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2008.11.25 18:39 |  その他(一般)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 下らないやり取り

 なんでこんなことを堂々と報道するのか、と思うニュースです。「「チンピラ」発言に応ぜず=麻生首相
記事から一部引用します。
 2008年度第2次補正予算案提出をめぐり、小沢氏は年内採決に協力する考えを示したが、首相は「信用できない」と発言。これに小沢氏は「チンピラの言い掛かりみたいな話だ」と不快感を示していた。

 で、これを記者は「小沢さんが麻生さんのことを『このチンピラめ』と言った」と解釈したわけです。ネット上の検索システムだったら上記の文章から「チンピラ」という文字列を切り取って出典のデータとともにデータベースに登録することには何の問題もありません。だけど、知性のない存在だったらともかく、少しでも知性があれば「チンピラの言い掛かり」「チンピラの言い掛かりみたい」「チンピラの言い掛かりみたいな話」という文字列も並べて登録しませんか? そしてそれぞれの微妙な差異に注目するはず。問題は「チンピラ」という単独の文字列が登場したかどうか、ではなくて、それがどんな文脈で使われたか、なのです。

 これで私が想起するのは、オバマさんの「ブタに口紅」発言です。共和党側はこれを見て「(口紅をつけた)ブタ」はペイリンさんのことで女性蔑視だとしてオバマさんを攻撃する広告を出しましたが、オバマさんの文脈ではブタは共和党、口紅がペイリンさん。当然オバマさんの反応は「共和党陣営は罪のない発言を文脈を無視して取り出し、メディアの興味をそそると知りつつ挑発的な広告を打ち出した」となって、私の見るところでは結局共和党の戦法は逆効果でした。比喩の形を借りた「共和党はブタ」というオバマさんのメタメッセージが「単純な比喩さえきちんと理解できない」という“事実”によって強化されてしまったのですから。(少なくとも、比喩が理解できる人には逆効果だった、が正確な表現かな。たぶん共和党の広告をまっすぐそのまま受け取った人も多かったでしょうから。ついでですがオバマさんのあとの発言が、共和党だけではなくてメディアも皮肉っていること、大喜びで報道しているメディアの人たちは気づいていたかしら?)

 さて、今回このやり取りでマスコミが注目する点があるとしたら、小沢さんがただの「言い掛かり」でも良いのにわざわざ「チンピラ」という“単語”を選択して付加したことでしょう(私個人としては、下品な選択に見えますが)。ですからここでマスコミがするべき事は「親分親分大変だ、小沢さんが親分のことをチンピラと呼びましたぜ」と“ご注進”に及ぶ(そして自分好みの反応をさせようとしてスカされる)ことではなくて、「わざわざここでチンピラということばが選択されたことについて、どう思うか?」などと開かれた問いを投げかけることで麻生さんにもメッセージ(とメタメッセージ)を発するチャンスを与えることでしょう。その“チャンス”を瞬間的に最大限に生かす力量があるかどうかは、また別の問題ですが。

 しかし……こうやって報道されるものを見ている限り、(一部)マスコミ人の日本語に対する言語感覚の粗雑さ(たとえば単語に注目して文脈を無視する、など)には、頭が痛くなります。あれでよく“マスコミ”の仕事ができるもんだ。(これは直接的なメッセージです。特に複雑な含意はありません)
 「ことば」はマスコミ(と政治家)にとっては“商売道具”でしょう? 大工の鋸や鉋・料理人の包丁のようなもので、その道具をきちんと手入れし素人にはできない腕前で使いこなしてこそ「真っ当な職人」なんですが……
 もちろん「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」ということばもありますから、単に口先だけお上手であればいい、とは言いません。でも、少なくとも言語に関する基本的テクニック(ふつうの漢字を間違えずに読む、メッセージとメタメッセージの区別や比喩の精確な解釈、豊富な語彙……)はことばを“商売道具”として日常的に使う人には、最低限必要なことではありませんかねえ。基本がしっかりできた人が応用として“破調”を用いるのはそれは個性ですが、基本ができていない者がいっぱしの口をきいているのはただの下手くそな素人。少なくとも私のような言語の非専門家にこんなツッコミをされるようでは、恥ずかしいですよ。


※マスコミ内部の人は「あれは政治部だから……」なんて感想を持っているかもしれませんが、私からはそういった区別はできませんので(する必然性も感じませんので)「マスコミの人間」と十把一絡げにしました。


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 孔子は「君子は人が完全であることを求めない。小人は人を使う時完全であることを要求する」と述べたそうです(『孔子と老子』カール・ヤスパース 著、 田中元 訳、 理想社)。(「この文は論語のどこそこから」などと非常に細かく訳注をつけている訳者でも探し出せなかったらしく、この文の出典が本には書いてありませんでした。内容からして論語じゃないかなと見当をつけて、図書館で論語関係の本を借りて探してみましたが、おそらく『論語』第十三篇「子路」の「子曰、君子易事而難説也。説之不似道、不説也。及其使人也、器也。小人難事而易説也。説之雖不以道、説也。及其使人也、求備焉」でしょう。意味は「君子の下で働くのは容易だが君子を満足させるのは難しい。君子は人の能力や器量を見極め適材適所で使うが、人が道を外れていたらたとえいくら成果が上がっていてもそれをよしとしないから。小人の下で働くのは難しいが喜ばせるのは簡単である。小人は、人の能力以上を見境なく性急に求めるが、たとえ道に外れていても上手く立ち回れば単純に喜ぶから」です(訳は私がやったので、間違いがあったらそれは私の責任です)。読み下しのポイントは、「事」を「つかえる」、「説」を「よろこぶ」、と読むこと)

 たとえ孔子のネームヴァリューがなくても、この言葉には真実みがあると私は感じます。人の能力を見極めそれを適材適所で使いこなすのは「人の能力」の一つですが、君子と小人ではそれは天と地くらいの開きがあるはずですから。

 ……しかし、安易に他人に完全を求めるのが小人の証拠なのだとしたら、孔子から2500年も経った今の日本では、「医者が完璧であること」を安易に求めるマスコミにも法曹界にも政府にも、君子ではなくて小人が大手を振って闊歩しているということなんですね。もちろんそのターゲットにされている医療界自体もまたその例外ではないのかもしれませんが。


※他人にではなくて「自分は完璧であらねばならない」と思うのはどうなんでしょう。向上心のあらわれ? 強迫観念? それともこれも一種の小人の証拠?


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