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Doctors Blog

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 「「議員、官僚、大企業、警察等の信頼感」調査」によると、日本では国会議員よりはマスコミの方がまだ信頼感は高いそうですが……それでも医者の習性が働いて、マスコミのことばを信じ込む前にまずは「事実」の確認からです。

 
平成20年第25回経済財政諮問会議議事要旨」から引用します(11ページの部分)。
(麻生議長)67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやた
らにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になると
こちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているか
らである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の
分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれる
とか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。
病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに
来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタ
クシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけで
ある。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間し
たら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思
議に思ったことであった。
それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじ
めにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何
かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。

 非常に単純化して言うなら「不養生・不摂生をするから体が弱り病気がちになるんだ。そういった人は生活を改めることで“健康”になれる、あるいは病気が予防できる。自分が良い例だ。それで医療費が抑制できる」となるでしょう。(だったらそう言えばいいのに、同窓会だのよぼよぼだの枝葉をつけて言うからマスコミに適当に刈り込まれて“整形”されてしまうのです。
 ただ、病気の原因は不摂生だけではありません。たとえば、先天的なもの・遺伝・外因の病原(インフルエンザ・ノロウイルスなどの病原体や、森永ヒ素ミルクやサリドマイドや水俣病など)・事故・加齢など、個人としてはどうしようもないものはいくらでもあります。さらに、一見個人の不摂生に見えても社会的な強制(過重労働による過労死など)も。それらを除いた「個人としてなんとかできるもの(生活習慣病)」については個人で(生活習慣を)ナントカできないのか、とことばを惜しまず言えばいいのにそれをしないから、「首相は『病気は個人の責任なのにその金をなんで私が払うんだ』と言った」となってしまう。
 ということで、たまには首相の“弁護”をしてみました。

 私は、中曽根さんの原爆病院での「病は気から」発言を思い出しました。あれも「病気があっても元気を出し て」が真意だったはずですが、言った場所と選んだことばのマッチングが最悪でしたっけ。政治家だったら、「自分が言いたいこと」だけを言う(「真意」を押 しつける)のではなくて、最初から幾つかの異なる立場の人を聴衆として想定してから発言した方が良いんじゃないかしら。もちろん「究極の八方美人」が理想 の政治家かと言えば、必ずしもそうは言えませんが、この場合はわざわざ「敵」を作らなければならない状況ではないでしょう? 「敵」を作るには、作るべき 場所と状況は選ぶべきです。

 た・だ・し、ことばを惜しんだのか事実を知らないのかの区別もつきませんが、もし惜しんだのだとしても、あれでは、政治家としては失敗というか失格と言われても仕方ないとは思います。社会保障の理念(健康保険制度の原則)は、相互扶助であって“投資”(“払った金”の分に見合うだけの“利得”を期待する)ではないのに、上で引用した発言を素直に取ると首相は30年間それを理解せずに政治家を続けている、ということになりますから。公的な場での政治家の発言ではなくて「酒場でTV見ながらの無責任な放言」だったらOKなレベルですけどね。

 そうそう、上記の首相の発言、議事要旨を最初から読んでいるとどうも直前までの流れとつながりが悪いのも気になります。もしかして「言いたい時に言いたいことを言う。他人の発言は無視」のタイプ? それとも、それまで続いた抽象的で観念的でふわふわした議員たちの議論に対して(中には少しでも現実的な話をしようとしている人もいますが)、もうちょっと“現場”に足をつけた話を出したかったのかな。

 もう一歩踏み込んで考えてみます。11月22日に「読書感想『健康不安の社会学』」で書きましたが、「お上」が「個人の健康」に熱心に口をはさむのは結局社会の健康不安を助長させます。そこまで考えてから「政治家として」国民の健康に口を出さないと、良かれと思ってやったことが別の不幸を招くことになりかねません。政党の中のパワーゲームも複雑でしょうけれど、この世はもっと複雑なのです。

 

 ……あらら、弁護するはずが批判になってしまいました。だけど、ポジティブな批判だから、OKですよね?(と自己弁護)


※いつも思うのですが、政府の文書はどうしてやたらとPDFにするのでしょう。上で引用した中央調査社のページはグラフがあるので必要性が理解できますが、議事録のようにグラフやイラストが含まれない文字だけのファイルはふつうのテキストファイルで良いんじゃないかなあ。PDFは重くてかさばって扱いにくいのですが、なにか“事情”があるのかな。


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 お役所から病院に書類が来ていました。読んでみると、「○○を××されたい」「□□を××されたい」といった文章がいくつも並んでいます(「××」のところは「周知」とか「明記」とかです)。大げさに言うと「されたい」のオンパレードです。
 だけどこの文章の真意は「××をしろ」です。
 私の国語力では「される」は「する」の尊敬・受け身形です。で「され+たい」は「される+希望・要求」。尊敬語を用いることで命令形の強さを少しでも和らげようとしているのかもしれませんが、しょせん「尊敬」はことばだけで、真意が「逆らったら怖いぞ」であることが透けて見えるから、読んでいて微妙に気持ち悪くてしかたありません。そもそも、尊敬と命令は相性が良いとは思えません。単なる形式的な敬意はかえって相手に失礼です(慇懃無礼)。あっさり「○○を××すること」「□□を××しなさい」で良いじゃないですか。どうしても「された」を使いたいのなら「○○を××されたし」だったら、“命令”がわりとストレートに感じられるので、私は「されたい」ほど気持ち悪くはありません。結局意味は同じですけれどね。

※もしかしてもしかして、「される」は尊敬じゃなくて受け身? お役所から「病院は役所の思うがままに“され”なさい」とあらためて通達されているのかも。

 そもそも私の日本語感覚で「されたい」を使うとしたら……たとえば「あなたに優しく愛されたい」とか「あなたに優しく介抱されたい」といった用法となります。(しかしなんで「優しく」が並ぶかねえ。もしかして私は優しさに飢えている?)

 ところで相手への希望・要求として「されたい」を使うのは一般社会常識ではごくふつうのことなんですか? たとえばこういった文章を普通に書く人は家に帰っても「晩酌は日本酒二合にされたい」「今夜の風呂のお湯は、摂氏42度にされたい」とか言うのかしら? あるいは「今夜のセックスは1時間はされたい」とか……あ、これはこれで意味が通ってる?


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