「心拡大、高度浮腫を伴った急性多発性神経炎」高橋 和郎 他、日本内科学会雑誌、Vol.64, No.10 (1975/10) pp. p1140〜1152
これが「現代社会に脚気が復活した」と話題になった報告だそうです。1975年というと私はまだ学生ですが、たしかに同級生でも栄養バランスが明らかに悪い(食事を抜く、時間が不規則、野菜など特定のものを食べない、好きなものは毎食でも食べる)人間が多くいました。
脚気は戦前には「二大国民病」とまで言われたポピュラーな病気ですが(もう一つの国民病は、結核)、もっと昔には「江戸患い」(「江戸時代の病気」ではなくて「江戸という町に特有の病気」)とも呼ばれました。田舎では雑穀を食べるのが普通で白米なんて夢の食べ物でしたが、花のお江戸では白米を食べていてでもおかずは粗末、だからビタミンB1不足が起きたのです。NHKの大河ドラマ「篤姫」でも将軍家定が脚気衝心(かっけしょうしん)で死んでいますが、もし江戸時代に栄養学の知識があれば……あ、だめですね、知識だけでは伝統や格式に逆らうには無力ですから。(関係ないですが、家定役の堺雅人さんって、私好みの芝居をするなあ、と感心してみていました。最近のドラマや映画って、大根が幅をきかせていてあまり見たくないのですが)
日露戦争で、脚気によって多くの死者が出たのも有名な話です。Wikipediaによると、日露戦争の戦死者は約4万7000人、病死者は約2万7800人とされているそうですが、陸軍の脚気患者は約25万人だったといわれているところから、脚気がなければ戦死せずにすんだ人も多くいたはずと私は推定します。当時の陸軍軍医総監は森林太郎(森鴎外)ですが、彼は「(当時の)科学的な医学」に固執したため、海軍のような「食事によって脚気を予防する」考えを排斥しました。その結果が、陸軍での脚気の大量発生だったのです。
※19世紀の「科学的な医学」の根本は、パスツールやコッホに代表される「細菌学」です。ちょうど現代の医学が「バイオテクノロジー」や「遺伝子」に夢中になっているように、当時の医学は「(病気の原因である)細菌」に夢中でした。「脚気菌」を発見し、それに対するワクチンまたは抗菌薬を開発すること、が「正しい(科学的な)道」だったのです。
しかし、明らかに陸軍と海軍で脚気の発生率に大きな差があるのに、それから目を逸らしてただただ観念的な「正しさ」を追求する態度は、学問の世界に限定するなら一つのあり方とは言えますが、戦場で数万人殺したのは犯罪行為と言っていいんじゃないか、と私は感じます。
昭和初期にはまだ日本の田舎の食生活は本当に貧しいものでしたが、やがて「栄養」の概念が行き渡りついで少しずつ日本社会全体が豊かになり、主食は白米となりましたが副食の充実によって栄養失調は過去のものとなりました……なったはずでした。でも、飽食の時代は同時に偏食の時代でもあり、また脚気が出現した、ということだったようです。
正直言って、今私の目の前に脚気患者が「こんにちは」とやって来ても、きちんと診断をつけられるかどうか自信はありません。もちろん、腱反射を見るためのハンマーはすぐ手の届くところにありますが、普段私が見るのは、腱反射の亢進や異常反射の出現であって、脚気で見られる「正常反射の消失」には私は注目していないのです(推理ドラマでもよくありません? 「あって当たり前のものがないこと」の発見が遅れることは)。
そうだ、脚気患者が私の周辺に出現しないように「米ぬか健康法」をぶちあげようかな。「一日一握りの米ぬかを食べれば、あなたは健康になれる」というのがスローガンです。すくなくとも「脚気予防」にはなるのですから「健康になれる」は科学的にはウソではないですよね。カプセルに詰めてハイカラな名前(たとえば「コメヌ〜カン」)をつけて売ったら、儲かるかしら?(「玄米を食べよう」「米のとぎ汁を飲もう」だと“商売”になりませんから)
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