昭和の頃の思い出です。いくつかの事例をまとめ、フィクションと記憶の変質が入っています。
「ご臨終です」
私は静かに頭を下げました。人の生き方は様々、そして人の死に方も様々です。そしてその死を迎える家族の態度も……
「お姉さん、早速だけどあの珊瑚の帯留め、私がもらうわよ」
病室にけたたましい声が響きます。
「ええ〜、だったら帯は私のよ」
「駄目よ、帯がなかったら帯留めだけあっても仕方ないじゃないの」
「だったら指輪で我慢しなさいよ」
「お前ら、臨終の枕元だぞ。そんな形見分けの相談は後にしろよ」
「何言ってんのよ、お兄ちゃん。昨夜はちゃっかり遺産の計算してニコニコしていたくせに」
私はさっさと部屋から退散することにしました。入院したときにこの患者αさんがハンドバッグを大切そうに抱えて誰にも触らせなかったわけが分かるような気がします。そのバッグも今開けられて中から貯金通帳が取り出されています。「ちぇっ、8桁なかったか。でもやっぱりしっかり貯めてたな」そんなせりふも耳に入ってしまいました。聞きたくもなかったのですが。
生者に対してというより死者に対する礼儀として部屋の出口で黙礼をした私は、喧噪の外側、病室の隅にぐったりと坐っている人を見つけました。αさんの長男のお嫁さんです。本当に疲れ切った風です。それはそうでしょう。入院以来毎日病室に通って本当に熱心にαさんの世話をしていたのは彼女だけです。他の、今あさましく枕元で形見分けの争奪戦を行なっている実子たちが何度も病院から電話をした結果やっと顔を見せたのは、αさんが亡くなる前日になってからで、それでも「まだ生きているじゃないか。なんで死ぬ五分前に呼んでくれないんだ。それだったら死に目にもあえるしこちらの時間も無駄にならずにすむ」と不平タラタラでした。長男は病院に来るなり「死ぬのは病院の責任なんだから、ちゃんと責任取って葬式を出してくれるんだろうな!」と要求していました。「ガンの末期がどうしようもないのは病院の責任ではありません」と断られると「それならせめて火葬して骨にしろ。それくらいはできるだろう」と要求をダウンしてそれでも食い下がっていました。
この有様を見たらαさんは死んでも死にきれないだろうな、と私は思いましたが、同時にそのように子供たちを躾けたのもαさんなのだから、仕方ないのか、とも思いました。どちらにしても他人の親子関係ですから、私にはどうしようもありません。
そして、私はもう一つのことにも気がつきました。この部屋で涙ぐんでいるのは、お嫁さんだけです。実子たちは体力を温存していて元気いっぱいです。
αさんの入院生活は一年以上だったので、長男のお嫁さんとのつき合いもそれだけの長さだったことになります。義母の介護と家の仕事と子育てに本当に忙しそうでしたが、盆や正月に彼女はもっと忙しそうになっていました。「里帰りがありますから」と言い訳をしながらいつもより早く病院から帰っていく姿を目撃したことがあります。翌日も彼女は一人で介護に現れていましたから、自分が里帰りをするのではなくて、つまりあの実子たちが家族を連れて実家に帰ってくるのでその世話も大変だった、ということなのでしょう。
目に見えるようです。「やっぱり育った家が一番だわ」と盆や正月に実家に帰って、そこのお嫁さんに家事を全て押しつけてのんびりしている人たちの姿が。そして、忙しく働いているお嫁さんは「自分が育った家」に帰れないわけです。さらに義理の親の看護・介護をすべて行なったお嫁さんに、遺産相続権はありません。これではまるで「貧乏くじ」です。
民法では、実子すべてに親の面倒を見る義務があるはずです。「自分は嫁に行ってこの家を出たから」とか「次男だから」というのは、自分の親の面倒を長男の嫁に押しつける正当な理由ではありません。しかし、かつての家制度の残滓を自分にだけ都合よく使って、自分がするべき義務を断り切れない他人に押しつける人間が当時の日本にはたくさんいました(もしかしたら今もいるのかな)。いわば、人の好意につけこんでいるわけ。だけど、そうやって人の好意につけ込む人間は、いざこうした形見分けや遺産相続の場合には自分の「権利」だけはちゃっかり主張するものなんだなあ、と私はつくづく思います。
だけど、そういった人たちの子どもたちが「自分の親がその親をどう扱っているのか」を見て育ち、そしてそこから「自分は将来自分の親をどう扱えばいいか」を学んでいるのだろうな、と、私はちょっとだけ気になってます。
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昭和の時代から環境が随分変化したのに、昔のように在宅で看取りを、でもインフラ整備はしないもんね、という政府の方針は、協力しかねます。
もうちょっと「ほどほど」とか「好い加減」のあたりでバランスを取る知恵が必要なんでしょうけれど……
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