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2008.08.09 07:15 |  医療制度 / 行政  |  車 / バイク/ 船  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 0

 無差別

 かつてナチスは、ユダヤ人に黄色い星のマークをつけることを強制しました。いろんな「理屈」がたくさんついて正当化されていましたが、結局あれは人種差別思想に基づく人権侵害ですよね?  今の日本では一定の年齢以上の高齢者ドライバーは車にもみじマークをつけることを求められています。いろんな「理屈」がついて正当化されていますが、あれは人権侵害ではないのですか?  「理屈」の中で私の目を引くのは「高齢者になったら事故が増える」「周りの人間がもみじマークを見たら、いたわりの気持ちを」の部分です。そこでいくつか疑問が湧いてきます。 1)高齢者の方が老化で事故率は上がるでしょう。しかし、事故は高齢者だけのものではないはず。高齢者で安全運転をしている人・若い人でアブナイ運転をしている人への対応は? 2)もみじマークを見たまわりのドライバーが、いたわり(思いやり)の運転を実際にやっていますか?(「決まりだからやっているはずだ」は却下) 3)もみじマーク採用で、実際に高齢者が関係す事故はどのくらい減っていますか?(実はこれが一番重要。「論より証拠」です) 番外)もみじマークを狙っての犯罪は増えていないでしょうね? 私が小悪党だったらそれも自分が実行することの一つに考えるでしょう。(中悪党だったら襲う相手が金をたっぷり持っていることを確認してからにするでしょうし、大悪党だったら向こうからこっちに金を持ってこさせるでしょうが)  もしも「表示」をするとしたら、「このドライバーが何歳(以上)か」の表示ではなくて「このドライバーは運転が上手か下手か(事故が多いか少ないか)」の表示の方が、周りの人間にはよほど役に立つでしょう。その人が「高齢者のグループに属している」が真理だとしても、私の目の前の車を運転しているのは「高齢者のグループ」ではなくて「その人個人」なのですから。  「運転免許を使う(車を運転する)」のに絶対必要なのは「免許を保持している」ことではなくて「十分な運転能力を持っている。知識は更新し続けている。遵法意識を持っている」ことでしょう。そういったドライバーを合理的な免許更新制度を運用することできちんと選別せずに「年齢」で代用して、大丈夫?(「過去に事故をたくさん起こしているかどうか」をたとえば黒いどくろマークがいくつかで表示してくれる方が周りの人間には役に立ちそうです。事故が多い人や弁護士などからは「人権侵害だ」と非難されそうですが)  医者不足への対応として、現場から遠ざかっている女性の医者の出産後などの復帰策が論じられるようになりました。日医ニュースにも「女性医師バンク」の広告が載っています。それ自体は良いことだと思います。だけど、ここでも私は質問をしたくなります。 1)出産や子育てで現場から長期離れることで、力が落ちる・医学の進歩について行けなくなっていることが問題視されています。「それ」は確かな事実でしょう。しかし、「力が落ちる」のは女性だけだとしてその対策を女性向けにだけ立てて万事解決でしょうか?(換言したら「“それ”は女性だけの問題ですか?」)  ここで問題は二つに分岐します。 1ー1)男の医者でも怠け者だったりルーチンワークに堕していて力が維持できていない者はいます。それは放置して女性のことだけ言いつのる態度は、フェアですか? 1−2)出産は女性にしかできませんが、子育ては女性にしかできないことですか?  ここでも重要なのは「その医者が男か女か」ではなくて「その医者がふさわしい知識と実力を持っているか、それを更新しているか(更新するチャンスが公的にあるか)」でしょう。たとえば5年ごとの試験による医師資格更新がすべての解決になるとは私は思いませんが(「専門家」も「一般医」も同時に実力を判定できる試験問題を私は考えられません)、何らかの実効のある実力維持またはアップの目に見える機会を医師会が提示しそれを受けることをきちんと義務化するべきだとは思っています(今の日本医師会の制度が必要十分なものには思えません)。  さらに、合理的な医者の評価法を用いるとか、子育てしやすい医者の採用法(たとえば、ですが、夫婦が同じ科だったら二人をまとめて採用して交代に勤務してもらう(給料は一人分)、なんてのは駄目ですかね? 主治医のグループ化です)を検討しないと、結局「問題」を社会が個人に押しつけるだけで「真の解決」はほど遠いように思います。  ナチスがユダヤ人に星のマークをつけたのは、ある意味きわめて合理的な(そして冷徹な)判断です。「個人」を識別するためではなくて「グループ(人種)」を明確に識別するための手段ですから(そして「識別」のあとになにをしたか(「識別」が何を目的としていたか)多くの人はご存じのはず。私が重要視するのは、大きな声で語られる公的な理由ではなくて、実際に起きたことの方です)。  だけど、ドライバーも医者も、重要なのは「個人」です。「個人」を社会や制度の中で扱うやり方について、ナチスと違う人間と社会はナチスとは違う発想と手段を使った方が良いように私は思うのですが……

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