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馬鹿・莫迦・バカ・ヴァカ……さまざまな表記がされますが、これが単純なように見えてなかなか難しいことばです。大阪と東京での「あほ・ばか」の違いに関する話もありますし、同じばか呼ばわりでも誰にどんな口調で言われるかで、言われた方の精神的ダメージは大きく違うでしょう(私の場合でしたら、魅力的な女性に柔らかい笑顔とともに「まあ、ばかねえ」と言われるのと、嫌いな人間に「この馬鹿野郎」と吐き捨てるように言われるのとでは、その心境は天国と地獄くらい違うでしょうね)。
語源について各種の説がありますが、一般的にもっとも人気があるのは『史記』説(馬と鹿の取り違え)でしょう。中国語だと漢音でも呉音でも「鹿」は「しか」ではなくて「ロク」なので「馬鹿」を「ばか」とは読めないはずですから史記説は間違っているだろうとはたしかに思いますが、実は私はこれが気に入っています。学問的には根拠が薄くても、話としてはすこぶる面白くて含蓄がありますから。
古代中国の数百年の長きにわたった戦乱時代を強引に終わらせたのは秦の始皇帝でした。しかし彼は中国の統一はしたもののその安定化はできませんでした。始皇帝の死後、息子でもっとも優秀な扶蘇は陰謀で殺され、第二代皇帝となったのは、それほど優秀ではない(ブレーンが操縦しやすい)胡亥でした。皇帝をさしおいて宮廷で実権を握ったのは、宦官の趙高。こいつが悪いの。皇帝をもろにばかにして自分の権勢を誇るのですから。
ある日趙高が皇帝に「名馬を献じます」と言って、目の前に鹿を引き出しました。胡亥は驚き「これは鹿ではないか」と言いあたりを見回します。ところが趙高がじろりと睨むものですから、居並ぶ群臣は次々「馬でございます」と言いました。中には「鹿でございます」と言うものもいましたが、彼らは後日趙高によって殺されてしまいました。
さて、ここで「ばか者」は一体誰でしょう?
登場人物をリストアップします。
1)皇帝をないがしろにする宦官、趙高
自分が権力を持っていても、それを露骨に誇示したら反対派が頑張ってしまいます。なにより皇帝がその反対派の中心に座って「お墨付き」を与える可能性があります。ですから趙高は頭が良いとは言えません。
2)頭を押さえられておろおろしている皇帝
臣下をきちんとコントロールできない皇帝は、できが良いとは言えません。
3)趙高の権勢をおそれて、鹿を馬と言う群臣
ちゃんと自分の安全を計算している点では頭を使っていると言えます。でも、鹿を馬と言うこと・皇帝をないがしろにする態度、って、立派です? 結局そんな態度の人間ばかりだから秦は滅びたと言えます。
4)権勢をおそれず、鹿を鹿と言う少数派
皇帝を大事にし、鹿は鹿と言う、これは立派です。でもそれで殺されたのでは、なんのこっちゃです。もうちょっと“空気”を読んでも良かったのでは?
ということで、結局みんな、「ばか」?
医療崩壊についても私は似たことを感じます。同じ「現在社会の中の医療」というモノを見て、「馬」という人と「鹿」という人がいます。医療(崩壊)が馬なのか鹿なのかはともかく、居並ぶ“群臣”はいろんなことを言っています。
「医療崩壊だ」「医療崩壊ではない」「医者が足りない」「医者は足りている」「金が足りない」「○○が悪い(○○のところには、医療に関係する人が全部挿入可能です)」「騒ぎすぎだ」……
権力を握りそれを維持するために、過去の自分が“失敗した”と認めない人がいます。
“身の安全”を求めるためか、権力にすり寄り政府の言い分を繰り返すだけの人がいます。“空気”を読むわけです。たとえばコイズミ改革の「三方一両損」を熱狂的に支持した人はここに入るでしょう。(で、「三方一両損」を支持した人は、その直接の成果である後期高齢者医療制度を簡単に否定してはいけない、と私は考えますよ)
少数派となって袋だたきに遭い、それでも「現実を見ろ」と言い続ける人もいます。
アナウンス効果でますます現実がひどくなるから、みな目をそらせ・口を閉じろ、と言う人もいるでしょう。
……あらら、となると、結局みんな、「ばか」?(少なくとも、「自分以外は皆ばか」と思っている人は、多いでしょうけれどね)
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