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2008.09.24 06:55 |  スポーツ  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 1

 ラテン語

 医学部で「自分は医学生になったのだなあ」と実感したのは、解剖の授業が始まった時でした。もうこれで以前の無垢な時代には戻れないのだ、という宣告をされたような……ちょっと違うかな。
 もちろん最初から実習室に連れ込まれるわけではなくて、はじめはみっちりと座学です。分厚い教科書(百科事典三冊分)をめくってみたら、まあ何と言いますか、期待通りの図が並んでいます。で、その説明が、日本語・ラテン語・英語・ドイツ語。私は英語はもちろん日本語もアヤシイ人間ですのに、急に4ヶ国語に精通しなければならなくなってしまいました。もちろん文章ではなくて単語レベルで覚えればいいのですが、何はともあれ「ひえ〜」です。
 たとえば「胃袋」。英語だともちろんstomach(ただし「胃の」だとgastric)、ドイツ語だとder Magen ですがさてラテン語は ventriculus だったかな……ははは(弱々しい笑い)、忘れました。

 英国紳士は学生時代に古典教養としてラテン語をたたき込まれるそうですが、彼ら(の中の劣等生グループ)に私は共感します。大いに共感しますとも。

 参考までに、解剖学用語のサイトです。「船戸和弥のページ(解剖学用語)」
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/anatomy/anatomy.html

 でも……ラテン語が現役だった古代ローマではそのことばはそれほど「格調高い」ものとは見なされていなかったはずです。当時の風潮では「野蛮なローマ」が常識で、「文化的なギリシア」がその対極として置かれていました。つまり、ローマ帝国の文化の中心は実はギリシアで、ギリシア語が使えることが教養の証だったのです。ですから帝国貴族の子弟もギリシアに留学することが“インテリの証明”になっていました。(この文化的イメージは、ローマ帝国が東西に分裂した後も保存されます)
 なんだか「洋行帰り」が幅をきかせた(今でも幅をきかせている)どこぞの国を思い出します。そういえばその国は、江戸時代には京都の方が文化の「格」が上で、江戸から京に向かうのは「都に上る」であり、京から江戸にものを運んだら「下りもの」でしたね。「武」と「文」を同じ国の中で分けて置くのは、けっこう古典的だが一般的な手法なのかもしれません。目的は何でしょう? 国の「健康(平衡)」を保つため? もしそうだったら「一極集中」は国が病んでいる証拠ですが……

 ともかく、ラテン語に対して、格調高いとか化石とかのイメージを持つと、当の古代ローマ人は目を白黒させるでしょう。むしろ「ラテンミュージックのノリ」とか「ラテンの熱い血」のイメージの方が彼らの好みに合っているかもしれません。(私が「ラテン」でまず思い出すのは、エディ・ゲレロです。惜しいことに最近死んでしまいましたが、すばらしいプロレスの選手でした)


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