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江戸時代の三大改革は、享保・寛政・天保です。経済的にはどれも成功したとは言えませんが、それは「金/銀/銭」と貨幣制度が3本立ての上に(だから両替商が必須の存在)、基幹“通貨"が「米」という(私の目からは)必要以上に複雑な制度の性もあるでしょうし、「予算ー決算」という概念が存在しなかった、ということも大きいでしょう(和算もありましたし、約束手形とか為替とか当時の世界の先端を行く経済システムを動かしていたのですから、日本人に数学あるいは経済的な能力が不足していたわけではないと思います)。
余談です。「予算ー決算」の概念があるからといって、それが上手く機能していなければ結局ないのと同じです。現代の日本政府や地方自治体で「予算ー決算」がただの形式的な数字あわせではなくてきちんと有機的に機能している(決算によって予算を厳しく評価し、次の予算編成に生かしている)ところはどのくらいあるでしょう? 私たちは江戸時代の人間がやったことを「昔の人間はまったく……」と単純にあざ笑えますか? 閑話休題。
私が好きなのは享保の改革です。足し高のような人材登用策も好みですが、特に私が高く評価するのは洋書輸入解禁令。厳密にはキリスト教関連以外の洋書で中国で漢訳されたものに限定しての輸入許可でしたが、いつしかそれは骨抜きにされ横文字の本も輸入されるようになりました。そのおかげでのちに『解体新書』が生まれ蘭学が全国で盛んになって明治の「文明開化」の基礎がきちんと準備されることになります(戦後の民主主義のための“準備"を大正デモクラシーが(不完全にとはいえ)行っていたことを、私は連想します)。
もっとも将軍吉宗自身が野呂元丈と青木昆陽にオランダ語の習得を命じていますから、「洋書は漢訳に限定」は最初からタテマエだったのかもしれません。
対して、寛政と天保の改革を私は高く評価しません。なにより、闇雲な節約奨励と出版統制が気に入らない。いや、自分が節約するのは勝手です。だけど、それを他人にも強制するところが気に入らないの。将来の日本が発展するための土壌作りを行った享保の改革に比較して、あまりに後ろ向きな態度に見える点が私の好みではないのです。
高校時代、私はまだ歴史観が未熟で享保の改革も含めて江戸幕府の改革はすべてなんともお粗末だ、と馬鹿にしていました。だけど、「改革がお粗末」は別に江戸時代だけのことではなさそうです。
たとえば、猿屋町御貸付金会所(さるやちょうおかしつけきんかいしょ)は寛政の改革で導入された制度ですが、これはつまりは「銀行への公的資金注入」です。最近の日本でもそんなこと、ありませんでした? 松平定信は極端な贅沢禁止令を行いましたが、どこぞの政府の「聖域なき予算削減」「後発品を使え運動」もそれと似た雰囲気があります。財政が苦しくなった藩では武士の知行を減らして「節約と内職で暮らせ」の方針を採りましたが、とりあえず大阪府はそれの真似をして人件費をとにかくどかどか減らす方針のようですね。公務員は副業禁止ですが、内職は良いのかな?
思想統制や出版統制はさすがに江戸時代のように露骨には行われていないようですが(山東京伝の手鎖の刑なんかが有名です)、現代の政治家や官僚の発想が江戸時代のそれとほとんど変わっていないところを見ると、そのへんも本当はやりたくてやりたくて仕方ないんじゃないかと私は想像しています。
……今やっていることが数百年後の歴史の教科書には「平成の改革」と載っていたりして……
……でも、天保の改革よりも扱いが小さかったりして……
……で、生徒たちに「昔の人間はなんて変なことを」と酷評されていたりして……
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