どう生きるか・どう死ぬか、それはそれぞれの個人が自分で持つべき価値観です。個人の価値観である以上、私は他人の死生観に軽々しく口をはさもうとは思いません。逆に言えば私の死生観にも他人に軽々しく口をはさんで欲しくはないわけですが、それはともかくとして、私がどんな死生観を持っているかをちょこっと書いてみます。
まず大前提。「人は死すべき存在である」。好きか嫌いか、認めたいか否認したいか、といった個人的好みはともかく、永遠に生きる人はいない/この人生には終わりがある、は事実です。
その前提に立って、私は「生と死は不即不離であり連続している」と考えています。「どう生きるか」はその「生」だけではなくて「どう死ぬか」とも密接な関係を持っている、と考えているのです。ということは、ある人の死を否定することはその人の生をも否定することになります。ですから私にとって「生はOK、死はNG」ではありません。この両者は簡単に分離できないものですから。もちろん、末法思想流行時や世紀末思想流行時のような「どうせ生きていても同じだから早く死のう」ではありません。「どう死ぬか」が「どう生きるか」と直結しているのなら、中途半端な生は中途半端な死になるだけです。だから、まずはきちんと生きることが重要です。「生」のためだけではなくて、きちんと死ねるために。
出典は忘れましたが、チベット仏教の仏典にはこんなことばがあるとむかし読んだことがあります。
「お前が生まれる時、お前は泣き世界は喜びに満ちあふれる。お前が死ぬ時、世界は泣きお前は喜びに満ちあふれる。かく生き、かく死になさい。」
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私は、ある盆踊りを習っています。全国的に有名…かどうかわかりませんが、知る人ぞ知
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死ぬときに後悔しまくらないように、いつ事故や災害や事件などで突然死んでもいいように、心構え準備だけは常に怠ってはいけないと。
一期一会。
国語の点が悪かったので、読み返してどこに関連があるんだ?というものではありますが、触発されましたっということでトラックバックさせていただきたいです。
生きてるから会える、生きてるから別れる、生きてるから死ぬ……どれも似たようなもの、と言ったらアバウトすぎますが(^_^;)、私の意見にご賛同下さる皆さんはしっかり生きてしっかり死にましょう。しっかり生きる人のサポートもやりましょう。
……しっかり死にたい人のサポートは……ちょっと考えさせてください。これは軽々しく言わない方がよさそう(そのうちブログのネタに、ということも考えています(^_^;))。
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