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書誌情報:『5万年前 ──このとき人類の壮大な旅が始まった』ニコラス・ウェイド 著、 安田喜憲 監修、沼尻由起子 訳、 イースト・プレス、2007年、1700円(税別)

 ヒトに限らず、多くの生物の遺伝子は突然変異を繰り返し続けています。そのサイクルはそれぞれの種によってほぼ一定です。致死的な変異だったらその個体(あるいはその子孫)は死にますが、無害あるいは有益な変異はゆっくりと群れの中に広がっていきます。
 たとえばそれぞれある程度離れた地に暮らす生物(人でも人でなくてもよいのですが)3つのグループ甲と乙と丙があるとします。甲の群にはAとBの遺伝子変異があり乙群にはAとCの変異があり丙の群にはAとCとDの変異があったら、まず甲と乙が分かれ、乙からさらに丙が分かれた、と言えます。そして甲乙丙の位置関係と、BCDが発生した時間の測定から、三者の歴史的関係(大体いつ頃どのへんで分かれたか)が描けます(甲と乙が分かれたのは、少なくともBやCが発生するよりは前です。そして丙が乙から分かれるのは、Cが発生したのよりも後です)。
 人は一度落ち着くとその縄張りからあまり離れません。そこから分かれたグループは新天地を求めて遠く(もとのグループの縄張りの外)へ旅立ちます。その繰り返しが太古の人類の「旅」です。そして遺伝学の研究によってその「旅」が再現できるようになったのです。

 5万年くらい前、おそらく150人くらいの集団が東アフリカから紅海南側を横断してアラビア半島に渡りました(当時は地球寒冷化で海面が下降していたため横断は容易でした。ベーリング地峡でユーラシア大陸とアメリカ大陸はつながっており、オーストラリアもニューギニアなどとつながっていました)。そこから海岸伝いにどんどんその子孫たちが広がりインドで一時停止。そこで遺伝子の多様性を増した上で東(オーストラリア大陸や日本まで)と北西方向に現生人類版図拡大の方向が分かれます。ヨーロッパのネアンデルタール人と現生人類が衝突したのは45000年くらい前。両者の戦い(といっても“戦争”ではなくて、家族あるいは部族での縄張り争い)は15000年続き、最終的にネアンデルタールは絶滅します。東アジアで現生人類がぶつかったのはホモ・エレクトスでしたがこちらも現生人類が生き残っています(ホモ・エレクトス(あるいはその変種)はネアンデルタールよりも長く生き残りました)。かつての現生人類は、喧嘩に強かったようです。
 さらに面白いのは、アダムとイブの存在です。ミトコンドリアの遺伝子解析で、ユーラシアやアメリカの全人類の女性のミトコンドリアは、たった一人の女性からもたらされたことがわかりました。「ミトコンドリア・イブ」です。同様にY染色体の分析からは、すべてのY染色体はたった一人の男性(アダム)由来のY染色体であることがわかっています。そしてアダムとイブは、5万年前に紅海を横断した集団の中に含まれていたのです。

 本書では考古学ではなくて遺伝学を駆使して、5万年前から今までの人類の壮大な「旅」を描写します。それ自体は非常に面白いものですが、それだけではありません。「ヒト」が「ヒト」である所以が、単に遺伝子だけによるのではなくて、環境や文化や社会の影響を強く受けていることを重要視している点がこの本の特徴と言えます。たとえばヒトが類人猿と大きく違うのは音声言語を使う点ですがその古代の言語を遺伝学的な視点から論じるなんて試みは今までなかったはずです。
 遺伝子分析はいろいろなことを明らかにしてくれます。たとえば人類がいつから服を着るようになったのか、も「服の化石」がなくても大体わかるのです。かつて人体は毛むくじゃらで、シラミは全身に住んでいました。しかし体毛の退化が起りシラミの“領土”は頭に限定され「頭シラミ」となります。しかし人類が衣服を着るようになったら頭シラミから生地をしっかりつかむことのできるヒトジラミが進化して登場します。それに気がついた研究者は12カ国のシラミで遺伝子解析を行い、ヒトジラミが頭シラミから分かれたのは約72000年前であることを明らかにしました。つまり、人が(毛皮をまとうのではなくて)仕立てた衣服を着るようになったのはそのあたりの時期なのです。
 あるいは「人類最初の言語」も遺伝子研究でわかるかもしれません。アフリカを脱出したグループは当然一つの言語を話していたはずです。それがあちこちに分かれ住むにつれて別の言語を発達させました。ならば遺伝子分析で“時計を逆に回す”ことで最初の言語(の特徴を色濃く残した言語)にたどり着くことができるかもしれないのです。1世紀前にソシュール(シニフィエ/シニフィアンなどの言語学的業績で有名)は言語学的に「それ」を求めることを少年時代の志としていましたが、遺伝子でそれがわかるかもしれない、とあの世で聞いたら、笑うでしょうかそれとも怒るかな?
 そうそう、本当に言語の遺伝子も存在しているそうです。「言葉を操る」にはいくつもの遺伝子が絡んでいるはずですが、その最新版(約20万年前に出現)の遺伝子は7番染色体のFOXP2で、これが遺伝的に壊れる家系では言語が使えなくなる症状が出ます。(逆に、人類が言語を使えるようになったのは、20万年前よりこちら側、と言えます。おそらくジェスチャーや舌打ち音が最初の言語でしょうけれど。さらに、進化論的に(J・G・グールドの言い回しを借りて)言うなら「言語を操るための遺伝子が出現した」ではなくて「その遺伝子をヒトが言語を操るために利用した」になるでしょう)

 おまけです。かつての広大なモンゴル帝国で調査したところ、その地域の男性の8%はチンギス・ハーンのY染色体を持っていることがわかったそうです。人数にして1600万人。チンギス・ハーンだけではなくてその息子たちも“協力”しての結果ですが、すごい生殖戦略ですねえ。

 ナチスがヨーロッパ人をあしざまに扱ったのを知ったとき、それがヨーロッパ人が植民地人を扱うのと同じやり方であったのにヨーロッパ人が気づき、それ以来“未開社会”での暴力行為の人類学的研究が不人気になった、という記述にはちょっと笑ってしまいました。未開人と文明人が同じ、という結論が出るのに耐えられないのでしょうか? ただそのせいで、太古の暴力行為のひどさについての研究が停滞するのは困ったものですが。さらに食人についてもタブー的に目を逸らす人が多いのですが、本書では皮肉っぽく、狂牛病が爆発的に流行しない理由として、過去に食人習慣を持つ民族はプリオン病から身を守る遺伝子的特性があるからではないか、と述べています。
 遺伝学には他のタブーもあります。「人種」です。差別の歴史があまりに長く根強いため「人種」を「遺伝学」によって語ることに対しての社会的な抵抗は非常に大きいものがあります。ただ、本書で挙げられている人種の五分類はなかなか面白いものだと思うのですが。(大陸ごとに隔てられていると、それぞれの環境で独自の進化をしようとする、が根拠となっています)

 獲得形質は遺伝しません。しかし、社会的な淘汰によって、特定の傾向の人間だけが子孫を残すことで結果として「進化」が起きることは考えられます。実際に最近の遺伝学の成果から、著者は「人類の進化は止まっておらず、現在も進行中である』と述べています。もちろん遺伝子の突然変異は確率的には定期的に起きるものですから、なんらかの目に見えるあるいは目に見えない変化は起きているはずです。
 著者はそこでたとえば「性淘汰」を持ち出します。解剖学的に同じ人類でも、性的な魅力のある雄の方が雌に選択されてその子孫を多く残せるようになれば、行動的には「違う人類」に変化していく、と。そして「性的な魅力」は、社会的・文化的に決めることが可能なのです。それはかつての「力」で子孫を雄が残していた世界とはまた「違う人類」になっていくはずです。(もしかしたら、この観点から「ミーム」と「遺伝学」の結合ができるかもしれません。文化的に特有な行動によって特定の遺伝子変異を保存する、という形で)
 さらに「淘汰」自体の問題もあります。ダーウィンは自然選択をとなえました。様々なバリエーションの種が環境によって淘汰されてその中の一つが生き延びるわけですが、人類は環境の変化ではあっさり死なないようになりました。その淘汰を現在の人類は社会的にやってみている、と言えるわけです(たとえば「魅力的な異性に多くの人が惹きつけられる」ことは、魅力的ではない人の生殖機会が減ることで「淘汰」となっています。ただし一夫一婦制だと「割れ鍋に綴じ蓋」が機能するので性淘汰の圧力は和らぎます)。さらにそこに「技術的淘汰」が加わります。医療・生殖技術の進歩によって、自分の好むデザインを遺伝子に導入することが可能になる世界が、もうすぐやってきます。倫理の出番でしょうが、それによって人類は生き延びやすくなるのか、それとも滅びの道に行くのか、の難しい判断も必要になることでしょう。さらには「現生人類」とは別の新しい種を作ることさえ可能になるでしょうが、そのことの是非もできたら今から考えておかねばならないでしょう。

 自然淘汰以外の道を選んだ人類という種が、はたしてそれで生き延びるかどうか、案外「自然」はそれを冷酷に観察しているのかもしれません。


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