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 「医師養成には国費が投入されているのだから、医師は国の言いなりになって動くべきだ。診療科の自由選択とか自分勝手な開業なんかもってのほか」と主張する人がいます。「国費が投入されていたらその恩恵を受けた学部生は自分の将来に関して国の言いなりにならなければならない」が“真”だとすると、国立大学の文学部を卒業した人は全員文学者にならなきゃいけないし、経済学部で学んだ人は当然全員経済学者でしょうね。だって“文学”部や“経済学”部なのですから、それ以外は認められない、と。そうそう、落第することも“罪”です。「税金の無駄遣い」になるのですから。国民の皆さん、それでよろしいですね?(ところで新聞記者さんたちは、何学部何学科の卒業なんだろう? アメリカのようなジャーナリズム学科は日本にはそれほどないと思うのですが)
 なんだか「養ってやったのだから、その恩に報いるために就職や結婚で子どもは親の言いなりにならなければならない」と主張している一部の封建的な親を彷彿とするのですが……子どもを養ったり社会に必要な人材を育成するのは、親や国の“義務”ではなかったのかな? 「“義務”を果たしたことで自分には特権が生じた」と声高に主張している姿は、控えめに言って、みっともない。

 ところで今回元次官宅を連続襲撃した小泉容疑者は中退とはいえ国立大学に在籍していたそうです。この場合「国費が投入されているのだから」の文脈を用いたら、彼には一体何を言えばいいのでしょう? 「国立大学で国民の税金を使って学んでいたのに、殺人犯なんかになりやがって」です? なんだかとっても虚しく響く言説なのですが……これはきっと話の前提が大きく間違っているのでしょう。


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 世間では最近あまり聞かれなくなったことばですが、ある種の裁判官とある種の弁護士とある種のマスコミはこのことばの存在自体を認めていません。どんな人でもとにかく救急室に運び込んだら助かるべきで、万が一そこで助からない場合はそれは医者の責任だ、と主張します。
 奇跡を期待してとにかく人間が努力しろ、と言うのでしょう。たしかに天命を待つ前に人事を尽くすことは必要です。手抜きをするのは医者としてあるまじき態度。でも、すでに三途の川を渡ってしまった人に救命処置をするのは「医療」でしょうか? そしてその救命処置を事後に詳細に点検して、手順の一部にでも瑕疵があればあるいは数秒の遅れでもあれば(ひどい場合にはそういったものがなくても)、鬼の首を取ったように訴えます。人の死は全て医師の“手抜き”がその原因であるかのように。

 病気や怪我の治療は、人の手でできます(できないこともあります)。しかし、「死」を治療することは人間にはできません。


 そして、奇跡が起きなかったことへの怒りをそこに居合わせた人間に対してぶちまけるのは、二重に間違っています。奇跡は人間が起こすものではありませんから。(奇跡を人に求めるのはお門違いです。で、願うのではなくて神に奇跡を要求するのは僭越な行為、と私は思っています。だから「二重」)

 ただ……「奇跡が待望される社会」は、社会全体に不幸が満ちあふれていることを示しているのかもしれません。だとすると、私がするべきことは「奇跡を求めるな」と言うことではなくて……


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