もちろんこの病気自体は今でもあります。それどころか「リウマチ科」という、私が医者になった頃には存在しなかった標榜科まで登場しています。ただ、リウマチ科は、整形外科と内科とではちょっと病気に対するアプローチが違うんじゃないかな、なんて思いますが、そのへんはどうやって整合性をとっているのでしょう?
ま、知らないことについてごちゃごちゃ言わずに、本題の「慢性関節リウマチ」です。学生時代に私は「rheumatoid arthritis」という病気を「慢性関節リウマチ」と習いました。医者になってからもずっとそう言ってきました。(書く時には「RA」と略して書くことが多かったですが) ところが、
日本リウマチ学会のサイト「一般向け医療・医薬情報」を見ると、2002年に「慢性関節リウマチ」から「関節リウマチ」に病名が変更されているではないですか。(ここだけの話ですが、今回ここを見るまで私は知りませんでした) 詳しい経緯については不勉強な私の文章よりは学会の公式文書を読んでもらった方が確実ですが、要するに……
それなりの理由があって1962年に「慢性関節リウマチ」が学会が定める公式用語になりましたが、ラテン語のpolyarthritis chronica progressiva(直訳したら、進行性慢性多発関節炎、かな)にも英語のrheumatoid arthritisにも該当しないわが国独自の和語であり、かつ、「慢性」が実際の病態とは食い違っている、ということから、改名(「慢性」を取る)が行われた、ということのようです。2002年の第46回日本リウマチ学会総会で「関節リウマチ」を正式名称とする声明が発表され、これに伴って、2006年に厚生労働省による特定疾患の名称も「関節リウマチ」に変更されているそうです。
私も「慢性」を取ることには賛同しますが、どうせ直すのでしたら「リウマチ」も直して欲しかったと思います。だって英語の原語は「Rheumatoid」。「-oid」は「〜に似ている」の接尾語です。つまり素直に訳したら「リウマチ様(さま、ではなくて、よう)」ですよ。「まるでリウマチのような関節炎 = リウマチそのものではない」が原語の主張なのです。だから「リウマチ様多発関節炎」が一番原語にも“実態”にも近いような気がするのですが、これは専門家じゃない素人だからそう思うだけなのかなあ。
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通り魔事件などで腹の立つ主張を犯人がよくやります。「むしゃくしゃしたからやった。殺すのは誰でもよかった。反省も後悔もしていない」てな感じのもの。
……いや、ほんまに腹が立ちます。「そんなに人を殺したいんだったら、自分を殺せ」と言いたくなる。言っても仕方ありませんが。
まあ、逮捕されてもう二度と娑婆に出てこなければ、少なくとも無辜の民を殺して回ることはこれ以上はない(そいつに関しては再発が予防できる)ことがせめてもの慰めではありますが。
大野病院事件で検察は控訴を断念しましたが、その理由は「自分たちは正しいんだけど、裁判所の頭が固いからあきらめた」(記事の原文中の発言「裁判所の判断を覆すのは困難と判断した」をおかだが翻訳しました)。
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082901000451.html
つまり、検察は反省も後悔もしていないわけで、“次の機会”があれば“誰でもよい”から同じことをする可能性が残っているわけです。
……こちらの再発防止のためには、なにか良い知恵はありませんか?
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「地方に権限と財源を委譲」などと耳に聞こえの良いことを政府が主張しています。ところがいざ本当にその話が進もうとすると「地方には人材が不足している」なんてことを、中央だけではなくて地方も主張したりします。中央も地方も、地方分権を本当にやる気あるのかな?
介護保険も保険の主体は地方自治体のはずです。ところが、異なる自治体の主治医意見書を書いたらわかりますが、この意見書、各自治体で微妙に違っていますが項目そのものについてはまったく違いはありません。どこぞの「支配」が強力に行き届いていて、「地方の独自性」として違いがあるのは「レイアウト」のみなのです。たとえば「専門医受診の有無」の項目では、ある自治体では「専門医受診 有・無」が他の自治体では「専門医受診 無・有」になっていたり。書こうとするたびに間違えそうになります。私はパソコンで原稿を作りますが、自治体から届けられた意見書をプリンタにセットしても、行間や字間が微妙に違っていたり項目の配列順がちょっとだけ違っていたりして、完全に機械任せにできません。まったく、こんな中途半端な「独自性」は、要りません(絶叫)。どうせ同じ項目について判定を書くのだったら、いっそレイアウトも全国一律同じにしてください。さもなければ各自治体で完全に独自に「自分のところはこういった項目の情報が欲しいんだ」と本当に「独自性」を主張してください。
パソコンの部品が各メーカーごとに微妙に違っていて共有できないような不便さを医療の世界にも持ち込まないで欲しいと強く思います。それでなくても面倒な書類仕事が多いのに、煩雑さだけを増す不必要な『独自性」は不必要なのです。
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広告を見ると「あ、自分がガンになったとき役に立ちそう」と思わず保険に入りそうになってしまいます。でも、この保険に入るということは「自分がガンになったら100%告知を望む」と覚悟を決めている、ということですよね。あるいは家族がこの生命保険に入ったら「ガンになったら告知をする」ことを。
何も聞かされてなくて保険金の支払いがすなわち告知になるってのは、変です。ガンの告知はしない、でも、ガン保険の保険金は受け取る……これ、技術的には可能かもしれませんが、心理的には難しいんじゃないかしら。それに、告知せずにこっそりお金が受け取れたとしても、もしそれが本人に知れたら基本的な信頼関係が破壊されてしまうような気がします。
保険を申し込む前に、まずは自分の覚悟をもう一回確かめ、それから自分は告知されたいか、家族に告知したいか、家族は告知されたいか、そのへんをきっちり確認しておく必要がありそうです。
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書誌情報:『それでも、前へ ──四肢マヒの医師・流王雄太』高橋豊 著、 毎日新聞社、2006年、1429円(税別)
日本で初めて、四肢麻痺の状態で医学部に入学し、医師となった人のノンフィクションです。
1982年、ラグビーの試合中に高一の流王雄太さんは頚髄損傷から四肢麻痺となります。残された機能は肩が少し動き肘がかろうじて曲げられるのみ。体温調節もできなくなり、夏は熱中症・冬は全身が冷える状態に容易になってしまいます。排尿も自力でできないからおおごとです。
しかし彼は1年後に高校に復学。そこから「それでも、前へ」の人生が始まります。家族や友人たちの献身的な介護と本人の超人的な頑張りによって、一歩一歩前へ行くのです。
大学は法学部受験を勧められますが、自分は理系、とのことで理学部を志望。しかし実験ができなければ駄目、とのことで数学科に入学。大学は無事卒業しましたが、時期はおりしもバブル景気、浮ついた世の中に障害者の就職口はありませんでした。モラトリアムで大学院進学をしますが、先の見えない苦しさから彼は荒れます。そのとき出会ったのが「論理療法」でした。人の悩みや苦しみは、自分“以外”からやってくるのではなくて自分自身の非合理的な思いこみが自分自身を苦しめているだけ、それを合理的な考えにすることで悩みは解決する、という考え方です。「〜ねばならない」「〜にちがいない」という思いこみの世界から自己受容への道を示され、流王さんは「支えられる側」から「支える側」にもなりたいと望み、人を精神的に支える道、たとえばカウンセラーなどへの道を模索し始めます。
1991年の医師国家試験で、四肢麻痺で電動車椅子生活の山形大学医学部の学生が試験に合格して医師になった、というニュースを流王さんは見ます。それまでも電動車椅子の医師はいましたが、医師になってから事故で車椅子、とか、国家試験直前の事故だが下半身麻痺で上肢は動く、という例だけで、四肢麻痺の医学生という例はこれが初めてだったのです。流王さんは人の心を支える医師になることを志望します。
ハードルはいくつも考えられます。そもそも受験できるかどうかさえ不明です(前記の山形大学の人は「医学生が四肢麻痺になった」わけですが、流王さんは「四肢麻痺の人が医学生になりたい」わけで、前例がないのです)。しかし、相談を受けた人は「医師法の欠格条項に、四肢麻痺はない(少なくとも法律的には流王さんの希望を拒む理由はない)」と彼を励まします。解剖に代表される実習をどう受けその成績をどう評価するか、病棟実習はどうなのか、試験をどうやって受けるのか……それらを流王さんと大学関係者は、真剣なやり取りの中で次々クリアしていきます。入試の結果は優秀な成績で合格。前向きに生きようとする人に対して、その前に意図的に立ちふさがったり足を引っ張るのが好きな人間がいます。しかし岡山大学医学部は、「前向きに対しては前向き」で「医学生として受けるのなら彼がちゃんと医者として活動するところまで考えて受けるぞ」と動く人間が多かったようです。
6年間の医学生生活はさらりと書かれていますが、実際には大変なことが続出だったことでしょう。私は自分の学生生活を思い出していますが、あそこに車椅子で参加したとしたらどうなっただろう、と思う場面がいくらでもあります。「肩のわずかな動きで指の間に固定したサインペンを押しつけることでパソコンを操る」と言えば簡単ですが、たとえば右利きの私が、両手どころか右手だけを不自由にして左手でノートを筆記するとしただけでも、試験の結果はぼろぼろになることが必定です(経験談です。口述筆記のように朝から晩までノートをばりばり取っていて右手を痛めたことがあるものですから。関係ない話ですが、そのときのペンだこはすごいものでしたが、今ではそのペンだこもすっかりなくなってしまいました)。
無事に卒業し国家試験にも合格した彼は、最初の志望通り精神神経科に入局します。カルテ記載などのために自費でアシスタントを雇います(自分の給料の7割!(それでも安月給のためかなかなか人が見つからなかったそうです)……ただし、06年度からその費用は大学がもつことになったそうです。「障害者雇用促進法」の付帯決議によって厚労省が公共団体や独立行政法人に「重度障害者を採用および雇用継続するための職場環境の改善等条件整備」の要請をしたことを受けてのことだそうですが……まだ「要請」なんですね。国は障害者の社会進出に本気ではない、ということかな)。
流王さんが医師になった年、医師法の絶対的欠格条項が廃止されました。それがタテマエではなくてホンネであるのなら、「障害があるから駄目」ではなくて「障害があってもなんとかならないか」を考えよう、という姿勢のように私には見えます。もしかしたら「障害があるかどうか」が一番重要な問題ではなくなり「人にはできることとできないことがある。ではそこからどうするか」で個人が見られる世界が近づいているのかもしれません。
本書は「一般人である自分とは関係ないスーパーマンが頑張った物語」ではありません。「障害者になる」ことは、健常者であっても事故や病気などで「今日自分にも起き得る話」です。さらに、「自分は少しでも進歩したい」と思っている人間にとって、本書に登場する人たちは(流王さんだけではなくて、それ以外の人たちも含めて)、そのまま「人はこのように生きることも可能なのだ」と示してくれる「生きて動いている自分の人生のモデル」として見ることができます。(おそらく彼らはそんな説教臭いことは微塵も考えていないでしょうが)
私の友人で、医者になってからの事故で下半身麻痺になった男がいます。とてもアクティブで見習いたいところが一杯だったけれど、生きるのに急ぎすぎたかのようにそのまま鬼籍に入ってしまいました。ただ、時々思うのです。今の日本、もし彼が生きていたら、「これなら前より良くなってきたな」と満足してくれるように少しはなってきただろうか、と。
こういう「物差し」を持っていると、世の中を見る目が他の人びとより少し変わってしまいますが、私はそのことに不満はありません。
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「あなたの病気は命にかかわります」と宣告されたらショックです。頭の中が真っ白になってしまうでしょう。「あなたは重大な病気かもしれません。検査しましょう」と言われただけでパニックになったり検査する前から絶望的な気分になる人も珍しくないでしょう。(なまじっか知識がある分、悪いことを考えてしまって「悪い患者」になる医療者は多そうな気がします)
自分の家族が急に死んでしまった、これもショックです。「なぜ?」と呆然とするでしょう。それがたとえば交通事故だったら、加害者に「なんで殺した」と詰め寄りたくなるはずです。そこで加害者が「いや、急に目の前に飛び出されて」と言っても「弁解するのか」と怒りは増すばかりです。“加害者”が責任転嫁をすることで自分の“罪”から逃げようとしている、としか見えないのですから。その事故が本当に子どもによくある飛び出し事故で、“加害者”は単にそこを普通に運転していただけ、だとしても同じことです。その状況を説明する人間はすべて“加害者寄り(=敵)”として認識されてしまうでしょう。
では“加害者”はその被害者の家族の怒りをすべて受け止めるべきでしょうか。たとえば墓前で土下座? 飛び出し事故の場合“加害者”も実は“被害者”の一種です。ごく普通に落ち度なく道路を走行していて突然「人殺し」にされてしまったのですから。ふだん車を運転する人は、自分がその立場になった時どう思うかをちょっと考えてみてください。常にそうなる可能性は存在しているのですから。
この場合必要なのは“罪人”を作ることではない、と私は考えます。必要なのは時間と心のケア(癒し)です。周りの人間が、自分一人では受容できない悲しみと苦しみの中にいる人に、どのような援助ができるか、が大切だと思うのです。
キューブラー・ロスの「死の受容のプロセス」を持ち出すまでもなく、自分が耐えきれないもの(たとえば自分の死や家族の死)に直面した時人は、まずは拒絶を、あるいは怒りを抱きます。普通の人間があんな喪失体験を従容と受け入れられるわけがありません。
しかし、そこで裁判などを起こして“罪人”を作ることに集中することになると、“被害者”の家族は「怒り」の段階に長期間とどめおかれることになります。そして裁判で“加害者”が無罪あるいは予想外に軽い刑となると、そこで家族はこう呟くしかありません。「納得できない」。
それはその家族のせいではなくて、受容や癒しの段階に進むことを妨害した周囲の人びとの“罪”だと私は考えます。
*1)そもそも、犯罪ではない「事故」の場合にすべてを「被害者/加害者」と単純に二分するのは、適当なのでしょうか?
*2)感情で解決するべき場面を、論理を押し立てて「納得」することでなんとかしようというのは、実は「否認」の一プロセスである可能性がある、と私は感じます。もしそうなら、そのプロセスを“強化”するのは本人には有害な結果がもたらされるでしょう。
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今のフルーツ・ショップには、パパイヤ・マンゴー・パッションフルーツ……様々な(私にとっては)珍しい果物が山盛りです。昭和の半ば、果物といえば林檎・蜜柑・梨・柿だった時代に育った私にとって、今の店先の光景は、まるでおとぎの国のように見えます。今は普通に食べられるグレープフルーツでさえ、輸入が自由化されたのは私がハイティーンの時。当時はグラニュー糖をかけて食べていました。(苺も練乳や砂糖を混ぜた牛乳をかけて食べていた時代のお話です)
そういえばあのころの「メロン」はプリンスメロンでした。私が初めてマスクメロンにお目にかかったのは、父親が入院した時にお見舞いで頂戴したものだったはず。父親の入院は悲しかったけれど、マスクメロンはこの世のものとは思えないくらい美味しかったなあ。病院の前の果物屋でもマスクメロンは一段高いところに飾ってありましたっけ(当時のデパートの玩具売り場で戦艦大和のでかいプラモデルが飾ってあったのと同じような位置です)。
で、今からは考えられないことでしょうが、バナナは、マスクメロンには負けますが、やはり特別な存在でした。なにしろ「輸入物」ですし、その「滋養」は保証付きで、病気で弱った子どもにとってバナナは特別な病人食だったのです。
バナナはかつて「黄色いダイヤ」とも呼ばれていました(ちなみに当時の「黒いダイヤ」は石炭)。人気商品なのに輸入制限があったため大きな利権が発生して、台湾からの輸入を巡って政官財に関するきなくさい話が新聞で報じられているのを読んだ覚えがあります。(その割には、たたき売りがされていたのも不思議ですが)
今となっては不可思議な話もあります。
どこからか「皮が黒いところや中がいたんだところを食べたらコレラになる」という噂が流れました。「そのコレラ菌がどこから来たのだ」「バナナでコレラが伝染した例がどのくらいあるのか」「たとえバナナに菌が付着していても、皮はむいて食べるのではないか」とは思いますが、当時はそれを信じる人がけっこう多くいたのです。(これはおそらく正論よりは感情、の世界です。昔の「黒死病は悪い空気で伝染する」「種痘(牛痘接種)をすると牛になる」「ハンセン病・肺病の家系(ハンセン病や肺結核は遺伝する)」を信じた人を笑えませんね。もちろん最近にもたとえば「エイズは蚊が媒介する」を信じる人がいるのですが) そういえば、昭和30年代には台湾からの貨物船でコレラ患者が出たため、積み荷のバナナが自衛隊によって火炎放射器で焼却処分、という“事件”があったそうです。
私もさあ食べようとバナナの皮をむいたら先の方が一部傷んでいて、母親に「そこはあぶないあぶない」と先を折り取られて、とても悲しかった思い出があります。でも「コレラになるよりマシ」と思って短くなったバナナを食べましたが、その折り取ったところを母親は「大人は大丈夫」とか言いながらぱくり。子どもだけかかるコレラって、ありましたっけ?
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書誌情報:『医学が歩んだ道』フランク・ゴンザレス・クルッシ 著、 堤理華 訳、 ランダムハウス講談社、2008年、2300円(税別)
医学論文で必ず問われるのは「何か新しいことが盛り込まれているか」です(これはおそらく医学以外でも同じことは求められるでしょう。私は他の分野の論文を書いたことがないので、ただの想像ですけれど)。単に過去の知見がずらずら並べられているだけなら、そんな“論文”は読むに価しません、いや、それ以前に存在価値がありません。読者は焼き直す前の過去のオリジナル文献を読めばいいのですから。その過去を踏まえて、自分なりのノイエス(医者の世界のスラングでドイツ語ですがNeues、英語に直訳したらnewsですが意味からはnewnessかな)を主張しなければそれは「私の論文」ではないのです。
本もそうでしょう。「他の人とは違う自分独自の主張や見解」が盛り込まれていない本は、わざわざ新しく出版する必要はありません。
さて、本書は医学史を扱っています。「医の巨人」(たとえば19世紀後半なら、コッホ・パスツール・北里柴三郎などすぐにいくらでも出てきますね)の人気が高いせいか、この分野は類書がやたらと多いので、著者のオリジナリティはどこにあるのか、と、まずそこが気になります。(“素直な読者”だったら、「医学の歴史って面白そう」と思うべきなのでしょうけれどね)
医学の歴史を描くのに、「医学の歴史上で偉大なことを成し遂げた人の列挙」という手があります。本書も、ヒポクラテス・プラトン・アリストテレス・ヘレニズム時代(ヘロフィルスやエラシストラトス)・ガレノス、といった定番ネタで始まってはいますが、単なる「医学の偉人伝」ではありません。むしろ、「医学は偉人のものではなくて、ごく当たり前の人間が間違いを犯したりしながら仕事をしているうちに思いもかけず時代の寵児になってしまった、なんてことが積み重なってその時代を形作った」という視点で書かれています。だからと言って「医者はこんなにつまらないことをした」のネガティブなことを書き連ねるわけではなくて、「医学の本質(他者に捧げる行為)」への尊敬の念を示すことも忘れてはいません。「当たり前の人間」は実は時代の申し子であり、彼らが当たり前に(あるいは頑張って)仕事をした集積がそのまま「時代」を作っていった、というきわめて当たり前の態度で本書は書かれているのです。
もちろん、とんでもないドジもあります。たとえば、梅毒と淋病がまだ混同されていた時代に、病気持ちの売春婦から採取した液(どこから採取したかは書かなくて良いですね?)にメスを浸して、それで自分のペニスを刺してしっかり性病をもらってしまった医者とか。(ただ、医者には自分を使って実験する傾向もけっこうあります。最近でも、ヘリコバクター・ピロリの感染性を、自分で飲むことで“証明”した研究者がいませんでしたっけ?)
失敗談を正当化するならば、医学の歴史で重要なのは、“成功談”だけではなくて“失敗”をいかに生かしたかだ、と言えますが、これはあながち的外れとは言えないでしょう。
具体的に取り上げられる病気は、ペスト・ハンセン病・梅毒・天然痘・結核・インフルエンザ……
ここでは「病気の歴史」だけではなくて、それに立ち向かった医師たちの姿が生き生きと描かれます。思わず吹き出すような失敗談・驚くような偶然・勇気・洞察・自己宣伝の才……様々な病気と様々な医師が織りなす“ドラマ”は読んでいて飽きません。
「病気という概念(何を病気とするか)」についての章も興味深く読めます。最初はヒポクラテスで始まるので「神聖病(てんかんの発作)」かな、と期待したら軽くスルーされてマラリアが取り上げられます。残念。つぎつぎ様々な病気が登場したあと、19世紀のパリで臨床病理学が推進されたことを著者は熱気を持った文章で描きます。『臨床医学の誕生』(フーコー)でもフランスにおける病理解剖の重要性が強調されていますが、こちらのほうがずいぶん熱い、と思ったら著者は病理学者だったんですね。なるほど。
精神病と向精神薬のところはもう少し掘り下げても良いのでは、と感じましたが(「精神病」が「精神の病気」なのか「脳の器質障害」なのか、について面白い議論ができると思うのです。薬物は魂ではなくて肉体に作用するものですから)、ともかく、医学史についての初級編(一部中級)としては大変良い本です。
そうそう、本書で著者はガレノスに対して否定的です。しかし私の目には、ガレノスが1000年以上西洋医学を支配したのはガレノス個人の罪ではない、と見えます。ニュートンでしたか、「自分は巨人の肩に乗っただけ」と言った人がいます。天才などと評される自分が他の人より遠くを見ることができたのはただ巨人の肩に乗ったから、と言うわけですが、巨人とは前人の業績のことです。たしかに人がまったく単独で成し遂げられることはしれています。前人の失敗に学び前人が到達したところからスタートできるからこそ、進歩があります。ところがガレノスの場合、人びとは「巨人」の前にひれ伏すだけで、その肩に上ろうとはしませんでした。それはガレノスではなくてひれ伏した人びとの“罪”でしょう。私はそう考えます。
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「こんなに自分が不幸なのは世の中のせいだからいっそ戦争が起きてしまえ」と思っている若者が増えている、という報道をこの前目にしました。物騒な話ですが、絶望した人がヤケになって「いっそ他人も不幸に」と思うのはある意味当然のこととも言えます。それはそう思う個人だけの問題にするのではなくて、そう思わざるを得なくなる社会の問題としても捉えるべきでしょう。
ただ、私が気になるのは、そういった人が「戦争」を望むことです。「革命」ではなくて。
戦争と革命、どちらも「社会の破壊」を現象として伴いますが、少なくとも革命は「その後のよりすばらしい体制の誕生」を望んでの行動です(あくまで理念であって、歴史を見れば実際にはそうならないことがけっこう多いとは思いますが)。しかし戦争は、負ければ体制は破壊的に大きく変化しますが勝てば強化されるだけです。しかもたとえばUSAのように海外でだけ戦争をする場合、負けても「戦争による社会の破壊」は国内では(急には)起きません。すると前出の若者たちが望んでいるのは攻め込まれたタイプの戦争での「敗戦」なのでしょうか。
さらにもう一つ。「革命」は自分たちが行動することですが、「戦争」は誰かが起すものです。
もう自分では何もする気にならず、ある種の乙女が「白馬に乗った王子様」がやって来るのを待ち望むような感じで、「黒馬に乗った戦争」がどこからともなくやってきて社会をめちゃくちゃにしてくれることを望んでいる……私はこれには大きな違和感を感じます。
ここから私の連想は医療崩壊へ。
医療不信に凝り固まった人(の一部)は、自分で「革命」を起して医療を良くすることよりも「戦争」によって医療が破壊されることを望むようになっているのかもしれません。そう考えると、今の医療に否定的な人たちの(さらにその一部の)「医療崩壊」に対する無関心ぶりが説明できます。なにか新しくて良いものができなくても、とにかく今の医療が壊れれば満足、ということなのでしょう。だけど……その反動で医療者の側がこんどは社会不信に凝り固まってしまったら「日本の医療も社会も壊れてしまえ」と多くの人が平然と思うようになるのではないか……それはちょっと怖いように私は思います。いや、「ちょっと」ではなくて「相当」ですね。絶望や憎悪による破壊から生まれるものは、醜い姿をしている可能性が高いでしょうから。
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そもそも「事件」ではなかった「大野病院事件」は当然の判決が出ましたが、そのことについては多くのブログで取り上げられているので、屋上屋を避けます。(事件性があるとするなら、本来事件ではなかったものを事件化して医者の人生と医療を破壊したことにあるとは思いますが)
私が今気になっているのは、それが報じられていたのと同じ日の新聞の別のニュースです。
西濃運輸の健保組合が、高齢者医療制度への支出(前期高齢者納付金と後期高齢者支援金)が過大(加入者からの保険料の6割になる)で組合の収支が赤字になるため解散して、従業員は全員国保へ移行、というニュース。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/080822_1.htm
で、これは西濃運輸だけの問題ではなくて、多くの健康保険組合が赤字になりそう、とのことです。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20080822-OYT8T00267.htm
国が国民のことよりも自分の負担を減らすことを狙って作った制度ですから、結局その「減った負担分」は誰かがかぶらなければならず、それがまずは西濃運輸を直撃した、ということでしょう。で、この「事件」はおそらく“連鎖反応”を示すと思います。そうなると国の方は自分の支出を増やさないために国保料の値上げを考えるでしょうが、さて、そこでこんどは何が起きるでしょうか? 誰でも容易に想像できることが……
こういった野放図な国の民間へのつけ回しは不健全だと私は感じるのですが、そうは感じない人が政策を作っていることがこの問題の奥に隠れています(それが根本原因かどうかはわかりませんが)。政策を作るのは、税金にたかることに慣れている人や、民間の資金(政治資金とか、タクシーで提供されるビールなど)を消費することに慣れている人たちばかりなのかな。そんなに民間に頼りたいのだったらいっそ政府そのものを「民営化」した方が良いんじゃないかしら。
そういえば税金徴収の費用も、民間がけっこう負担していますね。本来だったら各個人が税務署に納税する必要があるのに、会社がそれぞれの企業分をまとめて処理代行しています。その事務費や人件費は全部会社の負担ですが、これも「国の負担の軽減(=民間へのつけ回し)」と言えるでしょう。
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