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「メタボ」の前にまず「エコ」の話から。
今「エコ」と言うことばはどんなイメージで使われているでしょうか。
「ウィキペディア」の「エコ」の項には
>>* 「環境」のエコロジー(Ecology)
>>* 「経済」のエコノミー(Economy)
>>に大別されるが、状況によっては「環境保護と経済性」という意味で両者を兼ねることがある。
とあります。「エコロジー」が「生態学」から「環境(保護)」に意味を変質させ、さらに「環境保護をしたらお財布にも得」とアピールすることからエコノミーも巻き込んできたのではないか、と私は感じています。
そう、「エコロジー」は本来「環境保護」ではありません。「生態学」のことです。だけどそんなこと、もう皆さん忘れていますね。「エコ」でエルンスト・ヘッケル(生態学ということばを提唱した生物学者)を思い出す人なんて、ごくごく少数派でしょう。「エコロジー」は「エコ」になることによって本来の「エコロジー」ではなくなってしまったのです。ことばが拡散する過程で意味が変質して定着した好例です。実はこの現象についてはもう30年以上前に古生物学者J・G・グールドが指摘しています。彼の科学エッセー集『ダーウィン以来』(早川書房)の14章で彼は次のように言っています。「それ(エコロジーということば)はあまりにもさまざまな意味に使われすぎてインフレ現象を起こし、本来の意味を失ってしまっている。今ふつうに使われている意味では、この言葉は、都会から遠く離れたところで起こっている何かすばらしいことや、人工添加物の入っていない食品などの代名詞にされてしまいそうになっている。しかしながら、もっと限定された専門的な意味では、生態学とは、生物の多様性の研究を指している」 当時とは比較にならない今の「エコ・ブーム」を見たら、グールドさんも(あの世で)目を丸くすることでしょう。
「メタボ」がもともと「メタボリック症候群」であることも、そろそろ忘れられようとしていませんか? TVを見ていると「メタボなお腹」「メタボな生活」「メタボな食べ物」と、まるでメタボはただの「大きすぎる腹囲(=デブ)」の同義語でしかないような使われ方です。たしかにメタボ検診は腹囲をはかりますが、同じ肥満でも皮下脂肪ではなくて内臓脂肪を見ようとしているのだ、というもとの目的もすでに忘れ去られようとしているようです。で、その内臓脂肪がどう“悪い”のかについて、まともに考えようともせずに「メタボ」「メタボ」とひゃあひゃあ言っている風潮は、感心しません。
「エコ」が人口に膾炙されることで「エコロジー」が忘れ去られてしまったように、「メタボ」になることによって「メタボリックシンドローム」も忘れられようとしているようです。だけど、それで良いのでしょうか?
(長くなるので、この話題は次回に続けます)
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