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 朝日新聞の経済面に「公貧社会」という連載があります。その第7回(11月7日)は「国民保険に税投入 広がる矛盾」「所得少ない人の医療は福祉の世界」「『加入者で助け合う』薄れる」という見出しでした。(残念ながらasahi.comでは見つかりません)
 「保険制度は、加入者の保険料でまかなうのがスジ」、というスジ論からは、保険に税を投入するのは矛盾でしかない、ということになる、という意見をまず紹介しています。あまりに税金を入れると「税金も保険料も支払っていない人間」も制度が支えることになって、税金と保険料を払っている人間が“不平等”な扱いになる、と。逆に地方自治体によっては「霞ヶ関の硬直化した発想よりは、住民の目線で」と町独自の福祉政策に税金を投入している例も紹介されています。ただしこの場合も、税収入の差によって自治体ごとに大きな“格差”が生まれるおそれがある、と朝日は懸念を示しています。

 保険だけで医療制度を自立させようとしたらどうなるか、は、アメリカの現状を見たらすぐわかることだと私は思うのですが……アメリカ大好きでさらに前例大好きの国で、どうして目の前にある「海の向こうでの実例」をきちんと見ようとしないのかなあ。経済原則だけで医療制度を運営したら、無保険者が大量に発生し、たとえ保険者でもよほどの金持ちでない限り「満足のいく医療」は全然受けられない事態になることが、あれほど明確に示されているのに。

 で、記事の最後は例によって「どちらを目指すのか、まずは「負担の思想」をはっきりさせることだ」と、「自分の判断」は示さずに丸投げ状態です。
 私の判断? 私は税投入は当たり前、の立場です。医療は福祉に両足ではありませんが少なくとも片足は突っこんでいて、その社会保障部分をまるまる「保険」でやるのは結局弱者切り捨てにつながる(=福祉の理念に反する)、と考えていますから。だからベースは保険料でそれにプラス税。私の立場から議論が必要だと思うのは(もちろん、私の立場が“採用”されたとして、ですが)、「保険料を支払えない人の保険料に税を充当する」(皆保険は堅持)か、あるいは「保険料を支払った人と支払わなかった人で差をつけた保険医療を採用する」(保険制度を二段階とする)か、の検討です。どちらが「公平」「平等」なのかどちらが「公正」なのか、現時点では私にはまだ迷いがあります。
 でも、こうやってちゃんと「自分の考え」を明示したら、賛成にしても反対にしても「議論」が始められるでしょ? 新聞はその点、だめだめな基本態度です。「問題点を指摘」だけして去っていく、なんて、もし医者だったら後ろからメスを投げられてもおかしくありませんぜ。誰が見てもわかる「この患者は熱がある。これは問題だ」の“指摘”ではなくて、なぜ熱があるのか、それに対してどうすればいいのか、一度口をはさんだ以上、ちゃんと医者としてのきちんとした判断を示さないのなら、それはただの野次馬です。やぶ医者以下。
 あれで飯が食えるとは、お気楽な世界だなあ。(と言って、去っていく おかだ)


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2008.11.08 06:56 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 死語(48)EMIスキャナー

 今ではポピュラーな機械ですが、「CT」はビートルズで有名なレコード会社EMIが開発をした、は割と有名なトリビアです。その証拠に日本に最初に入ったCT(1975年東京女子医大)は「EMI-MK1」でした。
http://www.nv-med.com/jsrt/pdf/2001/57_2/190.pdf
 当初は「EMIスキャナー」とか「CAT」とも呼ばれたことを、私は覚えています。

 「CT」は私が大学時代に普及を始めました。当時私が学んでいた大学には、その県で二つ目のCTが入った、と聞いた覚えがあります(一つ目はたしか開業医だったはず)。たぶん「億」の値段だったと思うのですが……今のものとは違って、頭を突っこむ穴は小さくガッコンガッコン音を立てながら撮影し、画像処理にもずいぶん待たされました。(撮影を始めて1枚目の「絵」が出てくるまで数分かかった記憶があります) がっこんがっこんは、患者の頭の回りの円周上でレントゲンを照射するのに、角度を1度だけ回してまた照射、また1度回して照射、を繰り返していたからです。
 さらに、私が初めて見たCTの所見は、フィルム写真ではなくて英文タイプライターの打ち出しでした。「X」とか「O」とかを連続的に打ち出すことで、遠目に濃淡を描写するやり方です。格好良く言うなら「アスキーアート」。大学にIBMの電気タイプライターがあったのでそれの“活用”実験だったのかもしれませんし、コンピューターからデータをフィルムに焼くシステムが高くて、学生相手には使いたくなかったのかもしれません。

 私が大学を卒業した頃には早くも第二世代が登場して普及を始め、呼び名も「CT」で統一されていたはずです。現在の普及タイプでは、頭だけではなくて胸や腹も撮影でき、データ処理時間は劇的に短縮され、画像も非常に精細になりましたが、当時は今から見れば原始的な性能でもとりあえずは満足していました。「頭の中の情報がない」と「画像で見ることができる」の差は、つまりは「ゼロと1の差」ですが、それは「1と2」「2と3」の差よりもはるかに大きいのです。


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