知識のアップデートはなかなか大変な作業ですが、それでも知識のベースが一つの具体的な像としてしっかりと自分の中に構築されていたらその小修正で済むからまだ楽です。楽ではないのは、まったくの新しい知識や概念の登場に対応しなければならない場合です。
私の場合それの代表が「MRI」です。卒業後に普及したものについては、なかなかその原理に関してイメージをきちんと獲得するのが困難でした。一応本は読みますが、読んでも読んでも「知識」が「実感」として定着できない(コトバを覚えただけで上っ面の理解しかできない)のです。
私の前の世代でそういったものにあたるのは、たとえばCTなどが考えられますが、もっと世間に広くインパクトがあったのは心電図ではないでしょうか。開業医でも簡単に持つことができる器械ですが、学生時代にそのことについて習っておらず卒業後に専門的な研修を受ける機会もなかった医者には、その性能をもてあましてしまうものだったことでしょう。
そこで「ミネソタ・コード」です。これは、専門医でなくても判定ができるように心電図の器械が自動的に結果を数字のコードで打ち出してくれるものです。たとえば、不完全右脚ブロックならVII-6、期外収縮ならVIII、とか数字で表現してくれるのです。で、暗号を解読するようにミネソタ・コードの本を参照しながら「なるほど、この心電図は不完全右脚ブロックなのか」と医者がつぶやくわけ(今はそれを最初から日本語で記録用紙に印刷してくれる器械もあります)。普通に内科の訓練を受けた医者は直接心電図を自分で判断していると思いますが、ミネソタ・コードそのものは滅びたわけではなくて、たとえば集団検診などではまだ使われていることでしょう。
そうそう、昔は医師会によっては「読図サービス」と呼べばいいのかな、医療機関から心電図を回収して、それにミネソタ・コードをつけて返すサービスを提供していたところもあった、と私は聞きました。
「医者が機械に頼るとはなにごとだ」と言いたい人もいるでしょう。「機械的判断が本当に信用できるのか」とも。でも、ここでの本当の問題は「プログラムの精度」ではありません。「心電図波形異常の検出」に関しては、基本的に機械は人間より優秀、と私は考えています。本当の問題は「異常の有無」「病気の有無」「心配するべきかどうか」が一列には並ばないことです(「心電図で異常がある」→「病気がある」→「心配するべきだ」とはならない、ということです)。たとえ心電図で異常があってもそれは病気と呼ぶべきではない軽い状態であることもあります。異常があって病名がついても、心配しなくても良いものである場合もあります。逆に異常がなくても医者が心配する場合があります。その「心配」も、ただちに精密検査や治療が必要な場合と、別に急がなくても良い場合があります。器械はそれを教えてはくれません。
つまり機械がべーっと吐き出した結果に異常があろうがなかろうが、「人間の仕事」はそこから始まる(あるいはその前から始まっている)のです。
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肝心の読影よりも余計な事務作業に時間を費やすことが結構あります。実に無駄です。
いずれデジタル化、個人情報IDカード化のさいに統一される、という話がでてから結構経ちますが。
こういった事務手続きに時間を取られるのは何ともはやです。
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