上の子がまだ2才くらいの頃、やたらとセールスマンがやってきたことがあります。「英語を学ぶなら3才までに始めないと、手遅れになります」
私が疑問に思ったこと……「3才」の根拠(「臨界期」のことでしょうが、日本人が英語を学ぶことに関してちゃんと学問的根拠があるのかどうか)、英語ができなかったら具体的にこの子の人生でどのような不利益が想定できるのか、母国語(日本語)がまだ不十分な状態で英語も刷り込むことで何らかの問題が生じないのか、我が家に3才未満の子どもがいることをどうして知ったのか、などについて納得のいく返事ができた人がいないので教材は買いませんでしたが、応対のために時間はいくらか損をしました。
ああいった「赤ちゃんに早期英才教育を」という商業的動きが目立つようになってからもう20年以上経ちます。当時の赤ちゃんたちは今はもう大人になっているはずですが、皆さん“エリート”としてばりばり日本の水準を上げておられるのでしょうか? 早期英才教育の目的はそういった優秀な大人を作り出すことですよね。親の自己満足や商売人の懐を肥やすことではなくて。で、具体的に日本の“レベル”は向上しています?
そういえば、昨年だったかなのニュースで、アメリカのワシントン大学での研究で、赤ちゃんに英才教育ビデオを見せるのは言語習得には有害、というものがありました。(私の記憶では時事通信のニュースだったのですが、もう削除されているようです)
この研究が真実なのかそうでないのかの確認は私には困難です。しかし一般論で考えても、そもそも英才教育とは英才(の卵)に適切に行なったら意味や効果があるでしょうが、普通の人間や鈍才に行なったら効果がないかあるいはかえって有害なものでしょう。そこの見極めをちゃんとすることが、まず大事なんじゃないでしょうか。普通のセールスマンが会ったこともない子どもについて、その見極めがちゃんとできていたのでしょうか(「この子にはこの教材が向いている」から売り込むわけでしょ?)。
医者は治療の前にまず診断をしますし治療では薬の種類や量を使い分けます。そういった「診断」や「治療」の手順をすっ飛ばして、誰でも無差別に同じ教材と同じカリキュラムで、という態度で全員にすばらしい教育的効果が出る、とは私には思えないのですが。教育とはそんなにずさんでおおざっぱなものではないはずです。
そもそも、まともな日本語が使えない日本人に英語教育をしたら、まともな日本語もまともな英語も使えない日本人になるだけではないかなあ。それとも、日本語はまともではないけれど英語はまともな日本人になるの? で、その「日本人」はまともな英語で誰に何を表出するのでしょう。「今日は良いお天気です」「これは鉛筆です」とか?
※「言語を使う」とは「他者の言語を理解し、あるいは外界から感覚情報で脳に入力されたものを言語で“翻訳”して脳で概念処理し、それをもとにきちんとした思考を行い、その思考内容を言語で表出し、それが他者に理解されたかどうかを確認する」過程のことである、と私は考えています。そのどれが欠落しても、その人は「言語をきちんと使っている」とは言えません(ネットでは困難ですが、リアル世界では最後の「確認」までが必須でしょう。それと、感覚情報が言語表出に結びつかない場合は言語処理を行う必要はありません(「絵にも描けない美しさ」は描かなくて良いのです))。
で、その「言語」は、つまりはツールですから、日本語でも英語でもラテン語でも中国語でもゼントラーディ語でも、それは別にかまいません。私は別に英語を目の敵にしているわけではありません。念のため。
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それよりも、楽しく遊ぶように他者とコミュニケーションがとれる、そのツールとして日本語も英語も使うことができればいいなと。
父親によって英才になる道を妨害された長男は、結局英語がけっこう得意な人間になりましたので、私はちょっと悔しい思いです(^_^;)。
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