『ローマ人の物語』(塩野七生)の第III巻「勝者の混迷」に紀元前5世紀頃の古代ギリシアのアテネでの奴隷の値段ランクが載っています。高い順に並べると……
1 熟練技術者
2 一般職人(店長、職人、芸人)
3 舞踏や奏楽の技能を持つ女奴隷
4 家事従事の男女奴隷
5 非熟練労働者(農園や鉱山)
6 子供の奴隷
奴隷のピンとキリの値段の差が40倍。値段の差はともかく、並んだ順番はまあ妥当なものでしょう。私個人としては「3」がもうちょっと上でもいいんじゃないか、と思いますが、それは個人の好みの問題です。で、1の熟練技術者の売値は、最下層のアテネ市民の年収の2〜3倍。ちなみに当時のアテネ市民(両親ともにアテネ生まれの自由民で選挙権を有する成年男子)の数は4万人。店や農園の成年男子の奴隷が3万5千人、家事労働の男女奴隷が2万5千人、未成年の男女奴隷が1万人、鉱山の奴隷が2万人だったそうです。
興味深いのは1の熟練技術者の中身です。本書で例示されているのは、「医者、エンジニア、高級品製作の職人(例えば壺の絵付け師)」……なるほど、医者は奴隷だったんですね。それはそうでしょう。哲学・政治・教育などを論じることが“仕事”のアテネ自由市民が、ウンコやおしっこや吐物や血液にまみれる汚れ仕事を喜んでやるとは思えませんから。(古代ギリシアでは基本的に「手を動かす労働」は奴隷のものでした。例外的に建築や美術制作は自由市民が喜んでやっていましたが、あくまで例外です) ヒポクラテスのような自由市民の医者もいますが、それは「医学者」であって、疾病理論や教育や医の倫理を論じることはしますが、結局現場で汗をかいて汚れ仕事をするのは奴隷の役目です。その“伝統”は中世ヨーロッパにまっすぐ引き継がれます。(大学出のおえらい医者(主に内科医)が診察をして治療の指示をし、外科的処置(主に瀉血)は徒弟制度の床屋外科/薬の処方は薬種商が行う、という分業をしていました。身分として、床屋外科や薬種商は医者より一段も二段も下です。そういえば、医者が腕組みをして指示をして、看護婦さんが走り回る、という少し前の日本の姿も、似た構図ですね)
さらにこの本には古代ローマの奴隷の値段ランクもあります。
1 教師(ギリシア人)
2 熟練技術者(医者、建築家、彫刻家、画家)
3 上級技能者(交易に従事、農園経営、主人の秘書)
4 一般職人(店のマネージャー、職人、芸人、剣闘士)
5 舞踏や奏楽の技能を持つ女奴隷
6 家事従事の男女奴隷
7 非熟練労働者(農園や鉱山)
8 子供の奴隷
国としての教育水準が低いから貴族はそれぞれギリシア人の奴隷を家庭教師にして教育を受ける、というのは、国の品格が凄いんだか凄くないんだかわかりません。ともかく、教師が高かったために奴隷の値段の格差はピンとキリとで100倍にもなっていますが、医者が奴隷であることは古代ギリシアと同じです。で、紀元前1世紀のイタリア半島の人口推計では、自由民(ローマ市民権を持つ人、老人や女子供も含む)は600〜700万人、奴隷は200〜300万人。
古代ギリシアでは奴隷が自由民になることは考えられないことでした。「単一民族主義」だったのです。しかし古代ローマでは奴隷が解放奴隷になる(さらには本人あるいはその子がローマ市民権を得る)ことは珍しいことではありませんでした(だから古代アテネよりもローマの方が奴隷の比率が低いのでしょう)。ついでですが、古代ローマでの奴隷の定義は「自分で自分の運命を決めることが許されない人」だそうです。ご主人様が「お前を解放する」と法務官の前で言ってくれない限り、ずっと奴隷のままなのです。ただし、いろいろな意味で“改革者”であるユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は「教師と医師にはローマ市民権を与える」と法で定めました。「国の礎は教育と医療であり、それは奴隷ではなくて自由な市民にやらせた方が結局国のためになる」と見抜いた人は、奴隷制が「常識」だった古代にも存在していたのです。(奴隷制のない現代でさえも、そのユリウス・カエサルの意図と行動の意味を理解できない人間がいるのにはげんなりですが)
さて、今の日本の医者は自由市民でしょうか、それとも奴隷? 「もちろん自由市民だ」と胸を張って主張したいところですが、政府やマスコミの一部は「医者の自由意思」が大嫌いのようです。「休むな」「休日も働け」「深夜も働け」「救急車は断るな」「不平を言うな」「医療費抑制のお達しには素直に従え」「指示したところ(田舎や医者が足りない分野)で働け」と言いたい、つまり「こうしろああしろ」と言ったら四の五の言わずに「へへ〜」と従うことを要求しています。つまりは医者を「奴隷扱い」したいわけ。では、日本の医者は古代ギリシアかローマか、どちらの扱いを受けるのでしょう? まあ、どちらにしても奴隷であることは同じなのですが……いや、違います。解放の可能性のこともありますが、もう一つ。古代の奴隷には、権利はありませんが義務もありませんでした。あなたと同等の権利を持つ「市民」ではないのですから、当然「市民」として果たすべき義務もないのです。ですから軍務(自由市民の最大の義務)も税金をおさめる義務もありませんでした。でも今の日本の「奴隷」は「権利は認めないぞ、でも義務はしっかり果たせ」と要求されます。さらにいうなら、その奴隷扱い、医者だけではありませんね。「なんちゃって管理職」に代表されるような、一見自由市民だけれど「自分で自分の運命を決めることが許されない人」は、日本の社会にたんと存在しています。さらに、「ネットカフェ難民」などと呼ばれる人たちは「一見自由市民}でさえない扱いのようです。
日本社会はもしかしたら奴隷社会が近代的に偽装しているものなのかもしれません。近代社会の理念(人権、自由、平等など)の都合のよい部分だけをつまみ食いされて。
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