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2008.11.15 21:06 |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 私の死生観

 どう生きるか・どう死ぬか、それはそれぞれの個人が自分で持つべき価値観です。個人の価値観である以上、私は他人の死生観に軽々しく口をはさもうとは思いません。逆に言えば私の死生観にも他人に軽々しく口をはさんで欲しくはないわけですが、それはともかくとして、私がどんな死生観を持っているかをちょこっと書いてみます。

 まず大前提。「人は死すべき存在である」。好きか嫌いか、認めたいか否認したいか、といった個人的好みはともかく、永遠に生きる人はいない/この人生には終わりがある、は事実です。
 その前提に立って、私は「生と死は不即不離であり連続している」と考えています。「どう生きるか」はその「生」だけではなくて「どう死ぬか」とも密接な関係を持っている、と考えているのです。ということは、ある人の死を否定することはその人の生をも否定することになります。ですから私にとって「生はOK、死はNG」ではありません。この両者は簡単に分離できないものですから。もちろん、末法思想流行時や世紀末思想流行時のような「どうせ生きていても同じだから早く死のう」ではありません。「どう死ぬか」が「どう生きるか」と直結しているのなら、中途半端な生は中途半端な死になるだけです。だから、まずはきちんと生きることが重要です。「生」のためだけではなくて、きちんと死ねるために。

 出典は忘れましたが、チベット仏教の仏典にはこんなことばがあるとむかし読んだことがあります。
 「お前が生まれる時、お前は泣き世界は喜びに満ちあふれる。お前が死ぬ時、世界は泣きお前は喜びに満ちあふれる。かく生き、かく死になさい。」



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 老人が転倒した時、股関節の骨折が問題となります。多くは手術(それも人工骨頭や人工股関節などの大きな手術)が必要となり、そのあとのリハビリテーションが上手くいけばいいのですが、痛みや意欲低下などでそれが上手くいかないと寝たきりになってしまうことが大問題です。寝たきりは、褥瘡発生や体力低下や廃用症候群や意識レベルの低下をきたすことでQOL(生活(または生命)の質)を落とし、寿命を縮め、家族の負担を増やします。銭が気になる人は「どうせ寝たきりになるのだったら、金をかけて手術をするべきではなかった」と言うでしょうが、その銭を気にする人がリハビリテーションを削ろうとしていた(今でも機会があれば削ろうとしている)ことを私はいつまでも忘れません。
 骨折の場所も重要です。私が学生の時には、頚部骨折でも大腿骨の頭の部分に近いところが折れると、頭の部分が壊死しやすいからそれは人工骨頭に置換しなければならない、その折れ方を「内側骨折」と表現する、と教わりました。同じ大腿骨頚部骨折でも、すこし外側だと「外側骨折」です。ことばだけではわかりにくいですね。「八王子整形外科」のサイトの図がわかりやすそうです。
 ここには「関節包の内側の骨折を大腿骨頚部内側骨折、関節包の外側の骨折を大腿骨頚部外側骨折としていました。しかし、最近欧米の分類に従い、関節包の内側の骨折を大腿骨頚部骨折とし、関節包の外側の骨折を大腿骨転子部骨折/大腿骨転子下骨折と分類する様になりました。」とあります。
 せっかく苦労して覚えた「内側」「外側」のことばは、今は使われなくなってしまったのです。
 たしかに「内側」か「外側」を区別するよりも、「(解剖学的に)どこが骨折したか」「その治療でなにが行われたか」の方が臨床的には重要です。今の医学生は、私たちの時よりは覚えるべきことが一つ減って、それは良かったですね、としか言いようがありません。(それ以外のことはどんどん増える一方でお気の毒ですが) しかし整形外科のドクターと話をする時、うっかり「内側骨折」と口走ったら「今はそうは言わないんですよ」と言われて恥をかかなければいけないのは、ちょっとイヤです。ちゃんと覚えておかなきゃ。


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