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2008.11.05 06:56 |  診療  |  恋愛 / 結婚  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 恋人か親友か

 日本語は柔軟な言語で、外国語もどんどん取り込んで「日本語」にしてしまいます。最初は違和感があっても、そのうちに誰もがその新しい単語を平気で使うようになり、さらに略語が定着したらその言葉は「日本語になった」と言えるようですが、逆にきちんと日本語にならずにいつまで経っても「横文字」のままで使われる言葉もあります。もちろん「リストラ」のように、略語で使われ完全に日本語として定着しているけれど本来とは違った意味で使われる単語も珍しくはありませんが、私は「日本語」になったんだから本来とは違う意味になるのも仕方なかろう、と考えています。


 私が住んでいる日本の医療界にも英語の単語がほとんど生のままでどんどん取り入れられています。もともと日本の近代医学が『解体新書』で西洋の医学用語をそのまま取り入れることで始まったわけですから、西洋の言葉を取り入れることは日本医学の「伝統」と言っても良いでしょう。ただしそこでも、日本語になるものとならないものとがあります。たとえば「インフェクション」は「感染」という日本語で問題なく使われていますが、「インフォームド・コンセント」「セカンド・オピニオン」「チーム医療」などは、きちんと日本語化されているようには私には見えません。それらの言葉はもちろん広く使われていますが、略語もできず人によってまったく違った意味で使われているように私には見えるのです。その大きな原因は、言葉そのものの問題ではなくて、言葉が示す概念が日本にこれまで存在していなかったためにそのことばが日本語として定着しないのだろう、と私は考えています。問題は「言葉」ではなくて「概念(言葉の中身)」なのです。
 では前記のそういった新しい概念がなぜ定着しないのか。私は「医師ー患者の人間関係」に注目したらそのへんが読み解けるのではないか、と考えてみました。



 私が医者になって違和感を感じた言葉の一つは、患者や家族からの「おまかせします」という一言です。外来の診察室で、病棟のベッドサイドで、私はこれまでの医者としての人生で幾度となくこの言葉に出会いました。「細かい要望は言いません。すべてドクターの裁量で動いてください」という意味だと私は「おまかせします」を解釈します。つまり、医者が独裁者となることを求められる、と。これは私としては困るのです。私は情報の共有を好みます。自分が最善を尽くすのは当然ですが、その最善の方向について最大限に患者側の要望を入れて自分が独走しない(自分の好みを他人に押しつけない)ようにしておきたいのです。それがインフォームド・コンセントの基本でしょう。しかし一度「おまかせします」と言われたら、その瞬間にインフォームド・コンセントは消滅します。

 また、口では「おまかせします」と言っておいて、陰では「ちっともこちらの思うとおりの治療をしてくれない」なんて言われるのも堪りません。だって、私にはテレパシー能力はないのですから、口に出して言ってくれないことは聞こえないのですよ。



 しかし、そういったタイプの医療を好む医者も、もちろん多くいます。「主治医である自分の方針にごちゃごちゃよそ者が口をはさむな」「『自分の患者』が自分に黙って他の医者にかかっただと? わかった、俺はもう知らん」「俺の言葉が信じられないのか」……なんだかとっても独占的で排他的、かつ「主治医が患者より上」という封建的な匂いがぷんぷんします。

 もちろん「需要」があれば「供給」もあるわけで、患者の側にもそういった独占的・封建的な人間関係を好む人もいます。

 そこに存在しているのは、患者から医者に対しては「私はあなた一筋。すべてをあなたに賭けるからあなたもそれに応えて欲しい」、医者はそれに対して「わかった。自分にすべてまかせなさい」。これはいわば一対一の「恋人型」の人間関係と言うことができるでしょう(医者から見たら一対多ですが)。

 その結果、他の医師にかかるということは「浮気」となり、患者は後ろめたい気持ちを持ちながら他の医療機関の門をくぐり、それを知った主治医は「俺の顔を潰した」と怒ることになるのです。日本でセカンド・オピニオンという制度も言葉もきちんと定着しにくいのは、この「恋人」意識が強いせいではないか、と私は感じています。そして、主治医の患者独占意識があまりに強いと、当然のことですが、他の職種のメンバーが治療に関与するチーム医療も成立しません。


 二十世紀末の「高機動幻想 ガンパレード・マーチ」という非常に面白いゲームに登場する、一見プレイボーイタイプの瀬戸口というゲームキャラクターがよく口にするセリフは「恋人は一人しか持てないが親友なら何人でもOK」です。プレイボーイがこんなセリフを言うとはなかなか意味深ですがそれはともかく、そろそろ日本の「主治医ー患者」も「恋人タイプ」から「親友タイプ」に脱皮しても良いのではないか、と私は思います。つまり、一対一の独占的封建的排他的な人間関係から、多対多の濃密だが独占的ではないある程度開かれた人間関係に基づく医師—患者関係です。こういった人間関係を作る覚悟を多くの患者も医師も持つことができたら、その時日本の医療は新しい局面を迎えることができるのではないか、と私は期待しています。そうしたら、「インフォームド・コンセント」「セカンド・オピニオン」「チーム医療」などは、今よりもっともっとポピュラーなことばになることができそうです。



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奴隷医解消に必要なことですよね。

医師の意識としても、患者と家族の意識としても。
written by Paul Carpenter / 2008.11.05 08:59

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