏付けを与えることが自分にとっては最良(あるいは自分に可能な最大限)の行動に思えるのでしょうね。
 私は「なにを甘ったれているんだ」と感じます。救急から電話があった時救急病院の現場がどうなっているか、救急車が止まっているように見える時その中で一体何が行われているか、それらをきちんと「認知」していないのは、マスコミの側でしょ。そんな人間が“雲の上”から「お前らは現実を認知するべきだ」とえらそうに述べるのは、甘ったれた(現実を認知せずに他人には「認知しろ」と平気で要求する)態度で(「加害者」をもっと作りたい)悪意を垂れ流しているだけにしか見えません。
 そもそも我々から見たら、ことばと現実は「交差」するものではなくて、べったりと「密着」しているものなのです。

 讀賣の主張とそれに賛同した一部政府高官の「医者の強制配置」はいわば行動療法のようです。「ごちゃごちゃ言わずに、俺が言うとおりに動けば良いんだよ。とにかく動け。そうしたら未来は明るくなる」と言っているみたい。
 ついでですが、本当の行動療法ではそんなことは言いません。あれがターゲットとしているのは「人の心理」です。心身一如のように、心と行動は密接に関係しているから、心に影響を与えるためにまず行動を変容させるわけ。人を奴隷やロボットにすることを目的とはしていないのです。その点でもし「心理」ということばを使うなら、「(自分ではなくて)他人を無理矢理動かすことで事態を改善できると信じる(信じたい)」讀賣や一部政府高官の「心理」の方にはちょっと興味が持てます(ちょっかいを出す気はありません。心理療法には本人の困っているという自覚と改善の意欲と心理療法を受けることの承諾が必要ですから)。

 認知療法にしても行動療法にしても、どちらも有効な心理療法です。ただし大きな前提があります。クライアントの合意があること、そのクライアントが抱えているタイプの心理学的問題の解決に“その療法”がマッチングしていること。その二つが満足されなければ、心理療法に限らずどんなに“良い療法”も空回りをします。やる側の自己陶酔だけが目立つ“酔い療法”でしかなくなってしまうのです(繰り返します、それは認知療法と行動療法だけの話ではありません)。

 ここまでは心理学的なお話。私は内科医ですからここから自分の領域に話を引きつけましょう。

 「救急受け入れ困難」「産婦の緊急受け入れ困難」は「医療崩壊」の原因ではありません。医療崩壊を日本国の病気としたら、その多彩な“症状”の一つです。そこで必要なのは根本療法。「臭いものに蓋をする」ではなくて。ところが毎日新聞や讀賣新聞が主張しているのは、根本に働きかけるものではなくて、たとえ有効だとしてもしょせん“対症療法”でしかありません。
 赤痢や腸チフスやコレラが大流行したとしたら、治療に必要なのは何でしょう。下痢止めですか? もちろんそれも必要でしょう。脱水に対して輸液も必要でしょう。だけど、目の前にある「下痢」という症状にばかり目を奪われて対症療法にだけ血道を上げるのは、医者として“正しい”態度とは言えません。体内で症状の陰に潜む病原菌が病気の“原因”なのですから、病原菌退治をする、そういった根本的な治療が結果として症状を鎮めるはずです。それを忘れて「下痢だ」「発熱だ」「どうしようどうしよう」とひゃあひゃあ騒ぎ回る態度は、医者である以前に、理性を持った大人が採るべきものではありません。(ついでですが、「医者の偏在」が医療崩壊の根本原因と主張する人は、私から見たら「病気の原因は高熱。だから体温計の目盛りを下げれば、病気は直る」と主張しているだけに見えます)
 しかしそれでお終いにしてはいけません。さらに深く思考しましょう。
 「病原菌をたたけば病気は治せる」と先ほど私は主張しましたが、実はそれだけではまだ不十分です。その病原菌がどこから人々を襲ったのかを考える必要があるのです。赤痢や腸チフスやコレラが流行するということは、要するに患者の糞便で汚染された水を人々が飲む状況があるということです。ならばその水環境を改善しなければなりません。井戸や上水道の検査をする・下水道を完備する・衛生教育をする……そこまでやって初めて「根本的に病気に対して手を打った」と言えます。(えらそうに書きましたが、これは19世紀にウィルヒョウが言ったことばの焼き直しです)

 私の主張を整理します。
 医療崩壊を日本の“病”とみなせば、その“症状”の一つとして「救急車の受け入れ困難」「産婦の救急受け入れ困難」などが生じていると言えます。したがって“対症療法”に熱中してもそれは根本解決にはなりません。ではどうするか。日本の社会自体に働きかけるしかないでしょう。医療だけではなくて、他のシステムも含めて(政府の機構とか、日本人の死生観なども私は考えています)。まずは「ユーザーが提供を望む理想の医療」と「現実に提供可能な医療(とそのコスト)」についての調査から。
 “現実”を正しく認識していないと結局“対症療法”にもならない思いつきの干渉が連発されるだけになってしまいます(ちょうど今の新聞がやっているように)。まずは、マスコミと政治家に“認知療法”が必要かな。「医療崩壊についてえらそうな記事を書く人は、その前に1週間救急病院に滞在すること」なんて“インターン制度”はだめかしら? あ、だめですね。役立たずにでかい顔でうろうろされたら、救命の邪魔だ。


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2008.12.20 07:00 |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 一般的ではない病床

 私が以前から気になっていることばの一つに「普通」があります。いや、「普通」そのものは問題ありません。それが何かの頭にくっついている時、どうも気になるときがあるのです。

 たとえば「普通学級」。そこは「普通の学級」なわけです。ではそうではない学級=「普通ではない学級」とは何でしょう?
 たとえば「普通(科)高校」。では「普通ではない高校」って、何でしょう?

 同様に「一般」ということばがあります。「一般病床」ということばが私の身近にはあるのですが、では「一般ではない病床」って、何でしょう? 「普通ではない病気」の人が入院する病床? だけど病気は普通「普通じゃない状態」ですよね? 普通に「普通」「一般」ということばを使いがちですが、その「意味」を突き詰めて考えたら、結構「普通」と言うけれど実は「普通ではない」ものが普通にぼろぼろと出てきそうです。


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