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2008.06.17 06:58 |  医療制度 / 行政  |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  社会・歴史  |  おかだ  | 推薦数 : 3

無謬の組織 

 「あってはならない間違い」とはよく聞くことばです。たしかにやたらと間違える人間は会社などではただのお荷物で使い物にはなりません。もし戦時だったら、そんな人は“味方"ではなくて“敵"の方でせっせとお仕事をしてくれ、と言いたくなるでしょう(「馬鹿な味方は敵より怖い」(ロシアの諺))。
 ところが「あってはならない間違い」どころか「間違いがあってはならない」という主張さえあります。つまり無謬の強制です。だけど「絶対間違えない人間」が存在するのか、と問われたなら、私は真っ先にうなだれます。だって、たとえば現在打っているこの文章を頭からたったここまでタイプするだけでもキーの入力間違いや文字・語句の訂正は2カ所や3カ所ではきかなかったのですから。さらに文末まで打ち切った後でも、文章の修正は何カ所もあるはずです。胸を張って言うべきことではないでしょうが、私は「間違える人間」なのです。でも……私だけが間違える人間で他の人はみな完璧なのだったら非常に悔しいのですが、そんなことはないですよね。一般論としても、人間は間違えるものなのです(ですよね? ね?)。

 「人間は間違えるものです」と私が言うと「医者が間違えて良いと思っているのか!」と烈火のごとく怒られることがあるのですが、さて、そういった無謬の強制には深刻な副作用があると思うのですが、いかがでしょう。
 考えてみましょう。「間違える人間」「間違える組織」が「間違えてはならない」と強制されたら、実際に間違いが生じたときどのような反応が生じる可能性があるでしょうか。みっともないことがいろいろあるでしょうが、私がすぐ思いつくのは……
#1 間違いを隠す。もし見つかっても間違えたと認めない。
#2 最初からそういうものだと強弁する(そういえば某メーカーの「バグではなくて仕様です」なんて見苦しい主張がありましたっけ)。
#3 外部からの指摘は黙殺して(あるいは聞いたふりをして)、あとで「恥をかかせやがって」と復讐する(直接間接に。あるいはまったく無関係な方向に八つ当たり)。
#4 内部告発をした犯人捜しに夢中になる。

 理屈だけ言わないで、実例を挙げましょう。日本のお役所です。あそこでは先輩の仕事を批判・否定しません。だって先輩は「無謬」なのですから。自分たちの仕事も批判・吟味・否定・後日の評価をしません。だってプランができて予算が付いた時点でその仕事は「完璧」なのですから。私は「後日の評価」はどんな仕事にも必要なことだと思いますが、「無謬」だったらそれは無駄な作業だから不必要、が官僚の信念と主張でしょう。ですから彼らに「見直しを」なんて言ったら、ものすごく感情的な反発が返ってくるだけです。本人たちは「理屈」を述べているつもりのようですが、実はあれは感情の表明であって理屈ではありません
 ということで、医者(に限らず周囲の人)に対して無謬を強制しようとする人たちにとっての“理想の組織"は、現在の厚労省や年金庁(の仕事ぶり)、ということです。さて、それでOK?

 私から見たら、「間違えてはならない」というスローガンやイデオロギーを固守することよりも、「間違いはある。しかし間違いが出たときに、その“損害"をいかにして最小限にするか/それをどう“糧"にするか」の実利的な発想の方が医療には重要だと思えます。必要なのは「間違えない人間」ではありません。「間違える人間が仕事をしても、ちゃんと機能する(重大な損害をもたらさない)システム」です。必要なのは「間違えてはならない」というスローガンやお説教ではありません。「必ず発生する間違いをいかにして減らすか」の組織的で実効的で現実に実行可能な工夫なのです。
 ……官僚に対して「間違えても良いよ」と言うには“勇気"が要りますけどね。だけどそれに続けて「その間違いを国民の利益につながるように活かしなさい」があれば良いんじゃないかしら。なんだか今の官僚の基本的態度では、前半だけ聞いて後半は無視されるかもしれないので、それはそれで心配ですが。


 そうそう、「間違えた人間を罰すればいいのだ」と強く主張する人がいます。司法関係にそんな人が多いように思いますが(医療訴訟で弁護士がそんな主張をしたりそんな判決が出たりしますね)、では日本の裁判は何で三審制なんでしょう? もし「自分たち」が「絶対間違えない」のなら一発で結論を出す一審制で良いんじゃない? 最初から“間違いはない"のですから。だけど、量刑の解釈が違うくらいならともかく、一審と二審で有罪無罪がひっくり返るような場合は、どちらかが明らかに「間違っている」わけですよね。あるいは、冤罪とか誤審があったことがばれた場合には「国家賠償法で金(税金)を払ったらそれでおしまい」ですが、原因解明とか再発予防とかの調査と結果の公表がありましたっけ?(少なくとも私は見た覚えがありません) 他人に対して「間違ってはならない、間違ったら厳しく罰するぞ」と言っている人たちがそういった「自分たちの間違い」(の現実と再発予防)にはまるっきり無関心・無頓着・放置放任なのは、当人たちには自己正当化の“正しい”理由があるのでしょうが、“罰せられる側の人間”としてはなんだか釈然としません。「間違えた人間を罰すればいいのだ」という自分たちの主張が正しいのなら、自分の主張を“首尾一貫”させて、自分たちもきちんと罰してもらいたいものです。

 あるいは「人は間違えるものだ」と認めるか。


※私が求めるのは「原因追究」であって「原因追及」ではありません。日本語が使える人ならこのちがい、わかりますよね? それとその目的も。私が望むのは、他罰によって自分の溜飲を下げることではなくて再発予防とそれによってこの世が少しでも良くなっていくことです。ただ、ダブルスタンダードを駆使する人間にはその“事実”をつきつけたくなる欲望を人並みには持っているので、それを今回は発揮してみました。


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こんばんは。

何度もうなづきながら読ませていただきました。
まったく同感です。

誠に勝手ながら
おかださんのブログをボクのブログで紹介させていただきました。
といっても個人の日記の範囲を超えない程度のものですが・・。

事後報告で申し訳ありませんが
もし失礼、不都合などありましたらご連絡いただけると助かります。

http://blogs.yahoo.co.jp/caplicoseijin/40119326.html

失礼いたします。
written by かぷりこ / 2008.06.19 21:44
かぷりこ さん
 過分なご紹介、ありがとうございました。あまり褒められた経験がないもので、褒められるとかえって緊張したりして……(^_^;)
 気儘な楽しみで始めたブログですので、気楽にお立ち寄りくださいませ。
written by おかだ / 2008.06.20 20:38

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