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 今の年金制度は一種のネズミ算になっています。

 年金の額や金を払う人がネズミ算式に増える、ではありません。

 せっかく貯まった資金をネズミが途中で食い散らかしている、という意味です。

 なお、ネズミの頭が黒いかどうかは確認していません。


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2008.10.31 07:05 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 パターナリズムの功罪

 パターナリズム(家長主義)は現在の医療では毛嫌いされています。だけど、功罪の「罪」だけで「功」はないのか、と私はちょっと疑問を感じています。
 
 君主制で考えてみましょう。英明君主の場合、適材適所によって政治システムは理想的に機能し幸福な人が大量に生産されます(「自分が権力者でないと満足できない」人は不幸でしょうが、そういった人はどんな政治体制でも(トップにならない限り)不幸ですからここでは無視します)。しかし、君主制でもしも英明でない(暗愚な)人間がトップにいたらシステムはきしみを生じ不幸な人間が大量生産されます。つまり、君主制の利点も弊害もまずはトップ次第、つまり制度そのものにだけ罪を問うのは早計、ということになるのではないでしょうか。

 医療のパターナリズムも、英明賢明な医師が多ければ、それほど問題にされなかった可能性があります(そもそも賢明な医者なら最初から権力風をふかさない(ふかす必要がない)でしょうが、アホな医者が威張り散らしたからその反動で医者全体が反感を買い「そういった医者」が拠り所としていたパターナリズムが攻撃されるようになったのでは?)。だとすると、パターナリズム排除に熱心になるのも結構ですが、それと同じくらいのエネルギーを、賢明な医師育成にも向けた方が良いんじゃないかしら? 医師は「天の恵み」ではなくて「(社会で)育成されるもの」なのですから。

 あ、私は別にパターナリズムを擁護しているわけではありません。パターナリズムは個人的には嫌いなので、それが滅びても別に痛痒は感じませんので。ついでですが、「アホな医者排除」に過剰に熱心になるのも結局「自分が権力風を吹かせたい(他人を支配したい)」欲望の具現化のように見えるので、そちら方面にも私のエネルギーを熱心に注ぎ込みたいとは思いません(やぶ医者の生存権を確保してあげる必要があるとは思いませんけどね)。私の思いはいろいろと複雑です。

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 昨日の新聞の片隅に「助けての 小さなサイン 受け止めて」と小さな広告がありました。11月が児童虐待防止推進月間なので、その啓発です。
 「自分は児童を虐待しないから、自分には無関係な話」と思う人が多いとは思いますが、実は完全に無関係な人は日本には存在しません。

 児童虐待についてはわざわざ専用の法律があります。
児童虐待の防止などに関する法律」ですが「児童虐待」はその第二条で定義されています。
第二条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。
 一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
 二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
 三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
 四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。


 身体的暴力・猥褻行為・減食や放置といった「劣悪な環境」・心理的暴力、とまとめることができるでしょう。
 こういってはナンですが、日本の法律にしてはよくここまで具体的に書いた、と私は感心します。
 で「第三条 何人も、児童に対し、虐待をしてはならない。」ですべてがすめばいいのですが、いくら法律で禁止しようとする人(したい人)はしたいことをします。そこで……
第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。
2 前項の規定による通告は、児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)第二十五条の規定による通告とみなして、同法の規定を適用する。
3 刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。

 ついでですが、ここで触れられている児童福祉法第二十五条の規定はこんなものです。

児童福祉法」 
第25条 要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。ただし、罪を犯した満14歳以上の児童については、この限りでない。この場合においては、これを家庭裁判所に通告しなければならない。

 「児童福祉法」よりも「児童虐待の防止などに関する法律」の方が規定が明確になっています。とくに注目するべきは、児童虐待に関する通報がどちらの法律でも「通告しなければならない★」と法的な「義務」とされていることです。それも「速やかに」。それは「発見した者」全員の義務なのです。「自分は警官じゃないから」などという言い訳は効きません。私が最初に「無関係な人は日本には存在しません」と書いたわけがわかります? 「自分が発見者になる」可能性は、社会に生きていたらゼロ%ではありません。あなたにも「発見者」になってしまう(=通告の義務を負う)可能性があるのです。そしてたとえば近所で虐待されている児童の存在を知ったら、それを通告せずに放置するのは、倫理的には問題のある行為であり、法律的には違法行為、ということになるのです。(罰則はありませんが、「罰則がないから違法行為はしても良い」と主張する気には、私はなりません。そう主張したい人を止める気もありませんが)
 私の場合には、外来での発見、も考えておかなければなりません。医師は医師法・刑法(公的病院勤務の人はさらに公務員法)で守秘義務が課せられています。病院に限らず日本の多くの職場の職務規程も(おそらくは個人情報保護法も加味して)守秘が謳ってあるはず。しかし「刑法その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない」です。「児童虐待の防止などに関する法律」はプライバシー情報に関しては刑法や医師法よりエライのです。

 ですから「助けての 小さなサイン 受け止めて」でサインを受け止めなければならないのは日本に住むすべての人です。

 ……ただ……これはきわめてまっとうな広告なのですが、問題は、その広告主が「厚生労働省」であることです。ワーキング・プアやネットカフェ難民、薬害などの健康被害者などにきわめて冷たく「小さなサイン」どころか「涙混じりの訴え」にも耳を貸さず、困窮者の生活保護申請に冷酷な応対をし、「このままだと医療崩壊だよ」という「大きなサイン」も平気で無視し続けてきたお役所が、「お前たちは虐待されている児童の小さなサインを受け止めるべきだ」と要求しているわけ。それを思った瞬間、この広告の「力」はみごとに小さくなってしまいますな。まだ児童福祉事務所で本当に頑張っている人とか現場で苦労している小児科医とかが広告に名前を出せばパワーのある広告になったでしょうにね(もちろんその場合でも、金は厚労省が出すべきですが)。

 「(生きている)ことばの正しさ」とは、「そのことば自体の正しさ」だけではなくて「そのことばをしゃべっている人自身の“正しさ”」にも負うところが大きい、ということなのでしょう。
 「信用」や「実績」は大事です。失ったもの(自分で捨てたもの)を取り戻すのは大変。でも逆に、一度自己批判をきちんと行いこれから身を正しくして見せれば(見せ続ければ)、回りの扱いが変わることも期待できます。児童虐待をした親でも、本当に悔いてこれからは真っ当に児童を扱うのなら、児童がその親の元に戻されるように。


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 私は時々無性にラムレーズンのアイスクリームが食べたくなります。先日も食べたくなって「たしか冷凍庫にミニカップが一つあったはず」と扉を開けてみたら……ありません。ぶうぶう言っていたら家内が「じゃあ、作ってあげる」。干しぶどうをちょいともどしてからラム酒を振りかけ、それをバニラアイスにどさっと乗せて「はい、ラムレーズンのアイスクリーム」。
 「ふだんと味が違う。これではゾロ(ジェネリック医薬品の俗称)のラムレーズンアイス……いや、ラム“と”レーズン“と”アイスクリームだ」とぶつぶつ言いながら、それでも結局ぺろりと美味しく頂きました。化学的には同じでしょうし、お腹の中に入ってしまえばやっぱり同じようなものですよね、たぶん。

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2008.10.29 06:55 |  診療  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 右は左、左は右

 こちらを向いて写っている顔写真、向かって右側はその人の顔の左、向かって左側は顔の右側です。当たり前のことを言っています。ただし、その写真が裏焼きになっていたら、「右が右で左が左」となります。もっとも人間の顔は厳密には左右対称ではないそうですから、よく知っている人の写真が裏焼きだったらじっと見て「これ、左右が変」とわかるかもしれません。
 よく内科医が難しい顔をして眺めている胸部レントゲン写真、これも実は(原則として)「患者さんの体がこちら向き」に撮影されています。したがって、シャウカステン(レントゲン写真を見るために中に蛍光灯がたくさん仕込んである箱)に間違えて裏返しに写真をかけない限り「向かって右が体の左側、向かって左が右」となります。

 このへんまではまだ右左の概念が直感的にわかりやすいのですが(要するに被写体となった人が、こちら向きか向こう向きか、なのですから)、わかりにくいのが輪切りの写真です。CTやMRIの写真は基本的に「人体の輪切り」ですが、その右左はどうやって決めているのでしょう。裏も表もないのですから。
 実はこれは「宇宙の法則」ではなくて人為的な「お約束」で決まっています。

 昔CTがまだ「頭専用」の時代には、仰向けに寝て輪切りになった頭の写真の、向かって右は右・向かって左は左、でした。脳外科医が手術の時に立つ位置(頭の上の方)から頭(の中)を眺めたのと同じ方向に設定されたわけです。
 ところが時代が下がって、全身用CTが登場。胸や腹の輪切り画像が見られるようになると、同じ問題(どちらを「右」にする?)が起きました。そこで日本得意の「全体より部分最適」「複数の規格乱立」です。胸や腹の手術では術者は基本的に真横から、あるいは下から患者の頭の方向を見上げる体勢になることが多くなります(下腹部の手術の場合は上から下向きですが)。そこで胸や腹のCT画像では「画像の向かって右が患者の左、向かって左が患者の右」と決められました。

 ややこしいでしょ? それでもしばらくはそれで日本の医学は動いていたのです。人間の頭の柔軟性には驚きます。まあ、各科が孤立してやっているのだったらそれで良いのですが(本当によいのか?)、私のようにいろんな科の人と話をする人間の場合、頭が混乱します。
 今は幸い(?)頭のCTも胸や腹と左右が揃えられています(まだ右は右、のところもあるかもしれませんが)。ただ、脳外科のドクターは手術前にCTやMRIをながめて情報を自分の頭にたたき込んでからメスを持つ前に左右を反転させているのかな、とそのことは気になりますが。


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 自殺の統計が将来どうなるか、あるいは卑近なところで株式市場がこれからどうなるのかは気になりますが、確かなことを知りたければ、厚労省に予測させたらいいと思います。
 出生率予測を外しまくった“実績”があるからやるだけ無駄? いや、「外すことがわかっている予言者」だったらその“逆”を信じればいいのです。厚労省が「自殺はこれからどんどん減少する」「株は大丈夫」と言ったら心配して対策を考えましょう。でも「自殺はこれからどんどん増加する」「株はお先真っ暗」と言ったら安心することができますよ。


 なお、タイトルは株の格言だそうです。株には縁がないので他に知っているのは「もうはまだなり、まだはもうなり」くらいですが、こちらはちょっとこのブログのネタにするには難しそうです(そのうちなにか思いつくかもしれませんが)。
 しかし「株」って、よくわかりません。値段が突然上下する理屈もよくわかりませんが、もっとわからないのは、会社の設立や運営に何の貢献もしていない人が金で株を大量に買ったら突然経営に口をはさむことができるようになることです。それが資本主義の原則と言われたらそれまでですが、やっぱり口をはさむのは、まずはその会社のために汗をかいた人や内情に詳しい人じゃないのかなあ、と感じてしまうのです。それと、たとえば3割保有の筆頭株主に経営に口をはさまれて困っていた経営陣が、その株主に過半数を所有されてしまったら絶望するわけもわかりません。こんどは旧経営陣が(3割保有の)大株主として経営に口をはさめば良いんじゃないです? (なお、この「株の仕組み」については「教えてあげようコメント」は不要です。どうしても知りたい、とまでの熱意は持っていませんので。だって、株に投資できるほどの余裕資金は持っていないもの)



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 日本で使われる医薬品は「日本薬局方」に収載されています。日本では医薬に関する「聖典」と言ってもよいもので、これに収載されていないものは原則として私は処方に使えません。
 ところで、面白いニュースがありました。ゲンダイネットの「コーヒー飲んで“いい人・悪い人”」に「1951年まではコーヒーは日本薬局方に収載されていた = コーヒーは“医薬品”だった」と書いてあるのです。
 もちろんコーヒーには主にカフェインによる“薬理作用”がありますから「薬」と言ってもよいかもしれませんし、そもそも嗜好品が「医薬品」というのに私は抵抗がありません。歴史を見ればたとえば「茶」ももとは「薬」扱いでした(鎌倉時代の「喫茶養生記」(栄西))。(ついでですが、現在の漢方薬でも「川芎茶調散」には「お茶」が生薬として含まれています。

 ……さすがにコーヒーは漢方薬には入っていませんが(少なくとも私の見聞の範囲内では)。)


 そういえば学生の時に「砂糖は薬局方に含まれているから処方箋で処方できる」と聞いた覚えがあったのを思い出して、ちょっと薬局方の目次を眺めてみました。すると……これは面白い。嗜好品というより、いろんな「食品」が「医薬品」として並んでいるではありませんか。
 たとえば油が各種あります。オレンジ油、ゴマ油、ダイズ油、ツバキ油、トウモロコシ油、チンク油、テレピン油、ナタネ油、ヒマシ油、加香ヒマシ油(オレンジ油やハッカ油が加えてあるようです)、ヤシ油、ユーカリ油、ラッカセイ油……いやあ、油屋が開業できそうです。チンク油、テレピン油、ヒマシ油はあまり飲みたいとは思いませんしツバキ油は髪の毛に塗るのだったと思いますが、それ以外はそのまま料理に使えそうです。
 「脂」だったら、牛脂と豚脂も薬局方にちゃんとあります。
 味付けには、白糖と塩化ナトリウムとサッカリンが使えます。エタノールとブドウ酒は……料理の風味付けよりもキッチンドリンカーに喜ばれるかな?
 ゼラチンはおそらくゼラチンカプセルの材料として収載されているのでしょうが、これもなんとか料理に使えそう。わからないのが石油ベンジンです。料理の燃料にでも使いましょうか。

 なお上記は西洋薬のコーナーの目次から拾ったもので、生薬の方にはもっと「食品」として使えそうなものが並んでいます。アロエ、カンテン、ケイヒ(シナモン)、米デンプン、サフラン、トウガラシ……まだまだあります。もし興味を持たれた方は「日本薬局方」をじっくりご覧下さい。(本当は「ご笑覧ください」と書きたいのですが、“自分の作品”ではないから遠慮します。笑うのはパーソナルにこっそりとどうぞ)


 a recipe bookは普通は料理の本です。でもrecipeには「処方箋」の意味もあります。西洋でも中国と同様、昔は文字通り「医食同源」だったのかもしれません。病気を治すためには贅沢は言わず、使えるものは何でも使っていたでしょうから。


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 アメリカ大統領選挙も終盤となりました。投票日は今年はたしか11月4日でしたね。実は、F1グランプリの最終戦(そして今年のワールドチャンピオンが決定されるの)はその直前、11月2日です。

 昨年のF1、シーズン序盤にはマクラーレンの新人ルイス・ハミルトンが「初の黒人ドライバー」と呼ばれていましたが、周回を重ねるにつれて実力が明らかになるとともにその“肩書き”は取れてしまい、そのかわり「デビューしたばかりなのにベテランたちを押しのけて史上初のルーキーチャンピオンとなるか」の方が話題の中心となっていきました(で、新人としては驚異の成績を積み重ねていったのに、最後の最後に大逆転で、ハミルトンは惜しくもワールド・チャンピオンを逃してしまいました)。今年も彼は大活躍をしていますから、黒人に対する特殊な意識を持っている人以外には、今現在ハミルトンのことをわざわざ「黒人ドライバー」と呼ぶ人はいないはずです。彼は肌の色ではなくて「またポールポジション(予選トップ)を取った」「今年こそワールドチャンピオンだろう」という文脈で扱われるべきドライバーなのです。
 ところがアメリカ大統領選挙では、今になっても「黒人が初の大統領になるか」が話題の中心に座っています。

 アメリカの選挙でびっくりするのは、ネガティブ・キャンペーンです。私の感覚では相手の悪口を言いたい放題で、すごく下品に感じます。自分の主張を通す早道は、「正しさ」で勝つよりも対立する相手の“信用度”を下げることの方が手っ取り早い、という古くからの戦略はわかりますが、両方がそれをやっちゃうと結局自分にもダメージがあるわけです。さらに「あいつは自分の自慢と他人の悪口しか言わない」というネガティブなイメージが染みついてしまいます。ネガティブ・キャンペーンをやるのだったら、それと同時に自分自身に対するポジティブなキャンペーンもやっておかないと、かえって逆効果になる(あるいは勝っても自分のダメージもでかい)のではないか、と私には思えるのです。
 アメリカ人にはまた違った感覚があるのかもしれませんが。(ただ、「黒人差別」(や女性蔑視)をネガティブ・キャンペーンに用いてはならない、という暗黙の決まりというかしばりがあるのが、日本人としては面白く感じます。タテマエとホンネって、日本文化だけじゃないのね、と)

 そう言えば、日本のマスコミや政府は今まで熱心に「日本の医師に対するネガティブ・キャンペーン」をやって来ました(現在完了進行形)。それは一定の成果を上げて、「医者は悪者」を頭から信じ込んでいる人がたくさん存在してます。だけどその“反動”かな、マスコミや政府の医療に対する姿勢に関してネガティブなイメージも強くなっているようです。結局あの「医者たたきのネガティブ・キャンペーン」は、戦略的には何の目的で行われてきて、宣伝対象は誰で、結果としてどんな利益を誰にもたらしたのでしょうねえ。


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 今年度は町内会の役員(班長と副会長の間に位置するまとめ役です)をやっているので、町内会の行事にはすべて関与する(だけではなくて、役員会に参加する)必要があります。今日は町内会の祭りです。公園で屋台やミニゲームや演し物をやって町民が集まって楽しむ、というものですが、町内会でやる中では一番大きな行事です。昨年は役員ではなくてただのボランティアでしたから、私はミニゲーム・家内は屋台の手伝いをしましたが、今年は目立つところにいたせいか、“特技”をいかして救護担当ということになってしまいました。できることは、学校の保健室でできることに毛が生えた程度ですが、それでも「医者がいる」といないとでは、町民の安心度が違う、ということなんだそうです。


 屋台では、こんにゃくゼリーやパンは出しません。だけどおむすびがあります。のどにつめる人がでたら……ハイムリッヒですね。
 綿菓子はあったかな? たとえなくても、うどんなどのための割り箸をくわえて走り回る子どもがいたら、呼び止めて口から出させるのが一番。親がやってくれれば良いんだけどなあ。
 和歌山の毒カレーのような事件があったらどうしましょう。メンバーの割当表を見ると誰かが一人っきりで、ということはないようですが……
 雨が降ったらせっかく時間と金を掛けて準備してきたのが無駄になりますからイヤですが、あまり晴れるのは熱中症が心配です。
 怪我はむしろ話が単純です。とりあえずできる応急処置だけして、それでおしまいか外科に受診してもらうか救急車を呼ぶか、ですから。困るのは、何も言わずに倒れてくれること。脳か心臓かめまいか低血糖か疲れかビールの飲み過ぎか、などといろいろ考えなければなりません。というか、いろいろ考えながら、本日の朝を迎えました。

 もし何かあった場合……町民は安心できるのでしょうが、私はちっとも安心できません。まあ医療者の多い町なので(我が家の物干しから「おーい」と声を掛けて届く範囲だけで、医者が3人、看護師が2人はいます)、いざとなったら「お医者さんや看護師さんはいませんか」とか拡声器で招集をあけてもらえばいいのですが。(顔が見えたら直接声をかけてもいいし)

 おっと、新聞の休日診療当番のところも、携帯で撮影しておかなくては。空模様は微妙ですが、どうか無事に今日という日が過ごせますように。

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2008.10.25 15:12 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 2

 130人分の予防接種

 私が勤務する病院では、一般へのインフルエンザ予防接種の前に職員の分を済ませておこうという事で何回かに分けての接種が始まりました。前回の外来で、私の目の前にどんと積まれたのは130人分(!)の予診票の束。

 さて、インフルエンザワクチン接種の標準的な手順はこうなります。
1)希望者は、説明書を読み、その内容(予防接種の目的とか副反応があることなど)を理解します。
2)希望者は「予診票」にいろいろ書き込みます。(本日の体調とか、病気を持っているとか、アレルギーとか)
3)体温を測って予診票に書き込みます。
4)以上のデータや診察から、医者は予防接種が可能か不可能かの判定をします。
5)希望者は医者の判定が「可能」だったら、そこで最終決断(予防接種を受けるか受けないかの決定)をして予診票にサインします。
6)ワクチンを接種します。
7)予診票に、打ったワクチンのロット番号と注射量、接種日時(年月日と何時何分)と接種場所を記載します。
8)カルテに予防接種をしたことを記録します。
9)支払いをします。

 これを読むだけで「医者の所に行って腕をめくったら、チクッとしてお終い。すべては15秒ですみました」にはならないことは、どなたでも理解できますね。6)の「医療行為(注射)」そのものはたしかに15秒ですみますが、それでも、ここに書いていない注射の準備(注射器と針のセット、ワクチンの吸い上げ)や使用済み注射針や注射器の廃棄(量がまとまるとけっこうな手間です)にそれなりの時間はかかります。さらに、文書仕事に膨大な時間が必要です。予防接種に関しては、ほとんどの時間は文書に費やされると言って良いです。泣き言を言います。130人分の予診票の医師チェックは、けっこう負担なのです。サインするだけでも最後にはイヤになります。嘘だと思ったら、自分の名前だけでも130回連続で実際に書いてみてください。きっと「小学校の漢字練習じゃないぞ」と言いたくなりますよ。で、私が書かなきゃいけないのは自分の名前だけではないのです。
 だけど文句を言っていても仕事は終わりませんから、集中力を保ってきちんとやりましょう。それもできる限り時間を無駄にせずに。ここで重要なのは、流れ作業の効率を維持することです。ところが、4)まで来た人が医者の前で「あ、たいおんをはかるのをわすれてた」と棒読みで言ってそこで体温を測り始めたら、その列の後ろの人はそれだけ余分な時間を待たされます。予診票を書いていない人が注射をしているところに紛れ込んで「自分は特別に早く注射をしてくれ、はやくはやく」と注文をつけたら、その注文に現場スタッフが対応する時間分、きちんと順番を守って列に並んでいる人が待たされます。まったく困ったものです。
 それやこれやで、いつもは暇で暇で閑古鳥がかーとかぎゃあとか鳴いている私の外来が、珍しく活況を呈してしまいました。さすがに殺気立つところまでは行きませんでしたが。

 私がここで連想するのは、もちろん新型インフルエンザ発生時のワクチン接種です。規模にしてこの数十倍、数百倍、数千倍? よほど効率を考えて作業スケジュールをあらかじめ非常時用に組んでおかないと、現場は回らないことが確実です。「根性で頑張れ」はやめましょうね。そう主張する人が「根性」で新型インフルエンザに打ち勝って見せてくれたら、そのことばを信じても良いですけど。(だけど日本のお役所は、「計画配置」という言葉はお好きなくせに、こんな非常時に備えての効率的で実際的な人員や物資の戦略的な計画配置を計画し実行するのはなぜか苦手なんですよね。必ず現場が悲鳴を上げる事態になります)
 細かい工夫は可能です。一つの現場でワクチンのロットを揃えておけば、ロット番号の記載は省略(あるいはあとでまとめて記入)できそうです。注射量も成人は一律だからあらかじめ事務レベルで記載しておけばいいでしょう。接種日と場所も事務レベルで記入(あるいは「接種日ごとのフォルダ」を作成して、その日の予診票は全部そこに突っこむ、とか)。接種した時刻は必要です? 要らなければ省略しましょう(官僚がどうしてそんなデータを欲しがるのか、私にはわかりません。本当に欲しいのだったら、欲しい人が自分で記入すればいいと思いますが)。これだけやれば数秒は節約できます。ああ、それでも数秒か。それでも人数分×数秒ですから、でかいといえばでかいのです。


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