西洋の18世紀は「科学」が成立しようともがいていた時代でした。17世紀にニュートンが物理学を科学に変貌させたことが広く世界に影響を与えるようになり、1707年生まれのリンネが分類学によって「システムとしての科学」の基礎を作り、近代錬金術(ニュートンも晩年には夢中になっていた分野)は物質を変化させる手段を探ることで自らが科学の一分野である「化学」になろうとすると同時にそれ(物質を変化させること)を行なうのが神ではなくて人間であることを示すことで神が世界のすべてを創造したとするキリスト教的世界観にダメージを与えていきます。
そういった世界の動きの中で、西洋医学も変わろうとしていました。
スコットランド人医師ウィザーリングは1775年に自分の手に負えない重症の水腫患者をある民間療法家が治すのが得意なことを知り、その秘伝の処方(なんでも20種類以上の薬草を煎じたものだったそうです。トカゲの尻尾でも入っていたら「魔女のスープ」ですな)を教わります。そしてその中で「キツネノテブクロ」が水腫を治す成分を持った薬草であることを突き止め、その処方を開発しました。
この植物は、和名はキツネノテブクロですが、英名はジギタリスdigitalisです。語源はラテン語の「digitus(指)」。
医学(あるいは臨床薬理学)が科学になろうとした瞬間と言って良いでしょう。(解剖のヴェサリウスとか血液循環のハーヴィーとか、「医学と科学」で挙げるべき名前は多いのですが、きりがないので省略します(知識と記憶に問題があって、私がここですらすら列挙できない、ということは、秘密です))。
余談ですが、「1、2、さ〜ん、4、五ぅぅ、ろ〜く、7、8、きゅ〜う、十ぅぅ」と指折りながら数を数えることが今流行の「デジタル」の語源だそうです(別にアホになったり犬っぽくなる必要はありませんが)。たしかにアナログでは指折って数えられませんね。
ずっと昔に読んだ小説(タイトルもあらすじも失念)で、医者が久しぶりに会った先輩にジギタリスの使い方を突然聞かれてすらすら答えたら「内科医としては、大丈夫なようだな」と言われるシーンがあったのを覚えています。内科医の腕がジギタリスのさじ加減に関する知識で計測できた時代のお話です。
ジギタリスは心不全(心臓が弱って体中に水がたまってしまう)に良く効く薬なのですが(陽性変力作用とか陰性変時作用とか小難しいことを言いますが、つまりは「弱ってしまって小さなストロークであっぷあっぷと早く動くことで1回あたりの拍出量の低下を補っている心臓を、ゆっくり大きく動けるようにする」となります)、実は使い方がけっこう難しいのです。至適用量の幅が狭くてすぐに中毒量になってしまいます(ここを日本語に翻訳すると、「少なすぎると効かない。ちょっとずつ投与量を増やしてやっと効く量までたどり着いても、油断してちょっと投与量を増やすとあっという間に副作用の嵐になる」となります。少なすぎると効かなくて多すぎると効き過ぎるのはどの薬でもそうですが、ジギタリスは特に安全域の幅が狭いのです)。
投与法も急速飽和法や緩速飽和法があります(要するに、特急コースか鈍行コースか)。1回あたりの量は、病状とか患者の体力や年齢などで「さじ加減」が重要です。さらに昔は粉末の材料が生薬(植物のジギタリスそのもの)ですから、成分が一定ではありません(採集年度によっても違いがあるでしょうし、採れた山の斜面が北向きか南向きかでも成分の含有量に差があるのではないかと私は想像します)。血液検査もできない時代によくもまあこんな難しい薬を使っていたものだ、と私は感心するだけです。
主な副作用は胃腸症状(吐き気や食欲不振)・不整脈で、どちらが出ても嬉しくありません。特に老人では副作用が出やすいので、私はジギタリスの錠剤を半分にしたり1/4にしたり、それなりの「さじ加減」を行います。昔の名人から見たら「何アバウトなことをやってんだ」とあきれられるレベルの話ではありますが。
また余談です。
ジギタリスに限りませんが、不整脈の薬の場合、薬によって新しく出てくる不整脈症状を単純に「副作用」と呼んでよいかどうか私は迷いがあります。心臓そのものに働く薬ですから、心臓がいろんな反応を示すのは当たり前だと思うのです。
そうだなあ、たとえば「宿酔い(二日酔い)」を「飲み過ぎ」ではなくて「アルコールの副作用」と呼ぶことも可能ですが、なんだか変な気がしませんか?
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