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11月25日「完全/君子と小人」の補足です。(補足というより蛇足かもしれませんが、せっかく書いたものですから)
「他人の才能を評価する」ことも実は「人の才能の一つ」です。才能である以上、上手下手がありますが、それが下手くそな人間がやたら多いからこそ「自分には才能があるぞ」と外に形として示すための「資格商法」が世にはびこり、「自分は不当に評価されている」と人事評価で不満が渦巻くことにもなります。それでも「専門家」の場合にはまだ話が楽です。少なくとも使う物差しはその専門領域に関するもの一つですみますから(それでも「お前の判断基準はおかしい」と話がもめることは良くありますが、これはきっと物差しの縮尺が各人で違うのでしょうね)。
それが「評価するべき要素が複数」の場合には話はややこしくなります。それぞれの要素についてまずは各個に正しく評価した上で、さらにそれぞれのバランスを考えなければなりません。さらに「評価されるべき人」だけではなくて「その人がいる環境との関係」も考慮する必要があります。(戦闘力が優秀な軍人」は「経済市場」ではなくて「戦場」で(それも空軍なら空、海軍なら海で)評価されなければならないでしょ?)。
ところで日本では、複数の分野で才能を発揮することはあまり好まれません。「器用貧乏」「多芸は無芸」ということばがあるように、マルチタレントは低く評価されるのが日本の“伝統”です。「一芸は道に通じる」は一見最終的な「幅広さ」を高く評価しているかのようですが、そこでも重要なのは「まずは一芸(を極めること)」です。
ということは、マルチタレントを正しく評価することは、日本の“伝統”に反する行為ということになります。実際にやろうとしても、「他人を評価する才能」を欠いた人間にはそもそも無理ですが。
ではそういった人が他人の才能、特にマルチタレントを評価するにはどうするか。「完璧」を求めるのです。これなら低才能無能力の人間にも他人の評価が可能です。一点「瑕疵がある」ことのみを抽出すればいいのですから。
つまり、他人に完璧を求めること・他人のあら探しだけをすることは、そういうことをしている人自身の「自分の能力は低いという告白」でしかないのです。
ところで、「他人の才能の認知」は個人の才能(の一つ)ですが、「他人が自分より優れていることを素直に認める」のは才能より性格の問題です。嫉妬などに目をくらまされずに冷静に他人を評価できるのは、感情の領域ですから。その上で「現状の把握」をし、適材適所ができることはこれまた才能でしょう。「自分の回りに有能な人間(使える人材)がいない」とお嘆きの向きは、まずは一度自分の才能と性格を厳しくチェックした方がよいかもしれません。
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ただし評価する側があんまりボンクラだと、きちんとした評価事態ができなくなる危険性がありますが....
例、○○機能評価機構.....
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