私は病院で医療安全の係もやっています。で、何か医療事故があった場合の原因解析の場で何回もスタッフに言うのが「個人を責めない」「ネガティブなことを言わない」「主語と述語を明確に」「否定文ではなくて肯定文で叙述」「推測ではなくて事実を具体的に(推測は推測と明記)」「原因は対応が可能なモノを指摘(「不幸な生い立ちに問題がある」「みんな社会が悪いんじゃあ」は無し)」「改善や対応はシステム的に」などです。
これをやっていると、大体の場合、最初にぼんやり想定していたのとは全く違う「根本原因」が一同の前に登場してくれて、皆が一瞬呆然とする、という面白い瞬間が味わえます。
ただ、「システムで対応する」ということは、現場にいるスタッフは「個人」としては「取り替え可能な部品」扱いになっちゃうような気がして、最近ちょっと欲求不満を感じるようになってきました。患者さんという「個人」を病院という「システム」が扱うのは、その場その場の出たとこ勝負ではなくなるから少なくとも「安全」の面からは好ましいことでしょう。だけど、そのどこかに「個人と個人」のつながりも残しておきたいように思うのです。これは私が「古い人間」ゆえの感傷にすぎないのでしょうか。といって、あまりに特定個人の能力に頼る病院システムはつまりは「個人病院」になってしまうので、システムを管理する立場からするとちょっと困るのではありますが(今は上手くいっているにしても、その人が急に抜けたら全てがストップしますから)。
さらにこのまま“マニュアル全盛”の動きが進行すると「患者とは、マニュアル通りに扱われるべき存在である」という働きがどんどん強くなりそうですが(つまり、患者もシステムの中の「部品」扱い)、それで本当に良いのかな?
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