新聞の見出しには「小6男児、給食のパンをのどに詰まらせ窒息死…千葉・船橋」とあります。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、給食のパンかそうでないかは本質的な問題ではないと思います。(見出しにはその記事の「本質」が凝縮されているものでしょ?)
「こんにゃくゼリーで死者」で書きましたが、こんにゃくゼリーを敵視することが「解決」ではないことがこんなに早く証明されてしまいました。まさかこれで野田消費者行政担当相は「パンも規制」なんてことは言い出さないとは思いますが、言わなければ言わないで「じゃあ、なんでこんにゃくゼリーは問題にした?」というツッコミが山ほど入りそうです。目先の「敵」を叩くことに夢中になるのではなくて、行動には一本論理の筋を通しておくことがいかに重要か、の実例ですね。他山の石にしなくては。
校長の談話で「学校の対応に問題はなかったと思う」は……「最善は尽くしたが、残念です」だったら良かったのに。「問題があったかなかったか」はこの場合には自分で決定するものではありませんから。気道の確保の方法とか、ハイムリッヒ法(鳩尾(みぞおち)を圧迫してのどに詰まったものを吹き出させる)を全教員ができるべきだとまで主張はしませんが、もしこれが訴訟になって「学校の責任」がもしも確定したら、教師は全員それこそ救命救急士の資格も持たなきゃいけなくなります。これは勘弁。教師はとりあえず教育のプロであって欲しいので。
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「便秘だから薬を下さい」という患者さんからのリクエストに、診察もせずに二つ返事で「はい、この薬をどうぞ」と応える医者の対応は(あまり大きな声では言いたくありませんが)、内科医としてはあまり感心できません。なぜなら「便秘」の原因は一つだけではなく、したがってその「薬」も一つではないからです。
たとえば「便が出にくい」病態としては、理論的には次のようなものが考えられます。
1)便が硬くて通りにくい
2)腸の運動が弱くて押し出せない
3)腸のどこかが非常に狭くて(あるいはふさがっていて)便が通りにくい
4)腸が非常に膨れていてそこに便を貯め込んでいる
5)便の量が少なすぎて出すべきものがない
6)実はちゃんと出ているが本人にその認識がない
7)その他
代表的なのは1)でしょう。それへの対策は、水をたくさん飲む(便をふやかす)・繊維質をたくさん食べる(繊維が水を保持しやすい)・便を軟らかくする薬を使う、などが考えられます。しかしそれは2)への対策としては無効です。2)に対しては、全身の運動や腸の運動を良くする薬が有効でしょう。つまり1)と2)を見るだけでも「便秘の薬」はまったく違うものになるのです。さらに3)や4)になると、内科よりは外科の方が有効な手段を持っている場合があります。
5)は、要するに絶食などしたら便が減った、という場合です。たとえば全身状態がとても悪くて点滴で命をつないで数日食べられなかったら便秘になった、ということはよく見ます。そのときなぜか「(息も絶え絶えの)全身状態」ではなくて「2日排便がない」ことの方を問題視する人がおられますが、できたら全身状態の方を見て欲しいな、と私は思います。
6)は認知面での問題ということになります。毎日きちんと排便があってもなぜかそれが不満で「もっとたくさん排便量があるべきだ」「もっと回数が多くあるべきだ」などと言われる人もおられます(時には○時○分にきちんと出るべき。それ以外は出たことにカウントしない」と主張される人も)。さらに、排便量が増えればダイエットになる、と通じ薬(多くは便を軟らかくする薬)を一気飲みしていて薬が効かなくなった、なんて人も。ただし、「毎日排便があっても実は便秘」ということもありますから、これは医者の方に注意が必要です。お腹の中の滞留時間が異常に長くて、たとえば今日の排便は10日前に食べたもののなれの果て(標準的な人では大体24時間で出てきます)、というような場合です。こういった場合には「毎日排便はあるけれど便秘症」と言ってもよいでしょう。
7)は、たとえば薬の副作用とか、腹筋が弱っていて踏ん張りがきかないとか、自律神経のバランスが崩れて腸の動きがばらばらになっているとかの場合が考えられます。
たかが便秘ですが、こういった基礎的なものをきちんと扱えるかどうかが、内科医としては腕の見せ所だと私は思っています(あまり注目してもらえませんけれどね)。
そして、便の固さがどれくらいか、便の色、排便パターンに変動があるか、放置したら何日くらい出ないか、腹痛があるかないか、あるとしたらどんな痛み方がどの辺にどんな時に出現するか、などの自分のデータをきちんと整理して医者に提示できるのが、患者としての腕の見せ所でしょう。
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