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<  死語(45)ミネソタ・コード | メイン |  こんにゃくゼリーで死者 >
 診断書を書くのは気を遣うものですが、私がいろいろ書いてきた中で大変なものの横綱格が脳卒中後の運転免許の診断書です。たとえば障害認定の診断書はお金(患者さんの人生そのもの)がからむので大変緊張しますが、運転免許に関しては日本語解読で苦労するのです。

 参考までに、運転免許証のことで公安委員会に提出する診断書(脳卒中・脳腫瘍関係のもの)の「3 現時点での病状(改善の見込み等)についての意見」を引用してみます。(医者はこの中のどれかに○をつけたり( )に数字を入れたり□にチェックを入れなければなりません)

(ア)脳梗塞等の発作により、次の障害のいずれかが繰り返し生じている
   (意識障害、見当識障害、記憶障害、判断障害、注意障害、視覚障害(視力・視野障害))
(イ)発作のおそれの観点から、運転を控えるべきである。
(ウ)運転を控えるべきであるが、6か月以内に「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(エ)運転を控えるべきであるが、6か月より短期間(  か月)で「運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(オ)6か月以内に「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(カ)6か月より短期間(  か月)で「今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない」と診断できることが見込まれる。
(キ)今後(  )年程度であれば、発作のおそれの観点からは、運転を控えるべきとはいえない。
(ク)上記ア〜キのいずれにも該当しない
   □回復して脳梗塞等にかかっているとはいえない。
   □脳梗塞等にかかっているが、発作のおそれの観点からは、運転を控える必要はない等。


 素直に読んで「悪文だなあ」が最初の私の感想です。官僚の文書の特徴ですが、構文はもたもたぐにゃぐにゃしており、「相手と何かをきちんとコミュニケートしたい」という願望をみごとに欠いた機械的で形式的な文章です。
 また、「発作」の定義がありません。(ア)で「脳梗塞等の発作により」とあるし「脳卒中の診断書だから『脳卒中の発作』に決まっているだろう」と言いたいのかもしれませんが、脳卒中後遺症としてあるいは頭の手術後によく出現するけいれんなども「発作」です。それはどう扱うのでしょうか?
 「6か月」というのも変な日本語です。私の感覚では「6箇月」または「6ヶ月」の方が自然な日本語です(さらに言うなら「6」よりは「六」の方が好ましいでしょう)。わざわざ「箇」「ヶ」をひらがなに開く感覚が私にはわかりません。(「ヶ」はカタカナの「ケ」を「か」と読んでいるわけではありませんよ。「箇」の略字である「个」(上向きの矢印に似ていますが、「竹」の半分です。もともと「竹」はこの「个」が横に二つ並んで「个个」と書かれていました)が崩されて変形した文字が「ヶ」です。まあ、なにをひらがなにひらくかはそのひとのにほんごせんすにまかされる、といえるのかもしれませんが、なんでもてきとうにひらがなにひらけばいいというものでもないでしょう)

 悪文という「形式」の次は「内容」について。
 (ア)では「脳卒中後遺症は繰り返し生じるもの」と扱われています。自分が使った「発作」ということばに引きずられているのでしょうが、ああいった後遺障害は波状攻撃のように出現するものでしたっけ?
 (イ)は、運転中に「発作」がおきるから運転をしてはならない、ということでしょう。脳卒中に再発はつきものですが、それがちょうど運転中に起きるかどうか、誰にわかります?(疑問ではなくて反語)
 それが正確にわかるのなら、私は医者ではなくて予言者になります。でも、予言者が書くのは、診断書ではなくて予言書です。

 (ウ)〜(カ)の「(6か月ではなくて)六ヶ月」への異常なこだわりも、理解不能です。さらに(エ)とか(カ)に至っては、公安委員会は医者に何を求めているのでしょうか。やっぱり、予言? さらに「(ウ)と(エ)」「(オ)と(カ)」の区別の必要性がさっぱりわかりません。「六ヶ月以内」と「六ヶ月より短期間」とを区別する理由って、なに?
 (キ)も(  )年後にはまた危うくなるよ、と予言しろ、との要求です。「キーッ」と言いたくなります。
 (ク)も不思議です。「脳梗塞等にかかっているとはいえない」とはどんな状態を想定しているのでしょう? 一過性脳虚血発作など後遺症が残らない脳卒中のことに読めますが、そんな人は最初からこんな診断書を求めはしません。さっさと免許センターに行ってふつうに列に並んでいるはずです。目に見える後遺症が残っているからこんな診断書が必要になるのですが、『後遺症がある」=「全快した」とは普通の日本語では言いませんよね?(労災では「症状が固定してそれ以上治らない状態」を「治癒した」と定義していますが、それと同類の官僚の独善日本語かな?)

 もちろん医者は病気に関しては専門家ですから、病気とその後遺症に関しての現状についてはきちんと述べることができます。しかし「いつ再発作を起こすか」の予言や「その人が運転適格者か」の職業的判定は医者の仕事とは思っていません。それは予言者や「運転の専門家」の仕事です。(そもそも病院には運転シミュレーターなどはありませんから、実際の運転状況に本人が対応可能かどうかの判定には「想像力」しか使えないのですが、それはつまりエビデンスを欠いた判断ということになります)
 たとえば半身麻痺だったら、どの程度の半身麻痺かは医者が言えますが、それに対してどのように車を改造したら健常な上下肢だけで安全に運転が可能かのアドバイスと判定・視野狭窄だったらどのくらいの視力や視野が残存していたら安全な運転が可能かの基準設定、それらは医者よりも交通関係者の方が詳しいはずです。というか、そういったエビデンスを知らないで運転免許をあんなにたくさん交付しているわけではありませんよね。当然、健常者であろうが障害者であろうが老齢者であろうが「運転免許を取得するためにクリアするべき心身の基準」が厳として存在しているはずです。

 それが、(ア)(イ)に医者がマルをしたら、誰も何も考えずに即刻運転免許は取り消しです。
 ちょっと待って。
 (ア)には高次脳機能障害が並んでいますが、問題は「あるかないか」だけではなくて「その程度(運転が可能か/安全運転が可能か)」です。その判断を一切せずに「医者が言ったから」とそのまま免許を取り消すのが、公安委員会の仕事? そのための最終判断は、医者に丸投げするのではなくて、免許を交付する人が責任を持って行うべきではありません? 例えば、運転シミュレーターの活用とか、机上での道路交通法のテストとか、できること/やるべきことはあると私は思います。さらに、脳卒中後遺症の高次脳機能障害は少しずつ回復します(しない人もいますが)。そのことについてのフォロー(「敗者復活」の可能性)はしない気ですか。
 さらに、安定していて「繰り返し生じ」ない高次脳機能障害やここに書いてない障害(たとえば失行や失調や半側空間無視など)がある場合、医者はどこにマルをつければいいのでしょうねえ。

 こんな悪文の診断書を書くことを医者に強制して、「その人の現状が実際に運転に適しているか」の判断努力は一切しないで(さらにその明確なエビデンスも示さず)、「医者が言ったから免許は取り消しね。恨むんだったら医者を恨め」と逃げる態度を見せつけられるのは、医者としては非常に不愉快です。

 「自分が仕事をせずにすむこと(やるとしても机上だけ)」と「自分が責任を取らずにすむこと」に熱心になることと、ことばに関して重箱の隅の整合性だけを整えるのではなくて、診断書の文案をつくる時に、臨床経験のない官僚だけで文章をひねくり回す前に臨床経験が豊富な人間と協議すれば良いのになあ、とつくづく思います。

 現実を見て批判するだけなら、診断をつけただけで患者を放り出す無責任医者と同じになりますから、「ならばそこからどうするか」もちょっと考えてみましょう。(それでも「診断さえつけられないヤブ医者」よりはマシ、かもしれませんが……)
 もし私がこういった診断書をつくるとしたら……運転に必要な心身の能力の最低基準を明示した上で
1)運転は可能(病気はあっても、その人の運動能力や判断力などに悪影響なし)
2)条件付きで可能(車の改造、安全教育とその確認の筆記テスト、シミュレーターで危機管理能力のテスト、公道での実地運転テストなどを優秀な成績でパスすること)
3)運転は不可、ただし保留にして後日再判定(これが不満なら、本人の申し立てで2へ)
4)運転は不可(免許取り消し)

を医者に判断させることを基本骨格にして、その上で日本語にもう少し枝葉をつけたものにするでしょうね。大切なのは「病名の有無」ではなくて、「その人が安全に車の運転ができるかどうか」(回りに危害や損害をなるべく及ぼさないこと)なのですから。ついでに言うなら、この診断書は脳卒中後遺症を持つ人専用ではなくて、健常者にもそのまま使える汎用性を持っているべきだと私は考えます。

 こんなことを言っても、その結果自分の仕事が増えしかも責任まで負わされる官僚には、鼻であしらわれるだけでしょう。でも、仕事の丸投げや無責任体制が嫌いな人には、頷いてもらえるかも。


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最近高齢者がブレーキとアクセル、前進とバックを間違えて起こした事故の報道がよくあります。

小生も数年前、実際の事故をみたこともあります。

クルマを運転しなくても高齢者(も非高齢者も)が困らない社会にすべきなのでしょう。

クルマ好きの小生とクルマ企業には辛いけど....
written by Paul Carpenter / 2008.09.30 08:58
 実際に私も親の運転を見ていて、衰えたなあ、と感じることはあります。これが「危ないなあ」になったら免許を取り上げるべきなのですが、さて、それの客観的な基準はあるのかな? 「基準は年齢」じゃないですよね?

 お役所は「基準は病名」らしく、もうすぐ認知症の人に関しても新しく診断書を作る様子です。これまたかったるい書類になることは疑いなし。今から私はため息をついています。
written by おかだ / 2008.09.30 18:47
私の勤務地は日本有数の高齢化が進んでいます。運転に関しては、確かに
年齢で線引きするのはいかがなものかと思っております。
高齢者診療において、医学的判断の基準として『QOL』を重視したいと考えております。 QOLと実際に運転行為に際した危険度のバランスで対応したいと思っておりますが。ただ、いかんせん、客観的判断の明確で、適切な基準が
あれば良いのですが。結局臨床的に総合判断で、主観になってしまっている
と思います。
written by ohkami45 / 2008.10.02 23:48
 極論を言うと、「事故の可能性」というリスクがあってもそれを社会が許容するのならたとえば認知症老人でも運転はOKにしてよい、と私は考えます。ただ、その「許容」の前に、情報の開示(リスクの存在とそれを上回る利益が存在するかどうか)と許容の基準に関しての開かれた議論が必要ですが。
 現在の官僚のやり口は、情報は開示しない・基準は明らかにしない、それで判断は誰かがしろ、です。
written by おかだ / 2008.10.03 06:55

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