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書誌情報:『それでも、前へ ──四肢マヒの医師・流王雄太』高橋豊 著、 毎日新聞社、2006年、1429円(税別)

 日本で初めて、四肢麻痺の状態で医学部に入学し、医師となった人のノンフィクションです。

 1982年、ラグビーの試合中に高一の流王雄太さんは頚髄損傷から四肢麻痺となります。残された機能は肩が少し動き肘がかろうじて曲げられるのみ。体温調節もできなくなり、夏は熱中症・冬は全身が冷える状態に容易になってしまいます。排尿も自力でできないからおおごとです。
 しかし彼は1年後に高校に復学。そこから「それでも、前へ」の人生が始まります。家族や友人たちの献身的な介護と本人の超人的な頑張りによって、一歩一歩前へ行くのです。
 大学は法学部受験を勧められますが、自分は理系、とのことで理学部を志望。しかし実験ができなければ駄目、とのことで数学科に入学。大学は無事卒業しましたが、時期はおりしもバブル景気、浮ついた世の中に障害者の就職口はありませんでした。モラトリアムで大学院進学をしますが、先の見えない苦しさから彼は荒れます。そのとき出会ったのが「論理療法」でした。人の悩みや苦しみは、自分“以外”からやってくるのではなくて自分自身の非合理的な思いこみが自分自身を苦しめているだけ、それを合理的な考えにすることで悩みは解決する、という考え方です。「〜ねばならない」「〜にちがいない」という思いこみの世界から自己受容への道を示され、流王さんは「支えられる側」から「支える側」にもなりたいと望み、人を精神的に支える道、たとえばカウンセラーなどへの道を模索し始めます。
 1991年の医師国家試験で、四肢麻痺で電動車椅子生活の山形大学医学部の学生が試験に合格して医師になった、というニュースを流王さんは見ます。それまでも電動車椅子の医師はいましたが、医師になってから事故で車椅子、とか、国家試験直前の事故だが下半身麻痺で上肢は動く、という例だけで、四肢麻痺の医学生という例はこれが初めてだったのです。流王さんは人の心を支える医師になることを志望します。
 ハードルはいくつも考えられます。そもそも受験できるかどうかさえ不明です(前記の山形大学の人は「医学生が四肢麻痺になった」わけですが、流王さんは「四肢麻痺の人が医学生になりたい」わけで、前例がないのです)。しかし、相談を受けた人は「医師法の欠格条項に、四肢麻痺はない(少なくとも法律的には流王さんの希望を拒む理由はない)」と彼を励まします。解剖に代表される実習をどう受けその成績をどう評価するか、病棟実習はどうなのか、試験をどうやって受けるのか……それらを流王さんと大学関係者は、真剣なやり取りの中で次々クリアしていきます。入試の結果は優秀な成績で合格。前向きに生きようとする人に対して、その前に意図的に立ちふさがったり足を引っ張るのが好きな人間がいます。しかし岡山大学医学部は、「前向きに対しては前向き」で「医学生として受けるのなら彼がちゃんと医者として活動するところまで考えて受けるぞ」と動く人間が多かったようです。
 6年間の医学生生活はさらりと書かれていますが、実際には大変なことが続出だったことでしょう。私は自分の学生生活を思い出していますが、あそこに車椅子で参加したとしたらどうなっただろう、と思う場面がいくらでもあります。「肩のわずかな動きで指の間に固定したサインペンを押しつけることでパソコンを操る」と言えば簡単ですが、たとえば右利きの私が、両手どころか右手だけを不自由にして左手でノートを筆記するとしただけでも、試験の結果はぼろぼろになることが必定です(経験談です。口述筆記のように朝から晩までノートをばりばり取っていて右手を痛めたことがあるものですから。関係ない話ですが、そのときのペンだこはすごいものでしたが、今ではそのペンだこもすっかりなくなってしまいました)。
 無事に卒業し国家試験にも合格した彼は、最初の志望通り精神神経科に入局します。カルテ記載などのために自費でアシスタントを雇います(自分の給料の7割!(それでも安月給のためかなかなか人が見つからなかったそうです)……ただし、06年度からその費用は大学がもつことになったそうです。「障害者雇用促進法」の付帯決議によって厚労省が公共団体や独立行政法人に「重度障害者を採用および雇用継続するための職場環境の改善等条件整備」の要請をしたことを受けてのことだそうですが……まだ「要請」なんですね。国は障害者の社会進出に本気ではない、ということかな)。

 流王さんが医師になった年、医師法の絶対的欠格条項が廃止されました。それがタテマエではなくてホンネであるのなら、「障害があるから駄目」ではなくて「障害があってもなんとかならないか」を考えよう、という姿勢のように私には見えます。もしかしたら「障害があるかどうか」が一番重要な問題ではなくなり「人にはできることとできないことがある。ではそこからどうするか」で個人が見られる世界が近づいているのかもしれません。

 本書は「一般人である自分とは関係ないスーパーマンが頑張った物語」ではありません。「障害者になる」ことは、健常者であっても事故や病気などで「今日自分にも起き得る話」です。さらに、「自分は少しでも進歩したい」と思っている人間にとって、本書に登場する人たちは(流王さんだけではなくて、それ以外の人たちも含めて)、そのまま「人はこのように生きることも可能なのだ」と示してくれる「生きて動いている自分の人生のモデル」として見ることができます。(おそらく彼らはそんな説教臭いことは微塵も考えていないでしょうが)

 私の友人で、医者になってからの事故で下半身麻痺になった男がいます。とてもアクティブで見習いたいところが一杯だったけれど、生きるのに急ぎすぎたかのようにそのまま鬼籍に入ってしまいました。ただ、時々思うのです。今の日本、もし彼が生きていたら、「これなら前より良くなってきたな」と満足してくれるように少しはなってきただろうか、と。
 こういう「物差し」を持っていると、世の中を見る目が他の人びとより少し変わってしまいますが、私はそのことに不満はありません。


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先生、私は今52歳で、16歳の時に精神科関連の病気を発症、以来、精神科とは縁が切れません。初めは人生を諦めて、自殺未遂も繰り返した。だけど、結婚をし、子供も二人産み、ハンデのゆえにパートも長続きしませんでしたが、私立高校に入った長男のために意を決して、非常勤の公務員に応募、合格しました。医師は止めましたし、周りは驚きました。どうせ長続きはしないと言われつつ、半年が過ぎようとしています。今、私は大学生でもあります。
就労は不能と言われました。しかし、私は医師に泣いて抗議し、健常者に混じって、働いています。私は、ひとより、足りないものがある。だけど、劣っているわけではない。そう、私は考えています。医師は、それは躁状態なのだ、と言います。私はそうは思わない。誰だって、気分の浮揚や落ち込みはあるでしょう。私は、社会人です。立派な、死の瞬間を迎え、笑って目を閉じたいと思います。
written by rainman / 2008.08.28 07:10
じつにしょうもないことで申し訳ないのですが、色弱の小生は医学部を受験するときも、運転免許をとるときも、必ず眼科にいって精査してもらい、色盲(ってたぶん今は差別用語で言わないと思いますが当時はそう呼ばれていました)でないことを証明してもらう必要がありました。
肉体的にも精神的にも完璧な人間なんてまずいません。今回も金メダルをとった競泳の北島選手でさえ、思うことがあったのか涙を浮かべていました。
そのひとに何ができないのかをまず考えるのではなく、そのひとには何ができるのかをまず考える社会を構築することが、これから超高齢化社会、ますます鬱をはじめとするこころの病気が増える超管理社会を迎えるにあたり、とても大切なことだと思います。
written by Paul Carpenter / 2008.08.28 09:13
 rainmanさん、くれぐれも無理をしすぎてつぶれたり燃え尽きないようにしてください。

 私も、障害とまではいきませんが、けっこうな弱点を抱えています。だから、それをカバーしてくれる人には感謝するし、他の人をカバーしたいと思ってます。一人でできることは限られていますが、上手くチームが組めて機能したら、けっこうなことになりますから(これは弱いものが集まって傷をなめ合うのとは違うと考えています)。
written by おかだ / 2008.08.28 20:04
はじめまして
東京日和@元勤務医の日々のコメントを拝見して参りました。本の紹介ありがとうございました。
昔、救急を回ってきた研修医の先生が、頚損だったのを思い出します。
なんとか杖をついて自力歩行していましたが、話を聞くと、受傷直後は四肢麻痺だったようで、よくぞ,ここまで回復したと思いました。


あとは、この先生のお話も、波瀾万丈でした。

http://www.yuki-enishi.com/challenger-d/challenger-d19.html
written by 麻酔科医 / 2008.08.29 08:03
麻酔科医 さん、はじめまして。
 すごいお話の紹介、ありがとうございました。人間の力とは凄いものですねえ。
 ただ、これは10年前だからできた話でもあるでしょう。現在は小泉改革の影響で回復期リハビリテーションには「発症後2ヶ月以内に開始」「リハビリ開始から約5ヶ月以内に終了」というシバリがかけられていますから、
 日数制限については昨年のエントリーですがここに書いています。
http://blog.m3.com/ishi-atama/20071228
今だったらこの脳外科のドクターはリハビリテーションが開始すらできなかったかもしれません(あるいはちょっとやっただけで終了)。

 脳外傷後の高次脳機能障害は本人も周囲も難渋しますが、時間をかけてリハビリテーションをすれば少しずつ改善する(こともある)ものです。でも日本政府は「姥捨て山」に高齢者も高次脳機能障害を持つ人もまとめて放り込んで忘れてしまいたい、がホンネのようです。(口では立派なことをおっしゃいますが、私は実際の制度からホンネを見ます)
written by おかだ / 2008.08.29 08:43

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