大宅壮一は昭和25年に書いた「日本人民共和国の可能性」(私が読んだのは、『昭和生活文化年代記 20年代』(川本三郎 編集、TOTO出版))で、明治維新や敗戦前後での日本人の行動から「日本人には「風を望む」気風がある(ともかく大勢につこうとする)」と喝破しました。こういった「風を望む人」の場合、一番大切なのは「自分が順風を受けて進んでいるかどうか」であって「その風がどちらに向かって吹いているか」ではありません(自分が望む方向に逆風を間切って進む、という発想はなさそうです)。だから「徳川将軍家に平伏」は簡単に「尊皇」に、「攘夷」は「文明開化」に平気で変わることができるし、「天皇陛下万歳」「鬼畜米英」はスルリと「民主主義万歳」「GHQには逆らえない」になるわけ。要するに「錦の御旗」は「何でも良い」のです。「“それ”を大勢が支持している」ということさえ確かなら。
最近登場した「KY」(ちなみに私が大嫌いなことば(の一つ)です)では「K」は空気(雰囲気?)のことですが、「空気」にしても「風」にしても「目には見えないが自分を取り囲む圧倒的な存在」というイメージ(「だからおれたちは逆らえないんだよぉ」の言い訳)で使われているように私には感じられます。しかし、そこで「自分」は単に風に押されるだけの受動的な存在なのですか? 行き先は風に聞いてくれ?
それは無責任です。だって「あなた自身」がまわりの人にとっては「風(またはK)」そのものなのですから。
※ただ、この「風を望む」姿勢が日本特有か、と言えば私は疑問を感じます。欧米の歴史でも「風が吹いた(人々が自分の頭で考えずに「風」に吹かれた)」例がいくつもあるように私は感じますので(たとえば「魔女狩り」や(黒死病流行時の)「ユダヤ人虐殺」などはどうでしょう)。
最近知ったブログ「農家こうめのワイン」は「農家」「ワイン」と中身を示すことばがタイトルについていますが、実は医療に関しても秀逸な記事が並んでいます。
一昨日読んだ「わかりやすさとわからず屋」では医療崩壊が論じられていましたがそこで「(モンスターペイシェントは100人に1人に過ぎないとしても)モンスターペイシェント問題の本質は、存在するモンスターに無関心な99人の方なんじゃないでしょうか。」とあります。つまり、モンスターを放置することはモンスターの行動に暗黙の支持を与えているのと同じでそれが結局医療崩壊に力を貸している、と。「モンスターではない人(自分はモンスターではない“善人”だぞ、と自覚している人)」にとっては心外な言われようでしょうが、当たっている、と私は見ました。
これはたとえばいじめでも同様ですね。いじめがあるのを黙認している多数の人々がいるからこそいじめは横行します。もし回りの多数が明確に反対したらその「K」に反していじめを公然と続行できるだけの根性を持ったいじめっ子はあまりいません。いじめられた側が公然と牙をむくだけでびびる連中なのですから(体験談です)。
『菊と刀』(ルース・ベネディクト)では、「欧米人は罪の文化・日本人は恥の文化」という(単純な)二分化が行われました。ただ、ベネディクトの調査対象が強制収容所に入れられた日系人という偏った母集団であり、この本の目的が戦争の勝利に役立てることであったこと、を差し引いても、けっこう頷ける分析だとは感じます。日本の伝統文化では「恥」が行動の抑制力としてたしかに機能していました(ただ、日本特有かと言えば疑問はあります。欧州などではたとえば「名誉」を重んじる伝統がありますから)。で、モンスターペアレントやモンスターペイシェントを「恥の概念が欠如した存在」と表現することも可能でしょう。それらは恥知らずの行動を公然と行なっている、いわば「日本の伝統文化に反した存在」です(だからこそ、カタカナのままで和語化がされないのでしょう)。
では、彼らだけが「無恥の輩」なのでしょうか。
田舎に住んだらわかりますが、そこで感じるのは「濃密な誠意」です。最近は昔ほどではないそうですが、それでも今でも手にとって触れるくらい濃密な「誠意」や「善意」がべたべたごろごろ転がっています。で、あれだけ濃密だからこそ「誠意を裏切る行為」に対する「恥」の意識が(「誠意」と「裏切り」の落差をエネルギーとして)人の行動を律するパワーを持つのだろう、と私は感じます。ところが現代の都市社会では「誠意の希釈現象」とでもいうべきものがおきてしまい、その結果「誠意」だけではなくて「恥」も人の行動に何らかの影響を与える力を失ってしまいました。それでもなぜマズイのかが明確に言えないけれど従来の慣習から「これをやったらマズイだろう」と思って“それ”をやらない人が大多数の一般人で、希釈された誠意の中を「明確に禁止されていないのだから何をしても良いのだ」とのびのび動いている人がモンスター、と分類できるように私は感じます。
ということで、モンスターの跳梁跋扈を阻止するのは、世間の「風」かもしれません。しかし、嫌な予想ですが、もしかしたらこれからはモンスターの方が「風」になってしまうかもしれません。さて、そのとき、「風」に素直に流されていきますか?
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ぼんやり医薬品集の索引を眺めていたら「ハピナール」という薬名が目にとまりました。「まさか“ハッピーになる”の語呂合わせじゃないだろうな」と思いながら当該ページを開いたら、麻薬でした。自分にも他人にも使ったことはありませんが、本当に「ハッピーになれる」のかもしれません。
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