産科医の働きや存在を軽んずる発言の一つに「妊娠・出産は、病気ではなくて、自然現象なのだから、医者が介入する必要は最初から無い」というのがあります。
たしかに医療が成立する前から人類は子孫を残して生き延びることに成功してきたのだし、そもそも自然界の動物は産科医などいなくてもちゃんとやっているのだから、その事実を元にしたら「妊娠・出産は自然現象」ということばは一見正しいようです。
ただ……極論で「すべての産科医は不必要」とまで言われると、ちょっとどうかと思います。(たとえばkoumeさんのブログ『農家こうめのワイン』の「気持ち悪い」に一部紹介されているような極端な主張です)
内科医の観点からは、妊娠はどう見ても「自然」な現象ではありません。血液型どころか遺伝子の半分が自分のものとは違う「異物(染色体が違う生き物)」を女性の体内に格納して長期間過ごすのは、免疫の点からは異常事態です。拒絶反応が起きない方が不思議で、よほど何か無理をしないと「とつきとおか」を乗り切ることはできないはず。妊娠中毒はおそらくその「無理」の現れの一つだろうと私は思っています。流産も、胎児の染色体異常が大きな原因でしょうが、母体の反応によるものも多いのではないかなあ。
さらに、犬や猫と人間が違うのは、その頭の大きさです。人間の頭は大きくなりすぎて、産道ギリギリというか、首を傾けある特定の角度にして進行方向から見ての頭の投影面積を最小にしないと産道を通過できません(根拠は学生時代に授業で習った記憶です)。ちょっと首の角度がずれるだけで頭が産道に引っかかって早く外に出たい胎児は二進も三進も行かなくなってしまいます(私たちの長男がまさにこれになってしまい、おかげで家内はエライ目に遭いました。長男がエライ目に遭ったかどうかは当時本人が証言できる状態ではなかったのでわかりません)。まして、逆子や臍帯巻絡(字、合ってるかな? へその緒が胎児のあちこち(特に重要なのは首)に巻きついて締めつけること)を考えたら、「医者の介入は無しでお産は“自然”に」という意見に、私は諸手を挙げての賛成はできません。「きちんとケースを選ぶ」(手に負えないものは、最初から自分より腕がよい医者に任せる)という付帯条件があれば賛成します。
そもそもお産が本当に「自然な現象」なら、助産婦や産科は最初から不必要なはずです。歴史を振り返ってみたら、下手な病気よりも危険だから、産婆さんとか産科医が必要とされたのではありませんでしたか?
ただ、もう一つの考え方もあります。妊娠・出産が「自然」なら、それで死ぬことも「自然」なことと丸ごと受け入れることです。胎児だけが死ぬ・母親だけが死ぬ・両方が死ぬ、の3通りがありますが、その死亡率は無視できない高率です(日本でこんなに「死なない」のは、世界標準から見たらそれこそ“異常”で“不自然”なことです)。そのリスク込みで「自然」を選ぶのならその決定は尊重されるべきでしょう(私は「自殺する権利」は認める立場です。付帯条件「まわりに(葬式を出すのは仕方ないにしてもそれ以外のことで)できるだけ迷惑はかけないでね」)。ただ、自分だけではなくて他人(胎児のことです)の命も賭けたバクチはあまり私の近くではやって欲しくないなあ。思わず救いたくなってしまうでしょうが、私は残念ながら内科医ですからお役に立てませんので。
※ある牧場の人に聞いた話ですが、馬のお産は大変で人間が手を貸さないと死産率が高いそうです。それを「お産は自然なことだから、人が介入する必要なし」と黙ってみていることを牧場の人に要求したらなんて返答されるかしらん?
※「お産で誰か人が死んだら無条件で産科医を罰してやる」と「お産は自然であるべきで医者が介入しなくて良いのだ」と、二つの極論をそれぞれ別々に妊産婦や産科医にぶつけるのではなくて、その両者の間でまずはちゃんと議論をしてもらえませんかねえ。自分の要求を通すことだけに夢中になるのではなくて、正反対に意見が異なるもの同士の間で少しはコミュニケーションの試みをやっても良いと思います。その過程で、どちらの極論にも与するつもりが無いこちらも学べることが多いはずですから。
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