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報道だけが根拠なので完全な自信はありませんが、「はいつぎ、はいつぎ」と一日に100本も点滴をするとは繁盛している診療所にしても尋常ではありませんね。しかもそれがほとんど同じ内容の点滴だったとしたら、職員が作り置きしたくなるのは当然でしょう。(だから患者を殺して良い、などとは言っていません、念のため)
マスコミはやたらと「作り置き」「作り置き」の連呼です。でも、問題の本質は、「作り置き」自体にあるのではなくて、まずは「菌が混在した(操作が不潔だった)」こと、そして「混入した菌がわらわらと増えるくらいの時間を与えられた」ことでしょう。清潔操作が徹底されていて点滴内に菌が入らなければ感染は起きません。もしもごく少数の菌が入っても(言い方は悪いのですが)それが分裂して増える前に消費してしまえば、やはり感染は起きません(感染症が起きるにはある程度の量の病原体が必要です(その最低量(菌数)は病原体によって違います))。
するとまず問題にするべきは、職員の手・診療所の環境(水道のカランやドアノブ、調剤の机など)が細菌で汚染されていたことです(工場で薬液が汚染されていたら、日本中で同じ現象が起きるでしょう)。つぎに、その菌が点滴ボトル内に入るような操作をしていたこと。作り置きについて論じるのは、そのあとです。
ただ……前の日に作って残ったのを次の日に回した、と讀賣にありました。これはたとえ菌が入っていなかったとしてもやはり問題でしょう。薬液は原液だと安定しているけれど薄めたら変質しやすくなると教わった覚えがあります(ただこれは一般論で、この事件の薬液に当てはまるかどうかは確認していません)。
突然話が飛ぶようですが……秋葉原通り魔事件でマスコミはなんだかやたらと「秋葉原」と「ダガーナイフ」にばかり反応しているようです。「秋葉原」からは「オタク」に話を持って行こうとして失敗したフシがありますが(でも「派遣」に持って行ったら、民放などは大スポンサー様に遠慮が出るんですよね)、ダガーナイフは規制の方向のようですね。でももしダガーナイフがこの世から消えたら万事解決なのなら、スティレットや鎧通しはどうなるんだよ、と揚げ足取り的なことを私は思っています(どちらも市販されてはいないとは思いますが、拳銃のように市販されていない武器だって日本ではあちこちに平気で存在するところを見ると、「規制されているから安心」とは私には思えません)。
なんというか、自分が目を奪われたキーワードにだけ反応してことの本質(そのキーワードが生きている“文脈”)をしっかり見ようとしないと、結局キーワードに“対策”を実行してもまた同じようなことが繰り返されるのではないか、と思うのです。秋葉原事件の場合の“文脈”は、犯人の個性と環境の関係、と私は思っています(私は凶器には注目していません)。点滴事件の場合は、職場の日常での院内感染に対する標準予防策(スタンダード・プリコーション)の徹底と点滴作成時の無菌操作の徹底がどうだったのか。
一つのキーワードだけですべてが語れるほど、この世は単純ではないでしょう?
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OECDの統計で比較しても日本の現状から判断しても医師数は足りない、という真っ当な意見がやっと少し日本で声量を増してきたようですが、さてその意見が政治を動かして医師数を増やすことが決定されたとして、「それ」は“間に合う”のでしょうか。
たとえば医学部の定員を今日から10%増やしたとします(教室や教員のキャパを考えたら、そのへんが実用的な限界だと私は考えます)。で、その人たちが卒業して初期研修と後期研修がすむ(医者のヒヨコが誕生する)のが11〜12年後。経験を積んで一人前の医師として使えるようになる(医師の若鶏になる)のは今から15〜20年後です(大学院にも行かせるのならそれにもう数年プラスしてください)。「団塊の世代」が「後期高齢者」になる頃とほぼ一致しますが、さて、そこからは医療の需給関係はどうなるでしょう。需要はピークで減少傾向。供給はそこから増加でしょう。(で、そのときになって「医者が多すぎる」と医学部の定員を大削減しても、それで医者が減るのはそこから十〜二十年。そのときに医療の需要は……ああ、もう! なんだか「牛乳あまりだから」とあとさき考えずに乳牛を殺させて今のバター不足を招いた人たちのことを思い出しますな。厚労省のお役人は「農水省なんかと一緒にするな」と、そして農水省の方は「厚労省には負ける」と言っていそうですけれど(そして財務省はどちらもバカにしていたりして……)。私には単年度予算主義で目先のことをとりあえずやっているだけでどっちもどっちと思えますが)
正規の手段ではもう手遅れなんじゃないか、が私の“診断”です。
で、そういった場合非正規のやり方で“工夫”するのが日本ではふつうです。たとえば現場での異常(超人的)ながんばり(=滅私奉公)……でもこれはもう限界に達しています。
つぎに出てくる発想は、パートやバイトや派遣などで労働需給の調整、かな。医師免許を持っているがフルタイムで働いていない人の掘り起こしや外国人医師の採用、教育課程の短縮、医業資格の緩和などがこれからどんどん提案されそうです。そのへんでとりあえずの数合わせをすればいい、という態度ですが、今の日本を見ている限り、現在の日本の(非医療にまで視野を広げて見た労働環境で)そうやって“とりあえず”採用された非正規雇用者が安全を守られ幸せそうに働いているようには見えません(私の偏見?)。
※「フルタイムで働いていない人の掘り起こし」をする(できる)ということは、現在厚労省が発表している「日本の医師数」は間違っている(実際に働いている医師は「人口1000あたり2」よりももっともっと少ない)、ということになりますが……そういう解釈でよろしいですね?
ならばどうしたらいいのでしょう。
私が「とりあえず」で思いつくのは、たとえば救急領域だったら、救急車の有料化・救急病院の集約化・救急に関する(どんな場合には救急車を呼ぶか、どんな場合には普通の外来を受診するか、などの)患者教育などです。
「とりあえず」にとどまらない根本的な医療改革も必要でしょう。たとえば医療費は安ければいいとだけいうコスト意識を変える、とか。医者を医療に専念させるために、医者が現在やっている医療“以外”の仕事を任せる専門職を養成するにしても、養成と維持に“余分な”コストがかかります。だけどこれをすれば医者を増やしたのと実質的には同じ効果が出ます。それに……医者を増やすより早くできて安くついて上手い手ですよん。
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